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いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「人間のゲーム」としての将棋の終焉

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下手の横好きではありますが、将棋ファンとしては、なんだかとても気になる話ではあります。
ただ、僕自身は関係者でもなければ、提示されている材料に決定的なものがあるわけでもないので、三浦さんが本当にそんなことをしていたのかは「わからない」としか言いようがない。
そして、こういう件に関しては、「わからない」というのは「推定無罪」だと考えています。


そもそも、こういう疑惑が成立するというのは、プロ棋士にも「コンピュータのほうが人間よりも強い」という認識があればこそ、だということなんですよね。
ファミコンの『内藤九段将棋秘伝』(セタ)の時代であれば、コンピュータを参考にするなんて、時間のムダ、だったわけで。
鍵のかかった部屋』(2012年)という、貴志祐介さんのミステリをテレビドラマ化したものの中で、女流棋士が将棋ソフトを使って不正をする、という話を思い出します。


僕がこの話を聞いて引っかかったのは、疑惑を持たれた人が、三浦弘行九段だったということなのです。
三浦さんは、人間とコンピュータの代表が5番勝負を繰り広げた『電王戦』の第2回(2013年)で、人間側の代表として出場し、最終戦で『GPS将棋』に敗れています。
その後しばらく、三浦さんはスランプに陥ってしまったそうです。


fujipon.hatenadiary.com


この本のなかで、ようやくスランプから抜け出したという三浦さんは著者にこう語っているのです。

「いろいろと心配してくださる方がたくさんいました。声を掛けてくださる方もいたし、目に見えない形で支えてくれた方もいた。自分一人だったら、もっと思いつめていたかもしれない。だから、皆さんの支えがもしかしたら今日の将棋につながったのかなと思います。そのことを忘れてはいけないと思っています。勝つことは最良の薬。生かすかどうかは今後の私次第です」
GPSは、プロに備わっている序盤の大局観を計算と読みによってカバーしています。私は人間ですからコンピュータと同じように考えてはダメだとは思うんですけど、最近では序盤の大局観さえも計算と読みによってつくり出せるんじゃないかと考えるようになりました。先入観を持ってはいけないですね」


 著者は、「ずっと私は、三浦が敗戦で失ったもののことばかり考えていた。しかしそれは違った。敗戦によって得られたものも、確かにあったのだ」と述べています。


 僕はこれを読み直して、考え込んでしまいました。
 三浦さんは、完膚なきまでに『GPS将棋』に敗れたことによって、コンピュータの実力を再確認したのと同時に、まだまだ自分も強くなれるし、そのためにコンピュータもうまく使って勉強する「覚悟」を決めたのだと、これを読んだときには思ったんですよ。
 でも、「人間はもう、コンピュータにはかなわない」という諦めに支配され、「どうせかなわないのなら、自分がコンピュータになってしまえばいい」と考えるようになったのだとしたら……


 現実的には、ずっとコンピュータの最強クラスの将棋ソフトの画面を眺めながらプロ棋士が対局するなんてことは不可能です。
 強いソフトを動かすにはそれなりの環境が必要ですし。
 もちろん、その解析結果だけをスマートフォンに送信することも可能でしょうけど、そこまでやるなんて、ありうるのだろうか。
 

 コンピュータ将棋ソフトは、終盤が圧倒的に強いといわれています。
 自由度が少なくなり、相手の玉を詰ませるという「答え」が近づくほど、コンピュータは人間に対して優位性を発揮するのです。
 持ち時間が少なくなっても焦って悪手を指すこともないし、コンピュータの「詰め将棋」は完璧です。
 逆に、まだ状況が混沌としている序盤にはまだ不安定なところがあり、人間の棋士とコンピュータの勝負では、「いかにして序盤にリードをつくり、そのまま逃げ切るか」が鍵となっているのです。
 あるいは、コンピュータのプログラムの癖やバグをうまく利用するか。


