いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「もう少し面白い文章を書きたい人」に、読んでみてほしい7冊

前回、「うまい文章」について考えてみたのですが、「文章の書きかた」って、考えれば考えるほど、よくわからなくなってくるのです。
僕は「文章術の本」を書店で見かけると、つい購入してしまう、「自分では拙い文章しか書けないけれど、文章術の本を読んで『その気』になるのが好きなワナビーブログ野郎」なんですよね。
そこで、どこかで誰かがこの僕の屍を越えてくれることを願って、「文章」を書くことに興味がある人へオススメしたい7冊を御紹介します。



おとなの小論文教室。 (河出文庫)

おとなの小論文教室。 (河出文庫)

以下は、この本のなかで著者が紹介されていた、画家の横尾忠則さんのデザイナー時代の「おはぎ」というエピソードです。

 日本デザインセンターでのぼくの暴力沙汰はもう一つあった。
 …いつも3時になると皆んなでおやつを買ってきて食べるのが半ば一日の慣習みたいになっていた。
 ある日ぼくが外出から帰ってきたら、
 部屋の中央の大きい作業机を囲んで
 全員でおはぎを食べている最中だった。
 ぼくはいいところへ帰ってきたと思い、
 早速舌なめずりしながら座に加わった。
 ところがぼくは人数に入っていなかったのか、ぼくの分がなかったのだ。
 ぼくがここにいる誰よりもおはぎが好きなのは周知のはずである。
 ぼくは完全に仲間外れにされたという疎外感に逆上してしまった。
 その時ぼくに対して不謹慎な笑みを浮かべたのが植松国臣だった。
 ぼくは一瞬生かしておけない奴だと思って、
 いきなり植松さんに飛びかかっていった。
 が、上手くスルリと身体をかわされ、ぼくは床に思いっきり叩きつけられる格好になってしまった。
 もうこうなったら全身の血は逆流、
 細胞の一つ一つが怒りの火の玉と化してしまった。
 眼から涙がワッと噴き出した。
 泣きながら何やら喚いているぼくの姿を見た彼は危険を察知したのか、
 真青になって廊下に飛び出してしまった。
 ぼくは獲物を追う野獣のように彼に飛びかかっていった。
 だけど通りがかった「日本鋼管」のチーフの木村恒久
 背後からがっちりと羽交い締めにされてしまった。
 あとでぼくと植松さんの喧嘩の原因を知った連中は
 皆んな大笑いしたようだが、
 ぼくにとっては
 これ以上の純粋行為はなかったのだ。

                   (『横尾忠則自伝』文藝春秋から抜粋)


 著者であるズーニー山田さんは、この文章に対して、
「じゃ、何が書いてあったか、極力短く! 一文で言ってみてください」
 という「課題」を出すのです。


 ズーニーさんは、「ありがちな答え」として、

日本デザインセンターでの暴力行為は、ぼくにとってはこれ以上ない純粋行為だった。

 というのを挙げておられますが、僕も同じ問いを試験問題として出されたら、おそらく、「日本デザインセンターでの(おはぎをめぐる)暴力行為は」と少し付け加えるくらいの解答をすると思います。


 でも、ズーニーさんはこの文章から、【「自分の中からわきあがってくる印象に忠実である」という芸術家の覚悟を感じ】て、

 僕は、人から笑われようと、子どものような純粋さで衝動に突き動かされる瞬間こそ尊いと思う。

 という一文にまとめられています。
 ちなみに、この文章を読んだ糸井重里さんは、こんなふうに要約されたそうです。

 ぼくはおはぎが好きだ!

 これを読んだ僕は、思わず手を打って喜んだわけです。ああ、さすがは糸井さんだなあ!って。


 でも、今になって冷静に考えてみると、ちょっと違和感があるんですよね。
 「ぼくはおはぎが好きだ!」って、本当に「要約」なのでしょうか?
 率直に言うと、これって、「要約」ではないと僕は思うんですよね。もちろん、この文章から、横尾さんの「おはぎ愛」は痛いほど伝わってくるのですが(というか、こんなエピソード、よく記憶していたなあ、と)、これを「おはぎが好きだ!」にしてしまうのって、かなり「偏った約しかた」だとしか言いようがありません。
 それでも、多くの人は、この糸井さんの「言葉の力」に惹きつけられるのです。それはもう、要約として「正しい」とか「正しくない」とか、そういう問題ではないんですよね。
 要するに、読者は、「日本語として正しい文章」を読みたいわけではないのです。



