いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「しあわせのかたち」を見つけるということ

桜玉吉さんの話ではありません。



「しあわせ」って、何なのだろう?
いろんな人の暮らしぶりや思っていることをネットで眺めて、自分を振り返ってみると「さて、しあわせって、どういう状況、あるいは精神状態のことなのだろう?」あるいは、「どうやったら、しあわせになれるのだろう?」なんて、ふと、考え込んでしまうことがあるのだ。


岡部幸雄という騎手がいる。
武豊騎手に更新されるまで、歴代最多勝の記録を持っていた名手だ。
岡部さんが騎乗していた馬にシンボリルドルフという馬がいた。
ルドルフは、日本競馬史で最強とも称され、皐月賞日本ダービー菊花賞の三冠に、天皇賞有馬記念ジャパンカップと、名だたるG1レースを制した名馬だった。


その岡部さんが、ルドルフについて、こんな話をされていた。

 ルドルフには、競馬というものを教えてもらった。ルドルフという完璧なサラブレッドの背中を知ることができたおかげで、その後の騎手人生で他の馬に乗ったとき、この馬はルドルフと比較して何が欠けているかという『引き算の発想』ができるようになったんです。


ああ、なるほどなあ、と、なんだかすごく腑に落ちた。
努力をしても、うまくいく人と、がんばってもなかなかうまくいかない人がいる。
僕、「がんばっているつもりなんだけど、なかなかうまくいかない側」の人間で。
その理由の一つは、「目標というか、自分の完成形みたいなものをイメージできていなかったこと」にあったのだろうな、と、最近になって、ようやく気づいたのだ。
岡部さんは、シンボリルドルフを「基準」にして、「足りないところを調教で伸ばしたり、乗り方を工夫したりする」ようになった。


実際のところ、僕にも、「しあわせになりたい」とか「もっと良い人生を送りたい」という「望み」はあった、いや、あるんですよ。
でも、それはただ、今の状態に満足できなくて、「ここではないどこか」を、夢想していただけだった。


「お金持ちになる」のであれば、そのための手段を設定することはできる。
「仕事で成果を挙げる」「家族のために時間を使う」のであれば、やるべきことの優先順位は見える。


あらためて思うのは、「できる人」というのは、目標設定がちゃんとしている人なんだろうな、というだ。
「こういう状況にあるのが、自分にとってのひとつのゴールなのだ」というものが見えていなければ、「努力」しているつもりでも、迷走しているだけ、になってしまう。


ただ、「目標を設定する」とか「完成形をイメージする」っていうのは、案外難しい。
岡部さんのような名手でも、ルドルフに縁あって出会うまでは「完璧」というものが、わからなかったのだから。
その出会いがなかったら、漠然と、「そのレースを上手に乗る」ことだけを意識続けるばかりだったのかもしれない。


人生の早い時期に、「岡部幸雄にとっての、シンボリルドルフのようなもの」に出会うことができるかどうか、というのは、やっぱり「運」がある。
世の中には、そういう幸運にめぐまれない人間のほうが多いのだから。


正直、「ロールモデル」みたいなものを決めてしまうのは、怖いものがある。
それがあると、「自分の力不足」を認識せざるをえないし、自分の人生のゴールを設定してしまうのは、なんだか寂しい。
それを考えなければ、「無限の可能性」を信じているフリができるのだし。


それでも僕は、「自分の人生を、現状からの足し算ではなく、ゴールからの引き算で考えてみる」ことを、ちょっとだけオススメしてみたい。
僕はずっとそれができなかったし、今もできていない。
だからこそ、これを読んでいる人に、同じ轍を踏んでもらいたくはない。


「しあわせになるための、いちばんの近道」って、「何がしあわせなのか、自分で決めること」なのではないだろうか。
その定義も持たないまま、溜息ばかりついていても、きっと、どこにも辿り着くことはできないのだ。