いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「入館料が日本一高くて、展示品は全部偽物。でも大人気!」の大塚国際美術館に行ってきました。

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o-museum.or.jp


以前から、ずっと気になっていたんですよ、この大塚国際美術館
ただ、徳島県というロケーションは、微妙に行きづらいところもあって、これまで訪問する機会がありませんでした。
職場異動で有給をもらえて拘束もない時間ができたので、今回、思い切って行ってみました。


ちなみにネットではこのような記事に影響を受けました。
というかこれらを読んでもらえれば、僕の話なんて聞く必要はないかもしれない(でも聞いてくれると嬉しい)。


zaikabou.hatenablog.com
matome.naver.jp
d.hatena.ne.jp



以前、上記のちきりんさんの記事を読んで、僕はこんなことを書いているんですよね。

fujipon.hatenadiary.com

ちきりんさんは、「本物」をみたことがあるから、「そっくりさん大集合」をネタとして楽しめる面もあるはず。
そうでない人には、「偽物は偽物」でしかないのかもしれません。
少なくとも、陶板の『最後の晩餐』が、本物を見ることの代替経験になるとは思えないのです。
そもそも、この「陶板」と「画集」は、そんなに差があるものなのだろうか?
そんなことを気にするのは、僕が「眼鏡をかけてたら、いつも『ガラス窓越しの風景』を見ているようなものだよなあ」なんて考えるような眼鏡人間だからなのかもしれませんが。

 とはいえ、ここまでみんなが「すごい、面白い」と言う美術館、一度は行ってみたかったんですよね。
 大人料金3240円は美術館としてはかなり高いな、と思ったのだけれど、1000作品以上という展示の多さと規模を考えると、けっして高くはない(音声ガイドが100項目以上もあるんですよ)。
 とはいえ、「本物ではない美術品」をどういうスタンスで観るのか、というのは、けっこう難しい気がしていたのです。


 絵そのものは図録なりネット検索なりで、どんなものか知ることはできるので、「本物を見てきた」と他者に自慢できる要素がないというのは、いまの時代ではマイナスではなかろうか……と思っていたんですよ。


 正直、作品を観ながらも、「でも、これだと美術館で本物を観たときの『絵の具の厚み』みたいなものはわからないよね……」と感じましたし、一部の作品は、ちょっとぼやけて見えました。


 ただ、実際に訪れてみると、事前にイメージしていたものとは全く違う感動があったのです。


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 まずは「大きさ」のこと。
 僕はピカソの『ゲルニカ』の実物を観たことはないのですが、実際に見たという知人は「思っていたほど大きな絵じゃなかったよ」って言っていました。
 それを聞いて以来、僕にとっての『ゲルニカ』は「そんなに大きくない絵」だというイメージがあったんですよ。
 でも、ここで実物大の『ゲルニカ』を観ると、「おお、僕のイメージより、けっこう大きい」と感じたのです。
 実際のところ「大きさ」っていうのを数字で書くこと、イメージすることは可能だと思うのですが、それと「感覚的なサイズ」というのは、また別物なんですよね。
 僕も事前に知人の話を聞いていなければ、「思ったより小さい」と判じたかもしれません。
 図録とか写真とかって、「大きさ」が、なかなか伝わらないものなのです。
 全体像を撮らないといけないし、比較のために人やマッチ箱を一緒に入れたりすることもありますが、それでも、実際に目の前にあるときの「でかいなー」というのは、その場にいない人には、わからないんですよね。

 
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 もうひとつ感じたのは、礼拝堂などの「空間」が再現されていることでした。
 こんなの本当によくつくるよなあ、と感心するばかりです。
 そして、当時の人々が、この礼拝堂で、どんな気持ちで祈っていたのか、みたいなことを静かに考えることができる。
 ……とか思っていると、屋外で「マムシに注意!」とかいう看板を見つけて、そそくさと撤退してしまうわけですが。


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 その一方で、システィーナ礼拝堂の『最後の審判』のように、同じ大きさでつくられているはずなのに、そこにいる人々が持っている高揚感の集合みたいなもので、こんなにも受ける印象が変わってしまうのか、と思うところもありました。

