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いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「何を食べに行くか、自分で決められない」というのは、必ずしも「あなたとご飯を食べに行きたくない」というわけじゃないんです。

www.moriasae.com


これを読んでいて、僕はなんだか若い頃の自分が責められているような気がしたのです。
僕もずっと「結婚したくないわけじゃないけど、結婚というシステムの必要性がよくわからない」と思っていたので。
それに、結婚って、それに付随するあれやこれやが、けっこうめんどくさそうじゃないですか。
入籍だけなら良いのかもしれないけれど、両家顔合わせから、挙式・披露宴の準備なんて、ねえ。
とか言いながら、個人的にはそういうのもやっておいて良かった、とは思っているんですけどね。
何かのときに「原点」として思い出せるし、みんなに「結婚してるの?」って聞かれていちいち説明する手間もはぶける。
個人的には、結婚していていちばんありがたいのは、結婚についてあれこれ考えたり、人から言われなくて済む、ということだな、なんて思うこともあります。
ありがたくないことは……まあ、お互いにいろいろありますよねそれは。


この冒頭のエントリって、お相手がどのくらいの年齢の方なのかわからないのですが、世の中には、やったことがないことに理想を投影してしまうタイプと、未体験のことにはネガティブ思考になったり、用心したりしてしまうタイプがいると思うのです。
「結婚というシステムの必要性を感じないというか、そういう枠組みに縛られてしまうことはイヤだけれど、なるべくあなたと一緒にいたいので、あなたがそう望むのであれば、結婚するのにやぶさかではない」というのは、なんというか、「そんなもんじゃない?」って感じなんですよね僕としては。


相手が「絶対に結婚なんかしたくない」というのであれば、それはそれでさすがにお互いの求めるものが断絶しているとしか言いようがないのだけれど、「君がそうしたいのなら、そうしよう」っていうのなら、自分が結婚したければすればいいんですよ、たぶん。
それでうまくいくかどうかはわからないけれど、情熱的に「結婚しよう!」というカップルでも、「割れ鍋に綴じ蓋」というか「親も年だし、あなたしかいないし」(by 大黒摩季)で結婚しても、ずっとうまくいく保証はどこにもないし、絶対にうまくいかないわけでもない。
いまの日本では、結局のところ、カープ鈴木誠也が打席でヒットを打つ確率と同じくらい、結婚したカップルは離婚するのです(要するに、3組に1組くらいは離婚している、ということです)。「神ってる」よね本当に。


そもそも、こういうのは性格的なものがけっこうあって、ご飯を食べに行くときに「これが食べたい!」って明快に主張する人っていますよね。
その一方で、「なんでもいいよ」と言うので、こちらから提案してみても「なんかそんな気分じゃない」って言ったり、「そこでいいよ」と渋々同意の様子だったり、という人もいます。
でも、後者って、結局のところ、どんな提案に対しても、積極的に「自分はこれがいい!」っていうのは無いことが多いんですよ。他者の意見に対しての多少の好き嫌いはあっても。
「とにかく自分で決めたくない、決めるのが好きじゃない」というのが最優先事項なのです。


そういうふうに言うと「主体性がない、つまらない人間」だと思われがちだけれど、本人としては、そうやって決めてもらうことに安心感があり、とりあえず幸せ、なのです。
僕もそのタイプの人間で、こういう人どうしが付き合うと、食事に行くときに「どこに食べに行くか決めてよ」「いやあなたの食べたいものでいいよ」「私はあなたが食べたいもので良いんだってば!」と、喧嘩になることも少なくありません。
喧嘩するくらいだったら、そこらへんのファミレスにでも入ったらよさそうなものなんですが、そうすると後日、「あなたはせっかくのデートなのにファミレスに連れていった」と過去のあやまちとして責められることになるわけです。
人生って、難しいですね本当に。
まあ、世の中っていうのは、けっこう多くの人がこういう「観客型」「受け身型」であり、だからこそ、うまく回っている、とも言えます。


で、何が言いたいかというと、「ものすごく結婚したい人」と「現時点では結婚という枠にはめられるのは不安だし、あまり良いシステムだとも思っていないけれど、相手が望むのであれば受け入れるのにやぶさかではない」という組み合わせは、そんなに珍しくもなんともなくて、自分が結婚したければ、そのまま寄り切ればいいし、自分が迷っているのならちょっとクールダウンして「その気」になるまで待てばいい、というだけのことだと思うのです。
なんのかんのいっても「タイミング」っていうものもあるのでしょうし。
40何年も生きてきて、手痛い失敗も数多ありますが、僕自身の経験上は、「思い切ってやってみて後悔したことよりも、思い切れずにやらなかった(やれなかった)ことのほうが、はるかに後悔が大きい」と感じています。
「どうせうまくいかない」って言われてやめたことは、たぶんこの先ずっと「やっていたら、うまくいっていたかもしれないこと」として記憶に刺さったトゲのように鈍く痛みつづけるはずです。
人生にセーブポイントがあれば、って思うんですけどね、ないですからね。
まあ、あったらあったで、どこからやり直していいかわかんないよね……


