いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

今日は、0-0の引き分けで「正解」だったんじゃないかな!

うーむ、0−0のスコアレスドローか……日本代表がボールを持っている時間が長かったし、ギリシャは途中でボランチの中心選手がレッドカード(1試合中にイエローカード2枚)で退場してしまったのだから、なんとかならなかったのかな……そりゃ、ギリシャはもうガチガチに守りを堅めていたし、相手ディフェンス陣に高さや接触プレイでの頑強さで勝つのは難しそうだったけど……とウダウダ考えていたんですよね、にわかサッカー観戦者としては。
そんななかで、試合を振り返っていた解説者が、こんなことを言っていたのです。


「日本としては、退場者が出て、11対10になって有利かと思ったんですが、結果的に、そのことがギリシャに徹底的にディフェンスを堅めさせ、こういう結果に繋がってしまったのかもしれませんね」


ああ、なるほどなあ、と。
初戦に負けた両チームとしては、ここは絶対に勝ちたい試合です。
というか、負けたらもうワールドカップ終了です。
とくに、最終戦がグループ内の強豪コロンビア相手の日本としては、ここで勝たないと厳しい。
ギリシャだって、当初は勝つつもりだったと思います。できれば点差をつけて。


ところが、ギリシャ側としたら、退場者が出て、数的不利な状況になってしまうと、いろいろ計算するわけです。
人数が少ない状況でも、思い切って攻めていったとしたら、勝てる可能性だってゼロではないが、相手に隙をつかれて負けてしまうリスクのほうが高いだろう、と。
ギリシャも日本も、ここで負けたら、グループリーグ敗退が決定です。
(本当はギリシャの場合、この試合で日本に負けても、最終戦でコートジボワールにすごい大差で勝って、日本がコロンビアに負ければ、通過できる可能性はあるのですが、現実的にはかなり難しい)


この試合が始まる前の状況は、コロンビアが2連勝で勝ち点6(得失点差+4)
コートジボワールが1勝1敗で勝ち点3(得失点差±0)
1試合しか行っていない日本が1敗で勝ち点0(得失点差−1)
ギリシャも1敗で勝ち点0(得失点差−3)


で、あらためて考えてみれば、ギリシャとしては、ここで1−0とかの僅差で日本に勝って、勝ち点3を加えても、コロンビアに0-3で負けたのがこたえていて(コートジボワールはコロンビアに1−2で負けています)、3戦目にコートジボワールと引き分けても、得失点差で決勝トーナメントには進めません。
(大差勝ちでなければ)日本戦に勝っても引き分けても、最終戦でコートジボワールに勝つしかないのです。
となれば、数的不利な状況で、「勝ちにいく」ことに、あまりメリットはない。引き分けで十分。
引き分けだと日本とは同じ勝ち点1で、得失点差でも不利ですが、最終戦の日本の相手はこのグループで無双しているコロンビアですからね……
0-0というのは、今日のギリシャにとっては「思惑通りの結果」だったはずです。


僕はサッカーに詳しくないのですが、今日の試合に関しては、少なくともコートジボワール戦より、日本代表は良い試合をしたんじゃないかと思いました。
あれだけガチガチに守られては、すごいフリーキックが決まるとか、相手に致命的なミスがみられたりしなければ、味方が一人多くても、そう簡単には点が取れないでしょうし。
ギリシャって、ディフェンスをがっちり堅めて、カウンターで隙をついて点をとってくるチームらしいので、この対戦は、ノーガードの打ち合いになる可能性は低くて、0−0のスコアレスドローっていうのは「いかにもありそうな試合結果のひとつ」ではあったのです。
ギリシャごときに勝てないなんて」と言えるほど日本代表は強くないし、ギリシャも弱くない。


