これ、ブログのエントリとして読んだときには、店側の「美味しく食べてほしい」という気持ちが伝わってきて、むしろ好感を抱いたのです。
それは、僕自身が「串にかぶりつくこと」や「串1本のボリューム」についてあまり問題意識というか、困った経験がないからなのかもしれませんが。
ところが、ブックマークコメントでは、けっこう批判が多くて意外でした。
b.hatena.ne.jp
そうか、言われてみれば「みんなで分けて少しずつ味わいたい」という人や「根元のほうは食べにくい(それは僕もそう思う。横から噛んで引きずり上げたりしているけど、品が良いとは言えないよね)」という人、子どもは串が危ない、という人などもいて、その個々の事情も、それぞれ頷けるものなんですよね。
そして、冒頭のエントリに関して言えば、写真のホワイトボードに書かれていることだけでは、ちょっと情報不足というか、「店側の都合を押しつけている」ように思う人がいても仕方がないのかな、と。
何年か前、家族旅行で、野外でバーベキューをやったことがあります。
バーベキューなんて、串に肉や野菜を刺して焼くだけなんだから、楽勝楽勝!
……のはずだったんですけどね、その後に繰り広げられたのは、阿鼻叫喚の世界でした。
炭にうまく火がつかず、ついても火力が弱く、なかなかうまく焼けません。
考えてみれば当たり前のことなんですが、ひとつの串に牛肉と豚肉とタマネギとピーマン、カボチャなどを刺して「いかにもバーベキューっぽいもの」を作ろうとして、とんでもないことになってしまいました。
それぞれの食材によって、焼くための適切な火力や必要な時間が全然違うのだけれど、「同じ串」に刺していると、食材別にその加減を調整することは至難の技です。
そもそも「なかなか焼けない」んだよ夜はどんどん更けていくのに!
結局、「食材をものすごく小さく切って、個々に焼く」ことにしたのですが、手間と味を考えると、「これは僕が自分でやるにはコストパフォーマンスが悪いな……」と痛感しました。
以前、脱サラして焼鳥屋で修業した人の話をテレビで観たのですが、「肉をうまく焼ける大きさ、形にして串に刺す」ためにはかなりの手間と時間がかかり、火加減の調節も微妙なもので、見た目よりもずっと仕込みも焼くのも難しい仕事なのだな、と感心しました。
「1本の串にたくさんの種類の肉が1個ずつ刺してある串」を見かけないのも、肉の種類によって美味しい焼き方が違うからなのです。
まあでも、こういうのって、どうしても「苦労して仕込んでいる側」は、自分の仕事をちゃんと相手に評価してほしいとか、工夫をわかってほしい、って思ってしまうんですよね。
あまりにも卑小な体験談で申し訳ないのですが、僕が昔ホームページビルダーでホームページをつくりはじめたとき、背景に大きな写真を使っていました。
それはもう当時の通信速度では表示するのにものすごく時間がかかる画像だったのですが、僕はそれをけっこう長い間そのままにしていたのです。
「これは僕が一生懸命撮った写真だから、時間がかかっても観てもらいたかった」ので。
でも、僕自身も閲覧者として、他の人がつくった同じようなホームページを見るときには、あまりに「重い」とうんざりして見るのをやめていたんですよね。
その人だって、きっと思い入れがあって、そうしているのだろうけど、客側は、その「こだわり」に付き合う義理はありません。
それこそ「知り合いだったら見る」のかもしれないけれど。
僕はこういう店って嫌いじゃないんですが、ホワイトボードの情報だけで判断すると「店側の感覚を客に押しつけている」ようにも見えるのです。
このエントリに書かれている、
焼き鳥の刺し方のこだわり。
頭の部分を大きめにしています。
まず、一口目が大事だから。
塩の振り方にもこだわりが。
真ん中より上の部分を若干強めに塩を振っています。
たかが一本でも。
その一本の中にドラマがある!
この情報がホワイトボードに書かれていたら、「そうか、そういうことなら、串を上のほうから、一口ずつ、じっくり味わって食べてみようかな」って思うお客さんが多いのではないでしょうか。
ところが、ホワイトボードには、その前にあたる、
僕らは、一本一本、一生懸命、真心を込めて刺しています。それを一本一本、丁寧に美味しく焼きあげています
の部分しか書かれていません。
惜しい、本当にもったいない。
これを読んでも、僕は「そんなの、焼鳥屋なら、『一本一本、一生懸命刺す』のも『丁寧に美味しく焼きあげる』のも当たり前のことじゃないか」としか思わない。
ほんと、身悶えしてしまうくらいにもったいない。
こんな魅力的なフレーズを持っているのに、なんでありきたりのフレーズを「推して」しまったのか……
いや、わかるような気はするんですよ。
人って、「自分が苦労していること」を語りたくなる生き物だから。
この場合は、「苦労」よりも「工夫」を、「そうやって食べたほうが、美味しく食べられますよ」っていう「お客の側のメリット」をアピールすれば、よりいっそう伝わりやすくなったと思うのです。
そもそも、客は「店の苦労を察する」ことは好きでも、「店の苦労をアピールされる」ことで食欲が増すことはありません。
正直、このブックマークコメントでの反応には「なにもそこまで悪いほうに受けとらなくても……」というものも散見されるのだけれども、言いかたひとつで好感度を上げられるのであれば、やってみて損はないはず。
まあ、こういうのは僕の感覚であって、万人向けじゃないかもしれないし、「こだわり」「武骨さ」をアピールしたほうがウケる店、というのもあるのでしょうけど。
これぞまさにこの『伝え方が9割』って話なんですよね。
世の中にあふれている「ちょっと引っ掛かる表現」も、著者のような言葉のプロフェッショナルによって、計算されたうえで使われているのだなあ、と感心しました。
最近、コンビニのトイレで書かれているお願いのコトバが変わってきました。以前は、
「トイレをキレイに使ってください」
と書かれていました。でもこちらだと、コンビニ経営者の自分のメリットでしかありません。キレイに使ってくれる人もいれば、使わない人もいたのだと思います。それが最近ではこう変えています。
「トイレをキレイに使っていただき、ありがとうございます」
感謝が入ると、人はお願いを拒否しにくいのです。最近ではほとんどのコンビニがこのコトバに変わりました。実際に効果があるのでしょう。
たしかにトイレでよく見ますよね、この「ありがとうございます」。
「まだ使う前に、そんなこと言われても……」と思うのですが、たしかに、先回りして「ありがとうございます」と言われてしまうと、ちょっとプレッシャーがかかるような気がするのです。
「命令」には反発したくなるけれど、「感謝」とか「信頼」は裏切りにくい。
もちろん、「そんな作戦には引っ掛からないぞ」っていう人もいるのでしょうけど、少なくとも僕はそうです。
たしかに、「実際に効果がある」のだろうなあ。
冒頭のエントリのお店の方、客でもない僕が上から目線で書いてしまって、なんだか申し訳ありません。
でも、本当にもったいないなあ、って思ったので、書かずにはいられませんでした。
もちろん、どう書いても反発がゼロになる、ということは無いのでしょうけど、もっと受け入れてもらいやすくなる可能性はあるのです。
ちょっと言い方を変えるだけで、お客さんにも伝わって、美味しく食べてもらえたら、どちらも幸せになれるはず。
もちろん、これは飲食店だけにあてはまる話ではありません。
……と、第三者としてあれこれ言うのは、そんなに難しくはないんですけどね。
自分のこととなると、なかなか「苦労話の呪縛」から逃れるのは難しいのです。
- 作者: 佐々木圭一
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