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いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

カンニング竹山さんの「すべらない話」と他者の「感想」を否定するということ

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「笑い」っていうのは、難しいよね。


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 去年、上記のようなエントリを書きながら、「僕も『繊細チンピラ』なのかもしれないな……」って思っていたので、このカンニング竹山さんの話について、興味深く読みました。
 あの番組、これらを読んだあとタイムシフト視聴したのですが、僕はあのエピソードに対して、「これは前田健さんのためにも『笑いとばす』のが供養になるのかな……差別的だとは思わないけれど、笑えるほど僕は竹山さんとも前田さんとも近くないしな……」と困惑した、というのが正直なところです。
 まあ、バラエティ番組を先入観なしで観るのと、こんなふうに「検証」する気分で観るのとでは、全然違うでしょうけど。


 カンニング竹山さん、「キレ芸」でブレイクした人なのですが、僕はこんな話を10年くらい前に読んでいたんですよね(出典の『QJ』は、2007年3月発売)。


QJ(クイック・ジャパン)・vol.70』(太田出版)の「カンニング全記録」という特集記事の「ロングインタビュー『竹山隆範すべてを語る23000字』」より。

(相方・中島忠幸さんが亡くなったときのことを振り返って)


竹山:仕事は、お通夜の日だけは休ませてもらいました。その番組のプロデューサーが可愛がってくれていて、逆に「休め」と。ただ、葬儀の後は、そのまま生放送行きましたね。「傷つきました、しばらくお休みします」って感じに見られるのが嫌だったんですよ。それに、ちょっと周りと、時差みたいなものがあったんです。周りは「相方が亡くなられて……」ってスタンスで僕に向かってきますけど、そりゃあ気は落ちてはいますけど、実はみなさんが考えていることはちょっと前に終わったことなんで。だから、僕は大丈夫だってことを言うためにも、葬式終わったら働くしかねぇって。
 葬式の朝の、ギリギリまで迷いましたけど、結論としては生放送に行ってよかったです。芸人って優しいなって。まずナイナイの岡村さんが、相方が死んで、葬式が終わって生放送に来たいちお笑い芸人を、ちゃんとおいしくしてくれましたから。「竹山、切り替えろよ!」と言ってくれた、その一言で僕は全ての切り替えがつきましたからね。「あぁ、今俺キレていいんだ」って(笑)。「切り替えてるわ!」って。俺明日からも現場行けるな、みんな支えてくれるんだって、自信が付きました。
 紳助さんに言われた、俺が働くことによって、中島もみんなの記憶から消えないってことも、そればっかり意識しているわけでもないんです。「カンニング竹山」のままでいるのも、たけしさんがツービートを離れてもビートたけしと名乗っているのと一緒で、それが馴染んで呼びやすいからというだけで、こだわりはない。だけどたまに、控え室の札なんかに「竹山隆範カンニング)」と書いてあるときがあるんですよね。それはちょっと戸惑うんですよね。カンニング自体はもうないですから。
 「中島の休業中にもギャラを折半していた」と言われていた問題にしても、ぶっちゃけギャラは分けましたけど、みなさんでも分けるんですよ。ずっと、たった二人でカンニングという”会社”をやってきたわけじゃないですか。夫婦ですよ、要は。その相方が白血病で倒れるわけですよ。単純に、お金かかるんです。正直僕も、二人の稼ぎが40万円だったら分けないです。でも、10万円もらえなかった二人が、ぶっちゃけ月100万円くらいもらえてるんです。一人で取ると200~300万円ももらえるわけですよ。そこで相方が白血病なのに、一人で200万円ももらえねぇだろって。だから僕が苦労したことはひとつもないです。逆に僕が病気になって、あいつが僕の立場になっても、あいつも同じことをしたと思いますよ。


(中略)


 これ言うと語り過ぎかもしれないけど、僕は芸人が一番素敵だと思いますね。あったかいですよ、みんな。それほどギスギスした関係もなく、人を傷つけることもなく、いつも面白いことを考えて、一所懸命で。一つの笑いを作るために、一人が死に役になったり、どこへ行ってもみんなが協力して、支え合っている。この間「お笑いウルトラクイズ」(日本テレビ系/2007年1月1日放送)のロケに行った時も、体中の粘着を取るためにみんなで風呂に入ったんですよ。ダチョウ(倶楽部)さんが筆頭になって、粘着の取り方を教えてくれるんです。で、みんなで剥がし合って。「芸人っていいなぁ」としみじみ思いました(笑)。今食えるようになったんで言えるのかもしれないですけど、素敵な職業につけたとは思ってますね。
 うちの相方は、その全てを感じられないまま終わっちゃったかもしれないけど、芸人として名前は残せたと思うんですよね。


 僕はこれを読んで以来、竹山さんがどんな酷いことを言ってキレていても、「本当はいい人なんだよなあ」って思えてしまって、それはそれで「芸」を素直に観ることができなくなっているのかな、なんて考えることもあるのです。
 こういう「竹山さんの人柄と背景」を知っているかどうかで、あの前田健さんの葬儀でのエピソードから受ける印象も変わってくるはずです。


 竹山さんも周囲の芸人たちも、ネタというより、葬儀の席での個人の思い出話、という雰囲気になっていたように見えましたし(それを松本人志さんが、あえて「話が変わってきた!」と茶々を入れて「笑い」に持っていこうとしていました。進行役も大変ですよね)、観客も「面白がっていた」というよりは、あの収録の場の「笑うべき雰囲気」みたいなものに押されて、息を呑みながら、少し笑っていた、という感じの「笑い」だったと思います。


