いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「やりたいことを仕事にすれば我慢しなくていい」って言う人たちについて

bunshun.jp


 半世紀くらい生きてきてわかったのは、お金をもらえる「仕事」には、2種類しかない、ということです。


 ひとつは、みんなができないこと。
 もうひとつは、みんながやりたくないこと。


 ものすごく大雑把に考えると、この2つしかないのです(みんなができなくて、しかもやりたくない、という合わせ技もあるのですけど)。


 僕も野球部で1年生は球拾いのみとか、寿司屋で何年も皿洗いとかいうのは、不合理だし、旧いシステムだなあ、と思うのです。球拾いをしたって野球が上手くなるわけでもないし、皿を洗っても、美味しい寿司が握れるとは思えない。
 ただ、野球部とかでも、本当にすごい選手は1年生でも、全盛期のPL学園夏の甲子園に出場していたので、おそらく「例外」みたいなものはあるのでしょう。寿司屋はどうかわからないけれど。


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 「下積み」って、ほんと効率が悪いですよね。
 ただ、何年も、というのは極端としても、最初に通過儀礼として、ある程度の「めんどくさいし、役に立つかどうかわからないような作業」を一定の期間やらせてみる、ということにも、それなりの意味はあるような気がするんですよね。


『キャッチボール~ICHIRO meets you』(「キャッチボール~ICHIRO meets you」製作委員会著・糸井重里監修)という本のなかに、こんな話が出てきます。

イチローこれね、大事なことなんですよ。
 僕がよく小さい子に言うのは、「野球がうまくなりたかったら、できるだけいい道具を持ってほしい。そしてしっかりとグラブを磨いてほしい」ということと、「宿題を一生懸命やってほしい」ということ、なんですね。
 宿題をやる意味は、宿題そのものだけではないんですよ、実は。
 なんでぼくがそれを大事だと思っているかというと……大人になると、かならず上司という人が現れて、何かをやれ、と言われるときがくると思うんですね。
 子どもにとっていちばんイヤなことは、勉強することなんです。
 よっぽど勉強が好きな人はおいておいて、キライなことをやれと言われてやれる能力っていうのは、後でかならず生きてきますよ。
 ぼくが、宿題を一生懸命やってよかったなと思うのは、そこなんですね。
 プロ野球選手という個人が優先される場所であっても、やれと言われることがものすごくあるわけです。だったら、一般の会社員になって、そんなことは毎日のことのはずです。だから、小さい頃に訓練をしておけば、きっと役に立つと思うんです。
 やれと言われたことをやる能力を身につけておけば、かならず役に立つ。
 「自分は野球が好きだからそれだけやっていればいいや」といって宿題を放棄してしまったら、おそらく、後で大変な思いをすると思うんですよね。

 
 もちろん、犯罪とか人の迷惑になるようなことでも、やれと言われたらやる、というわけじゃありませんが。
 社会で生きていくうえで、こういう「やりたくなくても、やるべきだと判断したことはやり通せる能力」って、ものすごく大事なんですよね。
 向上心をもって、技能を磨いていく、というのはもちろんなのですが、仕事や人生のさまざまな場面で、人は「忍耐力」を問われます。
 調子が良いとき、気分が乗っているときには、すごいパフォーマンスを見せるけれど、すぐに飽きてしまったり、投げ出してしまったりする人って、けっこう多いのです。
 やる気の有無や真面目さ、だけではなくて、発達障害的なものを抱えている人もいる。
 そういう人が、「勉強ができる」ということで、対人援助職(教育とか医療とか公務員とか)についてしまうと、本人にとっても、お客さんを含む周囲にとっても、不幸だとしか言いようがありません。


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 多くの仕事の場では、「絶好調のときは100の成果を出せるけど、ダメなときは0」という人よりも、「そんなにピークは高くないけれど、毎日職場に来て、60から70くらいの結果を出し続けてくれる」人のほうが重宝されるのです。
 よほどの料理の天才であれば、「気乗りしたときだけ、少数の客に高価な料理を出す」ことも可能かもしれませんが、「オーダーストップ直前に来た客に露骨にイヤな顔をする」とか「調子が悪いときには、激マズ料理を出してしまう」ような店員は、一般客相手のサービス業としてはリスクが高すぎます。「出勤してくるかどうかわからない」とかになると論外なわけで。