この試合を観終えて、僕は元サッカー日本代表の福西崇史さんが書かれた『こう観ればサッカーは0-0でも面白い』っていう本の、こんな話を思い出しました。

 たとえばオウンゴールは、オウンゴールをした選手のミスだけでは生まれない。その選手が自陣ゴールに向かって全速力で走らなければならなかった原因は何か、そこに上げられたクロスを防ぐことはできなかったのか、そもそもクロスを上げられる位置までボールを運ばれてしまった原因はどこにあるのか。そうしてたどり着く発端からオウンゴールがスタートしていると考えれば、それを防げるタイミングがじつはいくつもあったことに気づくでしょう。どんな失点も得点も、切り取った”部分”だけではなく、組織”全体”の問題でしかありえないのです。


これはひとつの試合のなかでの話なんですが、今回のワールドカップ全体でいうと、今日の0-0が「悪い結果」になってしまったのは、「初戦のコートジボワール戦で勝ちきることができなかった、あるいは、せめて引き分けることができなかったから」なんじゃないかな、と。
失われてしまった可能性の話をしてもどうしようもないのですが、初戦に勝てていれば、今日の試合がスコアレスドローでも「上々の結果」だったはずです。
2試合で勝ち点4、ならね。


コートジボワール戦の試合終了時間が近づいてきたとき、解説の岡田武史前代表監督が、何度も「とにかくグループリーグは初戦が大事なんです。だから、ここでさらに失点するリスクがあっても、追いつくために積極的に動いたほうがいい」と言っていました。
あの試合の最後は、日本の選手も監督も「動きたくても動けない」状態だったのかもしれませんが、結局のところ、本当の「勝負所」っていうのは、初戦のコートジボワール戦だったんだろうな、と。


初戦で敗れてしまったがために、どんどん不利な状況に追い込まれながらも、「まだ奇跡の可能性はある!」って、どんどん「決勝トーナメント進出への条件」が厳しくなっていくなかで叫び続ける状況は、なんだか、とてもつらい。
だからといって、白旗上げて諦めるわけにもいかないし、その厳しい状況でも可能性に賭けることが許されるのが「スポーツの良さ」なんでしょうけどね。


そんなことを考えていたら、こんなツイートがあって。


各チームのグループリーグ最終戦へのモチベーションを考えてみると、たしかにそうなのかもしれません。
この「日本1-0コロンビア、ギリシャ1-0コートジボワール」っていう試合結果は「なんとなくありえそう」ですよね。
もし今日日本が勝っていたら、グループリーグ突破が絶望的なギリシャの3試合目は「思い出甲子園」みたいになって、控えのメンバー中心になっていたかもしれません。
そうすると、コートジボワールに大敗してしまう可能性も少なくない。
グループリーグ突破の可能性があれば、ギリシャは全力でコートジボワールを倒しにくるでしょう。
1−0でギリシャ勝利なら、あるかもしれない。
日本も、コロンビア相手であっても、出会い頭に1点とって、なんとかそのまま守り切ることは、できるかもしれない。
ああ、たしかに、今日は引き分けで「正解」だったんじゃないかな!
まさに、塞翁が馬、です。


……というように、人というのは、絶望的な状況であっても、案外希望を見出してしまう生き物のようです。
それは美点でもあり、そのために諦めきれずに被害を拡大してしまうことがあるのも事実なんですが。
今回のワールドカップ前に、ギリシャコートジボワールに僅差で勝つことと日本がコロンビアに勝つことが同時に起こると主張している人がいたら、「そりゃちょっと希望的観測にすぎるんじゃない?」と多くの人が思うはずです。
かなり日本びいきに考えて、どっちも30%の確率で起こるとしても、それが同時に起こるのは、9%でしかありません。
でも、こういう状況に実際になってみると、「それが起こる可能性」を信じることが正しい、という空気みたいなものができあがってくる。
「諦めない力」って、恐ろしい。


「まだ希望はある」「諦めるな」って、前向きなようでいて、「本当に勝負すべきだったポイント」や「問題点」から目を逸らしてしまうこともあるんじゃないかな。


正直、3戦目まで可能性だけでも残っていて、観る側としては楽しみが残ってよかったな、と思ってはいるのですけどね。