 録画で観直してみると、竹山さん、この話を、こう切り出しているのです。


「まあ、あえてこの話を先にしようと思ってるんですけどね」


 竹山さんは、この前田健さんの話が「笑えない」あるいは「笑えない人がいる」ことは百も承知だったんじゃないか、と僕は思うのです。
 表情も真剣そのもので、同性愛どうこうというより「お父さんにまで話してたのかよアイツ……いい歳してしょうがねえなあ……」っていう、もう直接ツッコミを入れることはできなくなってしまった人への「悼み」が僕には伝わってきました。


 ゴールデンタイムに放送される番組としては、「文脈」がわからないと誤解を招くようなネタは、「ふさわしくない」のかもしれません。
 それでも、竹山さんは、「ゴールデンタイムに多くの人が観るであろう番組で、前田健さんのことを『あえて』話した」のではないか、と僕は考えています。
 なるべく「お涙頂戴」にならない形で、前田健という人のことを、多くの人に思い出してもらえるように。


 僕も「繊細チンピラ」的な人間だし、自分にとって「逆鱗」みたいなお笑いのネタも少なからずあるので、この竹山さんの話を「笑えない」「不快に感じる」のも、わかるんですよ。
 同性愛者が差別に対して過敏になるのも、ずっと病気のように思われ、蔑まれてきたっていう「歴史的背景」もあるのだと思う。


 昨年の夏、アメリカに1ヵ月間くらい行ってみて、「あまり英語が通じない外国人」として車で地方都市を旅行していました。
 一生懸命話しかけても「は?」みたいな表情をされて、そっぽを向かれることが多くて、人に話しかけるのが心底つらくなったんですよね。
 もちろん、そんな冷たい人のほうが少数派なんだけれど、そういう「小さな敬遠」の積み重ねは、人間から自信を失わせ、ネガティブ思考に向かわせるのです。人と接するのが怖くなる。
 そういうのって、安全圏から想像しているのと、自分がその差別される立場になって実感するのとでは、全然違う。


 僕だって、LGBTのことがわかるのか、当事者の気持ちがわかるのか、と問われたら、「わかる」なんて口が裂けても言えない。
 ただ、そこで「わからないことを認めたうえで、お互いが生きやすいように気配りをする。少しでも歩み寄ろうとする」ことを捨てたくないのです。
 いるんですよ、世界中のいろんなところに。
 言葉が通じなくても、一生懸命「この見知らぬ外国人のために、なんとかしてあげよう」という人が。
 いいやつばかりじゃないけど、悪いやつばかりでもないんだ。
 まあ、「言葉が通じない人を避ける」のって、「悪い」というより、「それが普通の人」くらいなのだろうけどさ。


 僕は長年ネットにいろんな感想を書いています。
 そのなかで、自分を戒めていることは「他人の感想を否定しない」ってことなんですよ。
 基本的に、あるコンテンツに対する「感想への感想」は、あまりにも不毛なのです。
「お前がそう思うのはおかしい!」って、思うものは思うんだよ!


 もちろん、ある「感想」のなかに、事実誤認や極度の偏見、人種差別、捏造などが含まれている場合には「それは間違っていますよ」って訂正を求めることはありえます。
 でも、そういうものじゃない「個人の感想」については、「人それぞれ」だと思うし、「いろんな人が、自分の立ち位置に基づいて語っていること」が、ネットの面白さ、役割なのです。


 僕もときどき「そんな感想、書いてネットで拡散するな!」とか「そんなことも知らないで感想書いてるの?」とか言われるのですが、スルーすることに決めています。
 「そんなこと思うのはおかしい、ネットに書くのはおかしい」って、ジョージ・オーウェルの『1984』かよ!


 あるコンテンツへの「感想」について、いろいろ思う人がいるのは当然のことです。
 でも、自分が気に入らない感想だからといって、書いた人を「思うな」「書くな」と恫喝するべきではない。
 それが炎上商法とかではなくて、書いた人の「本心」から出たものならば。


 この話だって、「文脈を熟知していること」を強要するんじゃなくて、「カンニング竹山さんはこういう人で、前田健さんの話をあの場でしたのも、竹山さんなりの芸人としての供養だったのではないでしょうか」で良いじゃないですか。
 番組でそういう背景説明がなされていないのが不満ならば、知ってほしい人が、ネットで補ってあげればいい。
 すぐに修正パッチをあてられるのは、オンラインのメリットなのだから。


 そもそも、ゴールデンタイムに『すべらない話』を観ている視聴者にコアなお笑い好きレベルの「予備知識」を求めるのは筋違いです。
 竹山さんだって「わかる人はわかってくれればいいし、不快に感じる人がいても、前田健という芸人のことを少しでも思い出してくれれば十分」くらいの気持ちであり、それを他の出演者やスタッフも汲んでオンエアされたのではないかと、僕は思っています。
 出演者の意図はさておき、あまりにも観て不快に感じる人が多ければ、「やはりテレビでオンエアするのには問題があった」ということになるでしょう。
 それはもう、「いろんな反応をみて、総合的に判断する」しかないわけで。


 これもあくまで僕の「感想」でしかないから。
 どれが正しい、じゃなくて、いろんな感想を持つ人がいて、それが加工されたり編集されたりせずに読めるから、インターネットは面白い。
 「書くな」じゃなくて、「自分の感想でネガティブなイメージを変えてやる!」で、良いじゃないですか。実際には難しいことではありますが、気概くらいは、ね。


 ……と最後まで書いてきて、ようやく気づいたのですが、このエントリこそまさに「感想への感想」になってますね……本当に難しい。


fujipon.hatenadiary.com

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