いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』を意固地になって語ってみるよ。

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率直に言うと、これを読んだ時点では、「遊んだこともないのにこんなふうに書くなんて、なんか感じ悪いなあ、この『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』って、僕にとっては、すごく面白いゲームだったのに……くらいだったんですよ。
でも、こういう形ででも、評価の割には売れなかった(とされている)このゲームが、いま、話題になっているのは、ちょっと嬉しくもあったのです。
ブックマークコメントをみても「自分は買ったけど、面白かった」という声がたくさんあって、ああ、仲間がこんなにいたんだなあ、と。


ただ、僕自身の考えとしては、「このゲームを自分は遊んでいない」と公言して、こういう文章を書いているのは、「不用意だし不躾だが、悪質な人ではないのだろうな」というのがありました。
ゲームレビューのなかには、明らかに自分で遊んだこともないゲームを、他所のサイトなどから切り貼りして「自分が熱心にプレイした感想として」書かれたものもあるので。


こういうふうに「自分は遊んでいないけれど」「ネットで動画をみて」「Yahooで検索をして」って明示してあれば、「ああ、そういうのだけで、特定のゲームのことについて語ってしまうような人なんだな、ふーん」と、こちらも判断するだけのことです。


そもそも、「タイトルだけをみて、そのゲームとか音楽とか小説の内容を勝手に想像して語ることに特化してみるという戦略」というのも、ブログとして、アリといえばアリ、だろうし。


ところが、その後の展開は、なんだか残念なものになっていきました。


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僕としては、「昔のゲームのことをあれこれ思い出しながら検索していたら、ちょっと面白そうなものを見つけたから、『いっちょ噛み』してみたんだよね。気を悪くした人がいたらごめん」みたいな感じで収束していくのかな、と思っていたのです。
そうであれば、ここまで荒れなかったのではなかろうか。


ところが、これを読んでいると、「まあ、このゲームを採り上げてくれただけでもよかったんじゃないか」と思っていた僕も、何これ?という気分になってきたんですよ。

何度でもいいます。
僕はこのゲームを駄作扱いしてなどいませんし、
このゲームがゲームユーザー対象ではなく、あくまで一般を対象とした場合
作品の認知度は低い。知名度が低いけどもっと知られて欲しいから
このゲームをブログ記事で紹介しました。


いや、「駄作扱い」はしてないですよ、確かに。
でも、「知名度が低いけどもっと知られてほしい」っていう、紹介者の「情熱」は、あの感想を読んでも僕にはまったく伝わってきませんでした。
どこかから切り貼りしてきた「情報」が羅列してあるだけで。
(まあ、遊んでいないんだから当然ではあるけれど)


それならそれで、「ちょっと面白そうだったから、見つけたものをネタにしてみた」で良いじゃないですか。
ブログって、そういうものなのでしょう。
(あえて言っておきますが、僕は違います。毎回じゃないですが、けっこう怨念をこめて書いてます)

僕の記事は「サブカル」とは語っているものの
目指しているものはかつてその時代にあったけど
殆どの人に忘れられているもの、さほど知られていないモノ。
アニメやゲームに漫画、食品、テレビ番組、歌謡曲。そういう
雑多な分野で記憶力を頼りに目当てのものを探し当てて
紹介しながら自分なりのクロニクルを作るのが目的のひとつです。


で、思い入れもなくて、断片的な知識だけであれこれ語ることに罪悪感も抱かないようなものの「自分なりのクロニクル」って、何の意味があるんですか?
地味でもさ、拙くてもさ、「実際に触れてきたもの」を書いてくれたほうが、ずっとずっと魅力的なのに。


こういうのが、「謝ったら死ぬ病」なのだろうか。
いや、すべてのエントリを全力投球で書く必要なんてないし、資料をきっちり集めて100%正確に、なんて息苦しいことを言うつもりはないです。
そんなこと言われたら、僕も困ります。


ただ、それをあえてネタとしてやっているのでなければ、コンテンツに対して実際に観たり読んだり遊んだりしないで言及したり、(とくに悪い方の)価値判断をするというのは、やっぱり、そのコンテンツを愛する人にとっては不快だと思うのです。


この騒動(と言うほどのこともないのですが)をみていると、いまのネットで話題になるコンテンツの「残念さ」が集約されているのではないか、と考え込まずにはいられません。


雑な採り上げかたと、後付けの過剰な自己正当化には、確かに苛立ちます。
でもさ、これに言及する側も、もうちょっとこの波をうまく利用すればいいのに、と思うんですよ。
この人をブックマークコメントでガンガン叩いても、「気に入らないヤツをギャフンと言わせてやった!(レトロ感を重視した表現)」というだけで、少しスカッとするだけです。