 今回の件について、僕が疑問なのは、「はたして、今の将棋の世界で、『人間の手』と『コンピュータの手』をクリアカットに分類することができるのか?」ということなんですよ。
 もちろん、「できない」からこそ、三浦九段へのペナルティはこういう形になってしまうのでしょうけど。


 最近のプロ棋士たち、とくに若手棋士たちは、コンピュータの「評価点」で形勢を判断したり、仲間内の研究会でコンピュータを使っていることが多いそうです。
 

不屈の棋士 (講談社現代新書)

不屈の棋士 (講談社現代新書)


 この新書のなかで、22歳の千田翔太五段は、こんな話をされています。

千田:ソフトとあれこれやってわかったのは、人間はやはり終盤力に問題があるということです。自玉がそれだけ安全か危険かを把握する能力が、ソフトに比べて著しく低い。以前からある程度わかっていることでしたが、あまりにも度が過ぎます。今後は終盤力の強化をとりあえず真っ先にやります。そのためには、ソフトの棋譜で「自玉がこの形でこうやったら大丈夫、こうやったら危ない」というのを評価値を見ながら抽出する。玉形を少しずつ変えてサンプルを増やす。それをたくさんやることで自玉の安全度を正確に把握する力がつき、終盤力が向上する。つまり人間的なミスが減るのではないかと期待しています。2016年の初めから3カ月くらい使って終盤を特化しようと考えています。


 現在はプロ棋士の多くが、コンピュータを使って研究をしており、それによって、これまでの定跡ではありえなかった手が、実は妙手だったというような発見がなされてきているのです。
 この千田五段のトレーニングをみても、いまの棋士は「強くなるために、コンピュータになろうとしている」ように僕には感じられます。
 昔(20年くらい前)の将棋ソフトは「人間らしい手を指す」のが目標だったけれど、今は、人間のプロが「コンピュータのような手を指す」ことを目指しているのです。


 おそらく、今回の件で、周囲の棋士たちにはこれまでのさまざまな蓄積があって、「人間なんだから、そんな最善手ばかり指せるわけがない」とか「これまでの人間の棋士の常識では、ありえない手だ」なんていう感覚があったのでしょう。
 それが事実であるならば、やはり、「疑わしい」のかな、とは思います。
 プロ中のプロのそういう感覚というのは、尊重されるべきだろうし、さらに、一人からの告発ではなかったとするならば。
 しかし、そこまでして勝とうとするものなのだろうか、カンニングという選択をするのなら、その時点ですでに「自分自身に負けている」のではないか……
 そもそも、今の人間の棋士が指す将棋は全体的に「コンピュータっぽく」なっているのです。
 
 
 これが行き着くところまでいくと、そこにあるのは「人間のゲームとしての将棋の終焉」なのかもしれません。 
 あるいは「遺恨試合!」みたいな見せ方をしていくしかないのか。
 まあ、チェスはコンピュータに絶対勝てなくなっても命脈を保っていますから、棋士がみんな失業、なんてことにはならないとは思いますが。


 これまでは、プロ棋士の最高峰の勝負では、大盤解説の担当者が、これだと、こっちのほうがちょっと良さそうですね……とか言いながら、駒を動かして、一緒に考えていたのです。
 さて、ここで名人や竜王はどう指すのか。
 ところが、いまはコンピュータが「正解」を出しているなかで、プロ棋士たちは、その「答え合わせ」をさせられている。
 僕のような素人でも「評価値」をみて、どちらが有利かを確認しながら、観戦しています。


 とりあえず、通信機器、コンピュータは持ち込み禁止、という措置は現時点では正解なのでしょう。
 ただ、これはもう、人間側が「負け」を認めた、ということでもあります。
 近い将来、コンピュータ将棋どうしの「名人戦」のほうが盛り上がるようになるのかもしれませんね。
 それが時代の趨勢だということはわかる、わかるけど……


人工知能は碁盤の夢を見るか? アルファ碁VS李世ドル

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こちらは随時更新中の僕の夏休み旅行記です。
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