なんかもう脱線しまくりのエントリなのですが(もともと本線もない話なんだけど)、結局のところ「自分はどうしたいのか?」と自分に問うことしかできないと思うんですよ。
多少のズレはあっても、ずっと一緒にいたい、と現時点では考えているのか? それには「結婚」が必要なのか? それは、今このタイミングでしたいのか?
あとはもう、そのボールを相手がどう受け止めるか、だけです。
繰り返しになってしまいますが、「何を食べに行くか、自分で決められない」というのは、必ずしも「あなたとご飯を食べに行きたくない」というわけじゃないんです。
むしろ、「あなたが気に入らないご飯を選んでしまうのが怖い」からなのかもしれません。
そこは、たぶんずっと練習というか、修業なんでしょうね。
「そういう人がいる」というのを知ることも、「自分がそういう人間であることを知る」ということも。
しかしこれ、誰に向かって、何を書いているのか全くわかりませんね、困ったな……


もうひとつ、脱線ついでに、思ったことを書いておきます。
相手に許可はとった、とのことですが、ネットというのは、あまりにもたくさんの人の目に触れ、さまざまな反応が返ってくることがある場所なので、「感情の吐き出し口」としては、あまり上等な場所ではありません。


b.hatena.ne.jp


こういうブックマークコメントの数々を読むと、みんな自分の経験をもとに「判断」しているんですよ、当事者のことはあまりよく知らないまま(僕もそうです、すみません)。
こういうふうに「人生の大事な決断に対する評価を、何の責任もとらなくていい第三者にアウトソーシング(外注)する」というのは、とてもリスクが大きいのです。
こういうのって、反応を読むと「そうだよなあ」とか「これは違う」とか、いろいろ思うじゃないですか。


当事者からしてみれば「書いていいよ」って許可を出していたとしても、「なんで自分たちのことが、こんなに無責任な連中に切り刻まれなきゃならんのだ」っていう違和感があるのではないかと思うし、それは「こんなことを世界に公開した人」への反発につながりやすい。
僕の人生経験上、「なんでもネットで相談する人」の最大の問題点は「なぜかネットでのよく知らない第三者の反応や言葉を、自分の身近な人への直接の相談よりも重視してしまう」ことにあります。


ネットでプライベートな内容を書いて、それがたくさんの人に読まれて反応をもらえると、けっこう興奮するものなんですよ。
ところが、そういう反応をもらうことに依存していく、どんどん「自分の人生をコンテンツ化してしまう」のです。
ひらたくいえば、「自分に酔って、自分を苦しめるかもしれない行動も、話題になるから、とやってしまう」「見せてはいけない部分を、露出する癖がついてしまう」のです。
それを自覚的にやっているのが「プロブロガー」だということなのかもしれません。
お金のためにやるのだ、と割り切れる人はいいけれど、将来、ブログに閑古鳥が鳴き、エントリは消えても、そこに書かれた人との「感情のしこり」は残ります。
ネットで書くことに慣れている人が思い込んでいるほど、慣れていない人の「許容範囲」は広くありません。
「自分のことが、世界にばらまかれている」だけで、内容がどうであろうと、不快だと感じる人も少なからずいます。


正直、ひとりの観客としては「これぞ昔の僕が大好きだったインターネットだ!」と思いながら読んだのです。面白かった。書くことによって、自分の考えが整理できるところもあるはず。
ただ、もし現実世界での面倒事に巻き込まれたくなかったり、自分にとっての優先順位を見失ったりしたくなければ、「相手の許可を得ないといけない、と感じるようなものは、自分の場所に書くべきではない」ということは、覚えておいて損はないと思います。
そういうときこそ、『はてな匿名ダイアリー』の出番ですよ!


以下は余談(というか、全部余談みたいなエントリなんですが)。
fujipon.hatenadiary.com


 この本では、中島らもさんが、妻の美代子さんに行った、さまざまな「酷いこと」や「女性関係」もかなり赤裸々に語られています。その一方で、美代子さん自身の「男性関係」も語られていて、僕もある種の「異様さ」を感じずにはいられませんでした。「バンド・オブ・ザ・ナイト」時代の中島家では、「乱交」「スワッピング」なんてことも珍しくなかったようです。
 しかしながら、そんな「セックスにこだわらない」はずのらもさんについて、長年の親友の鈴木創士さんのこんな話も語られています。

 あるとき、創が、らもの後輩のコピーライター、ミキ君を諭していた。
「おまえ、中島と仲良くしたかったらな、いくら中島に勧められても、絶対ミー(美代子さん)と寝たらダメだよ」
 私は、創ともミキ君とも、寝たことがない。


 その「書いてもいい」は、言葉では「許可」以外のなにものでもありません。
 でも、そういうのって、売り言葉に買い言葉みたいな感じで、「いいよ、書きたければ書けば」って言っちゃうこと、格好つけたり、強がってしまったりすることって、あるじゃないですか。
 本当は「書いてほしくない」と思っていても。
 大事なものを守るためには、そこで、自分のほうから、「一線を引けるかどうか」って、すごく大切なことだと思います。
 もちろん、「そういう生きざまも含めて見せるのが、俺のロックだ」という人は、もうしょうがないんだけれども。



 余計なお世話+冗長なエントリになってしまって、すみませんでした。
 まあ、いつもこんな感じだし、今年ももう終わりだし、親も年だし、あなたしかいないし、ねえ。


fujipon.hatenadiary.com
fujipon.hatenablog.com