いつか電池がきれるまで

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「第8回Twitter文学賞」の結果と「開かれた賞として、インターネットで多数決をとること」の難しさ


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 一部で議論を巻き起こしていた第8回Twitter文学賞の「加藤シゲアキさんへの投票呼びかけ問題」なのですが、投票結果は、有効投票数932票中、323票を獲得し、その加藤さんの『チュベローズで待ってる』の受賞となりました。
 2位の佐藤亜紀さん『スウィングしなけりゃ意味がない』が79票、3位の松浦理英子さん『最愛の子ども』が40票という結果をみると、まさに「圧勝」なのですが、加藤さんがアイドルグループNEWSのメンバーで、アイドルとしての加藤さんのファンが、ネット上で「Twitter文学賞っていうのがあるらしいよ、加藤さんに投票しよう!」という呼びかけをしたというのが問題となりました。
 加藤さん自身も「アイドルとしての自分が好きだからという理由で、文学賞に投票しないでほしい」と表明していたのです。
 とはいえ、『Twitter文学賞』には、こういう形での呼びかけや組織票禁止、という正式な規定はないし、主催者側も加藤さんを排除することはなく、この結果を受け入れて、「加藤さんはちゃんと書いている人だから(受賞に問題はない)」とコメントしています。
 トヨザキ社長をはじめとする主催者側の内心をあれこれ忖度しても致し方ないし、これはある意味「文学側」に対して、「お前らがだらしないから、アイドルファンに席巻されたんだからな。次はもっと本好きクラスタしっかりしろよ!」みたいな激励なのかもしれません。
 でもまあ、正直言って、数の力と「伝道力」でいけば、ジャニーズファンと文学好きじゃ勝負にならんよね。
 僕の個人的な加藤シゲアキさんの作品への感想は、「あー、(ちょっと懐かしいケータイ小説辻仁成フォロワー)÷2」というものなのです(個人の感想ですし、ケータイ小説辻仁成も悪いとは言ってないからね。本当だよ!)
 

 本が売れない時代に、18万部も売れているという『チュベローズ』は、それだけで大きな功績があるともいえるし、売れない文学作品が出版できるのも、こういう「売れる本」のおかげではあります。
 そもそも、加藤さんの作品を評価している人たちが「本を読んだこともないのに、名前だけで投票している」とは限らないし、「あの加藤シゲアキさんが書いているというだけで最高の作品!」と思いながら読んでいる人も大勢いるはずです。
 少なくとも、そういう人たちにとっては、作者込みで「最高の小説」ではある。
 そうなると、この作品を排除するのは、かえっておかしな話になってしまいます。
 「本好き」だって、作家がどんな人かを無視して作品を読んでいるわけじゃないし、それは、他の文学賞にも言えるのです。


 至近な例では、先日の第158回芥川賞
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 受賞作のうちのひとつ、『おらおらでひとりいぐも』は、63歳で、芥川賞の史上最年長受賞で話題になりました。
 『おらおらでひとりいぐも』は、「その年齢に近づいた人だからこそ書ける傑作」だと僕も思います。
 とはいえ、63歳とか主婦から小説家へ、なんていう「作家の属性に関する情報」が、この作品への読者の興味や共感を増していることは否定できないでしょう。
 売る側だって、「最年長受賞!」ってやったほうが、売れるに決まっている。
 高齢化社会だから、「これから小説を書こう」という人々に「まだ間に合いますよ!」ってアピールする力にもなる。
 63歳だから書ける小説があるとしても、すべての63歳に書けるわけもないのですが。

 
 又吉直樹さんの『火花』についても、「お笑い芸人に芥川賞?」なんていう批判が少なからずありましたし、「有名人だから、話題性のためにあげたんじゃないか」と言っている人もいました(僕は『火花』は素晴らしい作品だと思っていますが)。
 
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 文学賞というのは何なのか、という話ですよね。
 「現場の書店員さんが決める、いま、いちばん売りたい本」を決める『本屋大賞』は、いまでは直木賞以上に「ベストセラーをつくれる賞」となっています。
 そのことが、「良い作品だから『本屋大賞』で紹介して売りたい」という動機から、「応援している作家さんの作品だから、『本屋大賞』で盛り上げたい」にシフトしてきているようにも感じるのです。


本屋大賞


 毎回、同じ作家の作品が、それほど出来が良いとは思えないものでもノミネートされているような気がするんですよ。
 小説の「出来不出来」なんて主観でしかないのは百も承知だけれど、こんなのがノミネートされていたら、やっぱり、「なんで?」って思うよ。何かのプロモーションに使われてるんじゃない?とか。

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 野球選手だったら、明らかな基準値が設定されていなくても、「この成績でMVPはおかしいだろ」と言いやすいのだけれど、小説の場合は難しいよね。それこそ「売れたから偉い!」のほうが、客観性はある。
 『本屋大賞』に関しては、まだ、「大賞受賞作品には、ばらつきはあっても、多くの人が楽しめる作品」が選ばれているとは思いますが、ノミネート作のなかには、「書店員さんたちって、本当にこれを読んですごいと思ったのか?作家が書店に来てくれたからとか、出版社の担当への義理で入れたんじゃないか?」と勘繰りたくなる作品が存在します。


 「Twitter文学賞」の場合は、現時点ではそれほどセールスにつながるわけでもなさそうなのですけどね。
 主催者としては、こういう形で話題になるのは、不本意でもあり、面白がっているところもある、というところじゃないのかな。
 これで興味を持った人が、2位や3位の作品を手にとってくれる、という可能性もあるわけだし。
 2位の佐藤亜紀さんの『スウィングしなけりゃ意味がない』の79票って、3位以下の得票数を考えると、けっこうすごいよね。
 そして、2位以下も、これはこれで、トヨザキ社長たちが好きそうな作品が選ばれているな、とも思うのです。
 

 今回の『Twitter文学賞』って、「開かれた賞として、インターネットで多数決をとること」の難しさを浮き彫りにした事例だと思います。
 その一方で、こうして、プロセスが浮き彫りにされて、誰でも確認できる、というだけでも、意義深いものではありますね。
 
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 こういう「密室での決着」に比べたら、ずっと健全だと思う。


 たぶん、いちばん困惑していたのは、加藤シゲアキさん自身でしょうし、スルーせずに自分の言葉で気持ちを綴っていたことには、僕もすごく好感を抱きました。書くことを大事にしているからこその対応なのだろうな、と。芥川賞本屋大賞ならともかく、「Twitter文学賞」は、スルーしてもそのうちほとんどの人が忘れるくらいの存在です。少なくとも現時点では。


 考えれば考えるほど、難しいんですよ、この話。
 投票した人たちは、ルールを破ったわけではないし、投票者にとっては「最高の作品」だったのだろうし。
 ひとつだけ言えることは、今の世の中での「賞」の大部分は、プロモーション(宣伝)である、ということです。
 宣伝にならないような賞は、廃れていく。
 これだけ多くのコンテンツがあふれていると、なんでも自力で価値判断することは難しいというか、不可能ではあるのだけれども、賞に過剰な期待をしたり、権威を求めるほうが間違っているような気はします。
 むしろ、「18万部も売れている」という数字こそが最強なんだろうな。


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チュベローズで待ってる AGE22

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