この本の中での最初の講義で、高橋さんは、スーザン・ソンタグの「若い読者へのアドバイス」を学生たちに紹介しています。

 検閲を警戒すること。しかし忘れないこと――社会においても個々人の生活においてももっとも強力で深層にひそむ検閲は、自己検閲です。

このスーザン・ソンタグの文章は本当にすばらしいもので、機会があれば、この部分だけでも立ち読みしていただきたいくらいです。

 2005年4月から、わたしは明治学院大学で「言語表現法講義」という授業を行っている。タイトルはいかめしいが、簡単にいうなら「文章の書き方」だ。

 わたしは、学生諸君に、わたしが好きな「文章」を読んでもらう。それから、なにか課題を出し、学生諸君に、「文章」を書いてもらう。そして、それらの「文章」について、学生諸君といろいろ話し合う、というか考える。それが「言語表現法」の内容だ。

 もしかしたら、それはありふれた授業なのかもしれない。少し工夫があるとしたら、わたしは、学生諸君の「文章」に一切手を加えないようにしていることだ。いわゆる「添削」はしないのである。

 おかしいじゃないか、といわれるかもしれない。「文章の書き方」を教えるなら、それこそ、手をとり、足をとり、少しでも「良い文章」になるように、学生諸君を指導するべきではないのか。

 わたしは、そうは思わないのだ。だが、その理由を説明することはむずかしい。


(中略)


 10年以上前のことだ。わたしは、小学校5年生たちに「文章」を教えたことがある。というか、教える必要なんてまったくなかった。まったくもう、驚異的な「名文」のオンパレードだった。ところが、そんな「名文」を書くことができた小学5年生たちが、中学に進学すると、彼らの書く「文章」が下手くそになっちゃうのである。あんなに元気溌剌としていた「文章」たちが、気息奄々、病人みたいになっている。それもこれも、「背筋を伸ばして!」といいすぎるからだ。教えれば教えるほど、「文章」は下手になる。だから、わたしは、できるだけ、教えないようにした。それが、「名文」へと近づく、唯一の道ではないだろうか。

 「教えれば教えるほど、文章は下手になる」か……



いますぐ書け、の文章法 (ちくま新書)

いますぐ書け、の文章法 (ちくま新書)

この新書、著者が堀井憲一郎さん。ちょっと意外だったんですよね。
美文というよりアイディアや切り口、調査力が売りの人気コラムニストが、どんな文章法を紹介しているのだろう、と。

 うまい文章を書こうと悩んでいる人たちの解決法はただ一つである。
 その解決法を、この1冊で開示していこうというわけだ。


 いきなり答えを書いておきます。


 うまく書きたいとおもっているのに書けない場合、どうすればいいのか。
 うまく書きたいとおもわなければいい。
 ちょっと禅問答みたい。でも、そうなのだ。
 細かくいうと、「”うまく書きたい”とおもっている意識そのものに問題があるので、それをちゃんと取り除けばいい」ということになる。
 結論はそういうことです。
 具体的にどうすればいいのか、このあと述べていこうとおもいます。

 要するに、こういう内容が書いてある新書なわけです。



心を操る文章術 (新潮新書)

心を操る文章術 (新潮新書)

心を操る文章術(新潮新書)

心を操る文章術(新潮新書)

著者は、ゴーゴリの『外套』や、ゲーテの『若きヴェルテルの悩み』という歴史的名作を例示しながら、「泣かせる文章」について、こう仰っています。

 悲しい話は、くどくど語ってはいけない。老婆の繰り言ではないのだから。乾いた文章で端的に語ったほうが、その悲劇性がよく伝わるのである。
 感情に流されて書く譫言(うわごと)のような文章は、人を泣かすことができないのだ。

 「泣かせようとする文章や映像」のなかには、クドくなりすぎているというか、あまりに制作側の「泣かせようという意思」が溢れ過ぎていて、かえって引いてしまうものが多いのです。


 そら泣け、ほれ泣け、と言われれば言われるほど、「悲しい話なんだろうけど、ねえ……」と、「泣かせようとしている人のしたり顔」ばかりが浮かんでしまうこともあります。


 本当に悲しい話なら、むしろ、淡々と。



小田嶋隆のコラム道

小田嶋隆のコラム道

小田嶋さんは、書くためのアイディアについて、こんなことを仰っています。

 アイディアの場合は、もっと極端だ。
 ネタは、出し続けることで生まれる。
 ウソだと思うかもしれないが、これは本当だ。
 三ヵ月何も書かずにいると、さぞや書くことがたまっているはずだ、と、そう思う人もあるだろうが、そんなことはない。
 三ヵ月間、何も書かずにいたら、おそらくアタマが空っぽになって、再起動が困難になる。


 つまり、たくさんアイディアを出すと、アイディアの在庫が減ると思うのは素人で、実のところ、ひとつのアイディアを思いついてそれを原稿の形にする過程の中で、むしろ新しいアイディアの三つや四つは出てくるものなのだ。