もし、本当に『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』を名作だと思っているのなら、こんな「遊んだこともないような人の感想」に振り回されるより、自分にとって、『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』がどんなに面白かったかを、語るべきではないのだろうか。
いや、そんなめんどくさいことしたくない、というのもわかるんだけど、そのほうが、よっぽど「このゲームのためになる」のではないかな。
少なくとも、「誰かが叩かれている姿をみて、そのゲームを遊びたくなる」人よりも、「誰かが面白さを語っているのを読んで、遊んでみたくなる」人のほうが、多いと僕は思う。



多くのネットでの諍いが、こんなふうに、「気にいらないものを叩く」ことに終始して、後に何も残らないことが、僕はとてもせつない、もったいないと感じています。こんな大きなエネルギーを、もっと有効利用できないものか。



以下、10年前に書いた、このゲームをリアルタイムで遊んだときの僕の感想を再掲します。

 正直、僕は全然このゲームに期待していませんでした。
 いまさら、「金八先生」?チュンソフトもこんな中途半端なキャラものを作るくらいだったら、「街2」か「かまいたちの夜3」でも作ったほうが気がきいているのになあ…という感じで。もし、「ファミ通」でプラチナを取っていなければ、スルーしてしまった可能性が高いと思います。
 発売されてすぐの時期は軒並み売り切れていて、僕が入手したのはしばらく経ったのちだったのですが、実際に遊んだのは数日しかない夏休み。しかも、事故で車が大破し、ひたすら憂鬱な数日間に、家に篭ってこのゲームをやっていたのです。
 でも、これを夢中でやっていたおかげで、かなり気分的には救われました。ほんと、このゲームはなんだか「救われるゲーム」なんですよ。


ストーリーは、病気で1年間休職することになった金八先生の代わりに桜中学校に赴任してくることになったのがプレイヤーで、さまざまな問題を抱えた生徒たちと接しながらストーリーを進めていくのですが、実際にプレイヤーができることといったら、基本的には1日に4回の行動で、それぞれの生徒がいそうな場所に行って「会う」ことと、会話によって入手した「カード」を登場人物にぶつけてリアクションを引き出すことだけです。


このゲームのすごいところは、あまりにスムースすぎてかえって目立たないアニメーションやフルボイスで喋るキャラクター、ほとんどゲームオーバーにならないくらいものすごく親切で、次に行くべきところを示してくれるシステム(でも、ところどころシビアなところはありますが)、そして、快適な操作性などたくさんあるのですが、いちばんの魅力は、ほんとにもうベタベタなんだけど思わず感動してしまうようなストーリーだと思います。「そんなにうまくいくわけないよ」と内心ツッコミつつも、ゲームというのは不思議なもので、小説だったら「ありえねー」と叫んでしまうような展開も、けっこう素直に受け入れられてしまうものですし。SF調の話もあれば、コメディタッチの話、シリアスな話とバリエーションもありますし、理想があれば現実もあって、挫折があれば希望もある、そんなショートストーリーたち。


そして、たぶんこのゲームは、中学生や高校生がやるよりも、社会人がやったほうが面白いという気がします。主人公と、副担任・広沢りん子先生の微妙な関係には「そうそう、『先生』って、子供の立場からみるとすごいオトナみたいだけど、実際に自分がその年齢になってみると、先生だって、いい意味でも悪い意味でも「人間」なんだよなあ」とか考えこんでしまいますし。ごく当たり前のことなんですが、先生たち同士にも「人間関係」があるんですよね。
 みんな自分の事情や感情があるし、いくつになっても悩んだり迷ったりしながら生きているんだよなあ、ってつくづく思いました。


期待した「ザッピングシステム」があんまり意味がなかったり、全員分のストーリーが揃っていなかったりするのはやや残念ではあるのですが、本当にストレスなく遊べますし、懸念された武田鉄矢さんの説教もあんまりイヤミじゃないですし(「バカチン!」とかいうのも、ゲームで聞くと、なんだかいい感じなんですよ)、ストーリーのバリエーションも豊かだし、「金八先生なんて…」という大人の諸兄にこそ、ぜひぜひ遊んでいただきたいゲームなのです。
 「才能開花システム」とかけっこうめんどくさいし、生徒全員に「仰げば尊し」を歌ってもらうのは至難の業ではありますが、極めようとしなくても楽しめるゲームなんですよこれ。
 なんだか、「明日もがんばってみようかな」という気分になるし。
 まあ、このゲームに対する好感度というのは、結局、りん子先生が好きになれるか、にかかっているのではないか、とも思うんですけどね。


ちなみに、このゲーム、現時点(‘04年11月)では、まだ7万本くらいしか売れていないそうです。「ファミ通」の浜村編集長も嘆いておられましたが、なんだかとってももどかしい話。
 それとも、オッサンにしかウケないゲームなのかな…


