いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

星岡茶寮での「魯山人のサービス」

『生まれた時からアルデンテ』という本で、こんなエピソードが紹介されていました。


 著者の平野紗季子さんと、空間プロデューサー・山本宇一さんの対談の一部です。

平野:魯山人がやっていた星岡茶寮では、給仕に若い女を好んで選んでたそうなんですが、彼女たちに客に対して一切媚びさせなかったっていう。お酌もしないしニコリとも微笑まない。でもそのかわりに正しく美しく完璧な所作で器を置いてゆくことを徹底したという…。


山本:店員がお客さんの下に入るようなサービスはありえない。僕にとって格好悪いってのは最大の矛盾だからなあ。


あの『美味しんぼ』の海原雄山のモデルとしても知られる、北大路魯山人
この「魯山人のサービス」の話を読んで、僕はなんだかとても清々しい気持ちになったんですよね。


僕自身のイメージとしては「サービス」って、愛想良く、ニコニコ笑顔で、お客様第一で、とか、そういう感じなんですよ。
でも、それが本当の「サービス」なのだろうか?


この「星岡茶寮の接客」って、「冷たくて、無愛想」な感じもしそうです。
給仕は、笑顔ひとつ見せてくれないし、お愛想も言わない。
しかしながら、その所作の美しさは、なかなか他では体験できないサービスです。
おそらく、料理が運ばれてくるたびに、張りつめた雰囲気が漂ったのではないでしょうか。


もちろん、これだけが正解ってわけじゃないのですが、「愛想よくすること」「お客のリクエストにできるかぎりこたえること」だけが「サービス」ではないのだな、と考えさせられました。


店員さんに馴れ馴れしくされるほど、仲が良いわけじゃない。
その一方で、あまりに慇懃すぎる接客のなかには、かえって「形式ばっかりで、相手の気持ちが伝わってこないような気がするもの」もあるのです。
僕自身は、堅苦しい料亭よりも、ちょっと大声を出さないと会話ができないぐらい賑やかな居酒屋で、放っておいてもらうほうが好きです。


それでも、こういう「媚びないで、やるべきことをきちんとやる」という「サービス」には、ちょっと憧れてしまうんですよね。


「若い女性に、無表情で、きちんとした所作をさせる」というのは、ある種のフェチというか、単に魯山人は「そういう趣味」だった可能性も否定できないんですけど。



生まれた時からアルデンテ

生まれた時からアルデンテ