 これから、バーチャルリアリティの進歩で、「臨場感」みたいなのもオンラインで味わえるようになるのかもしれませんが。


 それにしても、とにかく作品が多い!
 僕は「美術展シンドローム」と勝手に名づけているのですが、この大塚国際美術館も「最初のほうの展示を一生懸命見すぎて、最後のほうの見せ場の展示ではもう疲れ切っていて、一瞥して、そそくさと足早に立ち去ってしまう」というもったいない現象に陥る可能性が高そうです。
 それも含めて、入口の近くに『最後の審判』などの見せ場が配されているのでしょうけど、最初のフロアの「古代」あたりは、この時代に興味がない人は、気合いを入れすぎないことをおすすめします。
 とにかく広くて展示作品が多いので、「まずは早足で一回りして、気になる作品を二度目で集中して観る」のが良いんじゃないかな。
 とはいえ、広いので、けっこう歩き回ることにはなるんですよね、いずれにしても。


fujipon.hatenablog.com


 「所詮、レプリカなんだから、これを見ても『モナリザ』と『最後の晩餐』と『ゲルニカ』を見てきた、って自慢することもできないし、クオリティにしても、「大きさと作品のイメージは伝わってくるけれど、本物と同じというわけではない」んですよ。
 でも、だからこそ、これだけ多くの世界的名画を一度に実物大で見ることができるし、時代による絵画の技術や描かれてきたものの変遷という「タテの変化」と、同じテーマをそれぞれの画家がどのように描いてきたか、という「ヨコの変化」を感じることもできるのです。


『受胎告知』がテーマの作品がずらっと並んでいる部屋があると、「なぜ、ダ・ヴィンチの作品はこんなに大ヒットしたのに、この画家の絵はそんなにメジャーになれなかったのだろうか?」とか、考えることができるわけです。
 ここに展示されているだけでも、オリコン20位以内くらいにはランキングしたことがあるヒット曲ではあるんでしょうけど。
 描かれるテーマも、古代は神や伝説の絵が多かったのですが、それが宗教画中心となり、市井の人々や風景も描かれるようになり、そして、何が描かれているのか、よくわからないような絵が「現代芸術」として登場してくる、という流れを一日で、ひとつの場所で体験することができます。


 これだけ世界各地に散らばっている名画のレプリカ(陶画化)が並んでいると、「自分が知っている絵で、採りあげられていない絵はないものか」と、「無いもの」を探すという楽しみもあるんですよね。
 ゴッホの『星月夜』くらいかなあ、これはなかった、と思ったのは。


 実際に(かなり駆け足でしたが)ひとまわりしてみて感じた一番のメリットは、これだけいろんなものを一度に見られると「自分はこういう絵が好きなんだな」ということがわかってくる、ということでした。


 全部レプリカとはいえ、これだけいろんな時代、ジャンルの絵が1ヶ所にアーカイブされていて、原寸大で見られる場所は他にはないわけで、「この作品を見る!」というだけでなく、歩き回ってみると「あっ、こんな作品があるのか!」とか「この絵、好きだなあ」なんていう発見を楽しめるのです。


週刊少年ジャンプ』を定食屋でなにげなく手にとって流し読みしていたら、目当ての作品以外に「これ、面白い」というのを見つけたような喜びがあるのです。


 僕が今回、もっとも「これ良いな」と思ったのは、クリムトの『接吻』でした。


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 いや、「そんなメジャーどころを挙げられても!」って言われるとは思うんですけど、クリムトって、僕にとっては、なんかケバケバしくて、あんまり好きじゃない、はずだったんですよ。
 ところが、大塚国際美術館でレプリカを観たら、ものすごくハマってしまいました。
 不思議なことに、ここで観る『モナリザ』や『ひまわり』には「所詮、レプリカだし、あんまり有難がってみるようなものではなかろう」なんて、斜に構えてしまうところがあるのだけれど、ドガの『エトワール』とか、ゴヤの『我が子を食らうサトゥルヌス』には心惹かれるのです。


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 「本物」ではないからこそ、TSUTAYAのレンタルDVDコーナーで「何か面白そうなのないかな……」というくらいのスタンスで、「名画」を見ることができる。


 本当に「これまでとは違う、絵画観賞体験」ができる美術館だと思います。
 けっこう時間がかかるので、9時半の開館から17時の閉館まで一日がかりで見るつもりで、ちょうど良いかも(それでもけっこう駆け足になりそうですけど)。

 
 こうして、世界中の名画のレプリカが、劣化しにくい形でアーカイブされている場所にいると、「いつか人類が滅亡した後、この大塚国際美術館の作品をみて、異星人が『人間』とその文化を知ることになるのだろうか……」なんて、ふと想像してしまうんですよね。


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