 ネタは、何もせずに寝転がっているときに、天啓のようにひらめくものではない。歩いているときに唐突に訪れるものでもない。多くの場合、書くためのアイディアは、書いている最中に生まれてくる。というよりも、実態としては、アイディアAを書き起こしているときに、派生的にアイディアA’が枝分かれしてくる。だから、原稿を書けば書くほど、持ちネタは増えるものなのである。

 これは、ほとんど毎日ブログを更新している僕も、わかるような気がします。

 ネタって、「寝だめ、食いだめ」と同じように、「とっておく」ことが難しいんですよね。

 時間がたくさんあれば、自然に「貯まるようなものでもありません。



この『つらいことから書いてみようか』という本の冒頭に、こんな話が書かれていました。

 はじめに作文が大嫌いになった児童の話をしておきたいと思います。
 児童といっても、僕の後輩のAさんが小学五年生の頃、国語の時間に体験したことです。
 その日の国語は作文でした。先生は「何か良い行いとしたことを書いてください」と言いながら、黒板に「善行」と書きました。
 Aさんは風呂に入った後、洗面用具をきちんと片づけて出たところ、次に入ったお父さんが、「気持ちよかったよ」と喜んでくれたことを綴りました。
 でもAさんは、これからずっと風呂場を片づけなければいけないのかと思い、作文の終わりにこう書き添えました。
 「風呂場をきれいにするのも、毎日はしんどいと思います」
 Aさんは正直に書いたわけですが、先生に「こんなにも家族を喜ばせることができるなら、毎日しようと思います」と書き直されたそうです。
 「あれ以来、作文は苦手というより嫌いになった」と言うAさんは苦笑まじりにこうも言いました。
 「先生ですから直されてもいいんですが、心にもないことを書かれると、どうでもいいやって気になるでしょ。そのときは何も言えませんでしたけどね」
 Aさんとは逆に、先生にほめてもらえそうなことを、ついいい子になって書いてしまう子もいるようです。ですが、子どもが本心を隠して文章を書いて、文章が好きになることも、また自分自身を好きになることもありません。心に正直に書けないのなら、書かないほうがましです。
 子どもの文章の良否は、何といっても正直に書かれているかどうかです。大人の意見や考え方に左右されることなく、見たまま聞いたまま、あるいは考えたとおり、思ったとおりのことがうそ偽りなく書かれている。そんな作文にこそ、最大級のほめ言葉をかけてやってほしいのです。

 子どもの作品を読む側として、これは注意しなくては。



創作の極意と掟

創作の極意と掟

創作の極意と掟

創作の極意と掟

この本、「創作の極意」というタイトルなのですが、「全く文章が書けない人が、これを読むと書けるようになる」というような内容ではありません。

「創作」にもとから興味があって、いろいろやってみてはいるのだけれども、どうも壁を破れない、そんな人に、ちょっとした気付きを与えてくれる、そういうタイプの本です。

オビには、町田康さんや伊坂幸太郎さんの推薦の言葉が載せられているのですが、こういう人たちが読むと、「なるほど!」と思うことがたくさん書いてあるのだろうなあ、と。

そういう意味では、僕もこの本の内容をちゃんと理解できている自信はないのです。

 長年文学賞の選考委員をやってきて、特に新人や若い作家には、ご本人が気づいておられないらしいことに筆者が気づき、教えてあげたいがその機会がないということが多く、ぜひともこの文章から何か役に立つことを得ていただくか、やるべきでないことを知っていただきたいものだ。


「小説作法」に類するものを何度か求められたのだが、いつもお断りしてきた。小説とは何をどのように書いてもよい文章芸術の唯一のジャンルである。だから作法など不要、というのが筆者の持論だったからだ。しかるに今このようなものを書こうとするのは、従来の小説作法にはない。そして他の作家や作家志望者に教えてあげることができそうな、そして小生のみに書けそうなことがたくさん浮かんできたからである。だからこれは、本来の意味での小説作法ではないことを知っておいていただきたい。内容も従来のお作法本とはだいぶ異っていて、各項目では多く、今までにあまり書かれることのなかった事柄を取りあげている。


 というわけで、思いつくままに、7冊挙げてみました。
 歴史的観点からみれば、谷崎潤一郎さんや三島由紀夫さんの『文章読本』が無いのはおかしい、と思われる方も少なくないでしょうが、今回は「いまの時代における読みやすさ」を考慮し、割愛させていただきました。


 正直、「これを読んだだけで、すごい文章を書けるようになる」っていう「文章読本」なんて、無いんですよね。
 僕なんか、目についた「文章術」の本を片っ端から読んでいるにもかかわらず、こんなもの、ですからね……
 なので、「ノウハウ本」というよりは、「文章を書くことに関して書いてある、僕が読んで面白かった本の紹介」になってしまっていることを、お許しください。