読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

僕がブログを書くいちばんの理由って、きっと「これ面白いから、一緒にやろうよ!」なのです。

今週のお題「私がブログを書く理由」



こういう話は、けっこう何度もしているような気がするので、もう飽きた、という人はごめん。


僕は子どもの頃、死ぬのが怖かったのです。
真っ暗な世界に、ただ自分の感情だけが閉じ込められているような状態を想像すると怖いし、さりとて、電源を切ったみたいに、ぷつりと突然自分が無くなってしまうのも怖かった。
夜、寝てしまうと翌朝起きたときの自分は違う人間になってしまいそうな気がして、寝るのも怖かった。
プレステージ』かよ!とわからない人はわからなくて良いツッコミを自分に入れてみる。


とりあえず、死なない、というのは難しそうなので、何か生きている爪痕みたいなものを残しておきたい、というのと、こんなつまらない人間がそんな悪あがきはしないほうがいい、というのと。
僕は本を読んだり、テレビゲームをしたりするのが大好きな子どもであり、そのまま大人になったのだけれど、以前は「どんなにこうしていろいろ自分のなかに詰め込んでも、自分が死んだら、何も残らないんだよな」と思うことがありました。
読むこと、遊ぶことそのものは楽しいし、違う生き方ができたわけではないのだろうけど。


こうして10年以上かけてブログを書き続けるとなんだかもう、いけるところまでいくしかない、というか、もうこれは宿業みたいなものだな、と思っています。
以前は「ブログを書いている時間、英語の勉強をしていれば……」「研究をもっと頑張っていれば……」と後悔していたのだけれど、ブログを書かなかったら、他のやりたいことをやっていただけで、逆にいえば、「語学の勉強とか研究は、僕にとって優先順位が低かった」だけなのです。


まあ、しょうがない。
やらなかったことは、たぶん、できなかったことなんだ。
最近は、僕にとってのブログの更新って、即身仏になるために地下に埋められた人が、「まだ生きている」ということを周囲に知らせるために、定期的に鈴を、チリーン、チリーン、と鳴らし続けるようなものではないか、という気もしているのです。
とりあえず、鈴が鳴っているあいだは、生きています。


そんな悟り的なことを考える一方で、やっぱり、多くの人に読まれたいとか、褒めてほしい、という気持ちがないと言ったら嘘になるんですよね。
やたらと便利に使われている感じがする言葉「承認欲求」なのだけれど、昔から「自分はダメな人間だ」というコンプレックスが強かったので、その反動みたいに称賛を求めているところがあるのかもしれません。
しかし諸君、多くの人に読まれたいのならいいが、褒められたいのなら、『はてな』はやめておけ。
ただ、褒められたら褒められたで、これまでの経験上「自分を褒めるような人は、まともな人ではないのでは……」と身構えたり、ずっと褒めあい続けるような濃厚な人間関係にはすぐにくたびれてしまうので、こんなブログになっているのです。


まあ、自業自得というべきでしょう。
そもそも、僕自身にも、他の人からは理解不能であろう「逆鱗」みたいなものが少なからずあって、それで面倒事を引き起こしているのも事実です。
そういうのって、誰しも持っているもの、ではあるのだろうけれど。


いま、ブログを書いている理由のうち、もっとも多くの割合を占めるものは趣味というか、日々の娯楽、身近な生きがいとして、なのです。
「書こう」という意識を持つことによって、少しだけ、僕の日常はきめ細かくなっているのです。


fujipon.hatenablog.com
fujipon.hatenablog.com


そして、最近よく考えるのは「ブログを書く理由」なんて、それぞれの人が、いろんな割合で持っているものなのだろうな、ということです。日によって、その内訳が変わることもある。
僕は「PV」と「お金」の話ばかりする書き手が好きじゃないけれど、僕も「あーむかつく、もうやめよう(休もう)」というときに、「でも、毎月のちょっとした収入がなくなるのは、けっこう痛いな」なんて思うこともあるんですよ。
人に読まれるコンテンツじゃなくて、自分が書きたいことを書く、読みたい人だけ読んでくれればいい!
なんて言いつつも、カープネタやX68000ネタへのあまりの反応の悪さに寂しくなって、ついつい芸能ネタに「いっちょ噛み」しますし。
それでまた、芸能ネタのほうが圧倒的多数に読まれて、考え込んだりもするわけです。
僕はたぶん、チラシの裏には書き続けられない。
自分という人間の人生のなかで、これは書き留めておきたい、ということを絞り出す日もあります。
それが誰かのためになるのかどうかはわからないけれど、結局のところ、僕にしか差し出せないものって、僕の経験とか感情だけなので。


願っているのは、ほんの0.00001でもいいから、書くことによって、世の中を(全体として)少しでも良い方向に進めたい、ということです。
というか、それはすごく難しいかもしれないので、少なくとも、やたらと人を責める方には、向かわないようにしたい。


相変わらず意味不明のエントリになってしまいましたが、最近、こんな出来事がありました。
7歳の息子は、僕のスマートフォンで『妖怪ウォッチ』のゲームアプリ『妖怪ぷにぷに』にハマっています。
それで、しょっちゅう言ってくるんですよ。
「パパも、『妖怪ウォッチぷにぷに』やってよ、なんでやらないの?」って。
いやいやパパは別に『妖怪ウォッチ』にも、『ぷにぷに』にも、そんなに興味ないし、忙しいから……
でもさ、お前なんでそんなに、パパに『妖怪ウォッチ』やれやれって言うの?パパが遊んでも、お前には関係ないだろ?
「うーん、面白いから!パパも一緒に遊んでほしいんだよ〜」
協力プレーができるゲームじゃないんだけど、同じゲームを、体験を「共有」したいのかな。


僕がブログを書くいちばんの理由って、きっと「これ面白いから、一緒にやろうよ!」なのです。
長男よ、僕らはけっこう、似ているのかもしれないね。


死ぬのは、今でも怖いのだけれど、どちらかというと、最近は、子どもや妻に先立たれるのを想像するほうが怖い。
ブログだって永遠に残るようなものではありません。

d.hatena.ne.jp

この本を読むと、それがよくわかります。


「お前のブログはつまらない」
ごもっともです。
しかしながら、「つまらない、お金にならない他人の意思の垂れ流しが万人に読まれる時代」というのは、有史以来はじめてなわけです。
せっかくそういう時代に生まれたのだから、大目にみていただけるとありがたい。というか、見ないでいただけると、お互いが不幸にならずにすむはずです。


長い間書き続けていても、文章はまったく上手にはなりませんし、ブログ飯なんて夢のまた夢だし、老害とか言われるし、老眼や肩こりもひどくなってきてつらいかぎりですが、とりあえず、僕は鈴を鳴らし続けます。
(なんか死亡フラグが立ちそうな文章だな……)


プレステージ [DVD]

プレステージ [DVD]