いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

納豆パックに御飯を投入する男、パック寿司の蓋を醤油皿にする女


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 僕は納豆を食べるとき、洗う手間が省けるように、納豆パックのほうに御飯を投入する人間なので(だって納豆を食べたあとの茶碗って、洗うの大変じゃないですか)、この人のどこに問題があるのか、と考えてしまった。
 そもそも、最近の回転寿司では、「お寿司に醤油をワンプッシュ!」と、寿司に直接醤油を吹きつける食べ方が推奨されているところもあるくらいだ。
 「寿司の醤油は御飯ではなく、ネタのほうにつけて、ネタ側が舌にあたるように、ネタを下向きにして食べるのが王道」などという「食通の見解」に逆らう勇気もないが、箸使いがあまりうまくない僕としては、ネタとシャリの解離という悲劇を回避するためには、このワンプッシュ方式はありがたい。
 この増田さん(冒頭のエントリを書いている人)が、何かの間違いでスシローとかに入ってしまうと、多くの人の命が奪われることになるので、うまく棲み分けていきたいものだ。


 この事例の場合、ひとりのときは作業効率重視で良いと思うのだが、そこに「他者」が入ってくると、人間のふるまいというのは、いろいろな要素を帯びてくる。
 たとえば、付き合っている人の家に行って、パック寿司が出てきて、「醤油皿出すのめんどうだから、蓋を使ってくれる?」と言われたらどうするか?
 「ズボラなんだから!」と苦笑しながら、蓋を醤油皿にして食べるか、直接醤油を寿司にかけるか。あるいは、自分で小皿を取ってくるか。
 まあでも、これって、醤油皿のことで人間関係が破綻する、というよりは、お互いに良い関係のときは、こういうのも「しょうがないなあ、もう!」と笑い話にできても、すれ違いが生じてきた時期だと「あなたのそういうガサツなところが昔から気に入らなかった」ということになりそうだよね。

 
 家族で食事をしているときだったら、子どもの前で、「蓋を醤油皿に」するのは躊躇する。
 「僕は気にしない」とは言っても、それが世間に通用するかどうかは別問題だし、「ちゃんとした食事のマナー」を身につけておくことは、けっこう大事だとも思うし。
 人って、「食べ方」で、他者を値踏みすることがけっこうあるので。
 魚の食べ方が綺麗なだけで、ちゃんとした人のように感じるし、箸の使い方を気にする人は多い。僕は「羽賀研二は皿から食べ物を犬のように直接食べる」という話を聞いて以来(本当かどうかは知らないが)、羽賀さんに対して、そのイメージが抜けないのだ。
 僕だって、誰かの家にお客として招かれたときに、「その蓋を醤油皿にして」と言われたら、この家にとって僕は招かれざる客なのかと勘ぐってしまう。まあ、お客にパック寿司はまず出さないだろうけど、出前の寿司でも、「直接醤油かけて」と言われたら、やっぱり驚く。
 人は合理性だけでは生きられないというか、合理的ではないことをあえてやるのが「礼儀」とか「マナー」であり、相手を重んじていることだという事例は多いのだ。


 自分ひとりのときは問題ない、とは思う。
 そういう「合理性」が、親しみだと感じてくれる関係の相手の前でも、問題ないだろう。
(ただし、前述したように、それは時間によって変化することもある。相手によっては「いちいち小皿を持ってこられるのが嫌味っぽかった」なんて後に告白されることもあるので、人間関係というのは難しい)

 結婚相手としては、「お客さんが来たときには、ちゃんと醤油皿を出す人であってほしい」というのは、そのくらいの状況判断力がないと他人とうまくやっていくのが大変」というのもあるのではなかろうか。
 お客さんの前ではそんなことはしない、という人が大半だとは思うけれど、習慣というのは、ときに、「世間の常識」を自分のなかで歪めてしまうこともあるので、周りに誰もいないときでも、ちゃんとできていたほうが「安心」はできる。
 これもまた、そういう堅苦しい人は苦手、という意見もありそうだけれど。
 僕は真夜中に誰もいない交差点の赤信号の前に立つと、いつも悩んでしまう。
 

fujipon.hatenadiary.com


 「日常生活」っていうのは、合理性を突き詰めていくと、どんどん「彩り」とか「遊び」みたいなものが失われて、ただ時間をやり過ごしていくだけになってしまうような気がする。雰囲気とか気分って、大事だから。
 とはいえ、この御時世に手間暇かけてスローライフ、なんて言われても、それじゃ日常生活だけで人生終わってしまうだろう、と反論したくなるのだ。
 現代社会で、「合理性」と「充実したスローライフ」がせめぎあっている天王山が、ちょうど、この「パック寿司の蓋を醤油皿にしても良いのか」なのかもしれない。


 ちなみに、このくらいのことで、「結婚できない」なんてことは、まずありえない。お互いに盛り上がっている時期というのは、こういうのも「自分の前だからこそ見せてくれるリラックスした姿」と認識しがちだからだ。そうでもないと、なかなか結婚なんてできるものではない。
 ただ、うまくいかなくなったときに、こういう光景が「昔から、醤油の小皿も出さないあなたのガサツさが嫌いだった」に変換されやすいのも事実なのだけれども。


新装版 話を聞かない男、地図が読めない女

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