 もう10年以上前に書いたものなのですが、このゲームって、チュンソフトの「サウンドノベル」の新展開+集大成的なものとしてつくられたものだったのです。
 チュンソフトサウンドノベルは、『弟切草』『かまいたちの夜』がスーパーファミコンで話題になり、それなりのセールスをあげたのですが、次世代機(サターン/プレイステーション)で満を持して発売した『街』は遊んだ人の評価がものすごく高かった割に、セールス的には、あまり芳しくなかったのです。


 『街』について、当時は「難易度が高すぎたのではないか」とか、「キャラクターが実写で、実在の役者さんが演じていたのを、サウンドノベルのファンは受け付けてくれなかったのではないか」とか、「そもそも、アドベンチャーゲームというジャンル自体が、もう駄目なのではないか」とか、いろんなことが言われていたんですよね。
『街』が、ゲームとしては、本当に素晴らしかったがために、「なぜ?」と疑問に感じていた人も多かったのです。


そこで、チュンソフトがさらにお金と技術、時間をかけて開発したのが、この『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』だった。
ゲームとしては、前述の感想に書いたように、操作を簡略化し、わかりやすく、1回のプレイ時間が短くても遊びやすくし、キャラクターはアニメ調+有名声優を大勢起用、興味を持ってくれる人の裾野を広げるために、「先生もの」のなかでも抜群の知名度を誇る『金八先生』を題材にして、「サウンドノベル」あるいは「アドベンチャーゲーム」というジャンルそのものの「メジャー化」を狙った、野心作だったんですよ、これ。
ゲームとしても、すごく面白かった……はずなのですが。



にもかかわらず、期待したほど、お金をかけたほどには、売れなかった。
おそらく、かなりの赤字になってしまったのではないでしょうか。


家庭用ゲーム機の「一般向けのサウンドノベル」「ゲーマーではない人向けのサウンドノベル」を開拓しようとしてのだけれど、残念ながら、受け入れられなかったのです。


僕はゲーム業界の人間ではないので、実際のところはわからないのですが、僕の感覚では、「サウンドノベルというジャンルと、アニメ絵の『金八先生』というのは、なんだかマニア向け+若者向けっぽくて、テレビの『金八先生』を好んでみているような年齢層、趣味層とは乖離していた」し、ゲーム好きにとっては、「なんでいまさら『金八先生』のゲームなんだ……ゲームの中でまで、説教されたくないし、興味ないなあ」だったのではないかと。


ものすごく良心的な作品なんですけど、テレビの『金八先生』を好んでいた視聴者にとっても、サウンドノベルを愛好していたゲーマーにとっても「食指が動きにくいゲーム」になってしまった。


このゲームが、もうちょっと売れていたら、『サウンドノベル』や『アドベンチャーゲーム』は、日本でもうちょっと盛り上がって、面白い作品が出てきたのではないか、とは思うんですよ。
のちに、『428』とか『シュタインズ・ゲート』のような傑作も登場し、多くの人を魅了してはきたのですが、『かまいたちの夜』やプレイステーションの『ダブルキャスト』あたりから試みられてきた、「より広い年齢層に、テレビドラマのように楽しんでもらえるアドベンチャーゲーム」への試みが頓挫してしまったのは、この『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』の(セールス的な)失敗が大きかったのではないでしょうか。
チュンソフトサウンドノベルは、さまざまな形で移植やリメイクをされ、遊び継がれているのですが、この『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』は、その後、振り返られることもなかったのです。
スマートフォンで遊ぶにはちょうど良いゲームのような気がするけれど、題材が『金八先生』という有名コンテンツであるがゆえに、版権関係とかが高額とか複雑になってしまっていて、移植やリメイクもやりにくくなってしまっていると思われます。


そういう意味では、

「買う、買わないはともかく多くの人の興味は集めるでしょう。

 僕はこのゲームを買わなかったけど」

という、id:arrow1953さんの言葉は、「こんなに良いゲームなのに、なぜ売れなかったんだろう?」と思っている僕のような「実際に買って遊んで、面白かった人間」にとっては、実に耳に痛いというか、こんな感じで、結局、このゲームって、みんなに遊んでもらえなかったのかもしれないな、とも感じるものではありました。
見た目の印象とか、『金八先生』への先入観にとらわれず、手にとって、実際に遊んでみてくれれば、もっともっと面白さが多くの人に伝わったはずのゲームなのに。
 

あの「感想」を読んで苛立つのは、たぶん、『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』がゲームの歴史のなかで、作品のデキほどの評価を得ていないことへのもどかしさがあるからなのかな、とも思うのです。


もっと世間的に「名作」というコンセンサスが確立されているゲーム、『スーパーマリオブラザーズ』『ドラゴンクエスト3』とか、『ファイナルファンタジー10』とかであれば、ああいう雑な扱いに対しても、「なんかしょうもない感想書いている人がいるなあ、まあ放置放置」で済んでいたのかもしれません。



3年B組金八先生 伝説の教壇に立て! 完全版

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