 ああいう「下積み」みたいなのは、「多少の不具合や気分の変動に適応できて、仕事で安定したパフォーマンスを続けられるかどうか?」を確かめるためのテストという面もあるのではないか、と僕は思うようになりました。
 もちろん、仕事の内容にもよるし、何年間の皿洗いとか1年生はみんな球拾い、みたいなのは「やりすぎ」というか、本来の目的を見失って、どんどん過剰になってしまった例だとは思いますけど。「つまらない仕事だから、やりたくない、やれない」という人もいるのかもしれない。
 ただ、僕がみてきた多くの事例では「つまらない仕事をうまくやれない人が、重要な仕事になったら素晴らしいパフォーマンスをみせる」ということはほとんどありませんでした。
 むしろ、できる人は、つまらない仕事のなかにちょっとした改善点をみつけたり、自分なりに楽しむことが上手なんですよ。


 このあいだ、ミッドライフ・クライシスの話のときにも書きましたが、人生って、本当に「めんどくさい」との絶えまない闘いです。


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 この話って、「あの」山口達也さんが発した(しかも本人はオフレコのつもりだったと思うので、それはちょっとかわいそうなんですが)言葉」ということで、ネガティブに受け取られてしまいがちだと思うのですが、個人的には、「ジャニーズの超人気アイドルのメンバーでも、こういう「正直だりぃ」と思うような仕事をやらなければならず、実際にがんばってやっていたのだ」ということに、ちょっと感銘を受けてもいたんですよね。
世の中の仕事って、大部分の従事者にとっては「正直だりぃ」ものではないかと。
でも、それは言わない約束、なんだよね。
そうじゃないと、ギスギスしすぎてしまうから。
「なんでオーダーズトップギリギリの、もう片づけはじめている時間に来るんですか」とか「朝からずっと具合悪かったのに、夜中の1時になって救急外来?」とかは、面と向かっては言わないのが暗黙の諒解なわけです。
今の世の中では、それをネットにボヤいたら相手や第三者に責められて炎上、みたいなことが少なからずあるわけで、まさに「沈黙は金」としか言いようがないわけですが。
その一方で、救急外来のコンビニ受診とかは、マスメディアやネットで第三者が問題提起してくれるようになったことで、多少なりとも世の中に知られるようになったのです。


ちょっと違う話になってしまうかもしれませんが、僕が冒頭のエントリを読んでいて思い出したのは、小学校高学年のとき、家にマイコン(シャープX1という機種でした)がやってきてからしばらく、『I/O』とか『マイコンBASICマガジン』とかに掲載されているBASICのプログラムリストを一日中キーボードから手で打ち込んでいたことでした。


このブログみたいな、自分で考えたことを入力するのは、それはそれでけっこう楽しそうじゃないですか、もちろん、向き・不向きはあるでしょうけど。
でも、雑誌のリストをそのまま打ち込むなんて行為が、楽しいはずがないんですよ、基本的には。


にもかかわらず、当時の僕は、「めんどくさいなー」って思いながら、それを日曜日を一日つぶして延々とやっていたのです。
結果は「シンタックス・エラー」の連発で、動かなかったり、どうしてもエラーが直らず匙を投げていたら、何ヵ月後かにそのプログラムの掲載ミスが報告されて愕然としたりで、あまり成果があがったとは言い難いのですけど。
あらためて振り返ってみると、その場では楽しいとは到底思えないようなことでも、それをやり遂げたときに得られるであろう成果への期待感もあったし、めんどくさいと思いつつも、本心ではけっこうそのキーボードを叩くとプログラムが完成に近づいていくプロセスそのものが「快感」だったのですよね。


やりたいことやなりたいものへの道は、楽しいことばかりでできているわけではないし、すぐ楽しいものは、そんなに長くは楽しめない。


「やりたいことを仕事にすれば我慢しなくていい」って言う人たちに対して、僕が好感を抱けないのは、そういう主張を(主にネットで)している人の多くが、本当は「やりたいことを仕事にしてはいない」からなのです。


一部のプロブロガーの皆様とか、「やりたいことを仕事にしている」とアピールしているのですが、収入源は「もうバブルが弾けてしまっている可能性が高い(それは彼らもよくわかっているはず)仮想通貨を売りさばくこと」や「出会い系サイトの紹介」「やっつけ仕事だとしか思えないようなサロン」や「大手のメディアでは売り物にならないような半端な文章の有料note」なわけです。


「金融に無知な人々を『儲かりますよ!』って煽って、金融商品としては旬をすぎている仮想通貨を売りつける」とか、「危険が高い出会い系サイトに誘導する」のが、「やりたいこと」って、どんな人格破綻者なんだろう。虎になった隴西の李徴に食われてしまえ!
やりたくないけど、カネのためにやっている、というのならば、そんなの「自由」じゃないし。


 彼らの「やりたいこと」「実際にやっていること」は「自由に生きる」というのではなくて、「どんな卑劣な手段を使って他人を犠牲にしても、自分がたくさんお金を稼げて、多くの人にちやほやされたい!」ということにしか見えません。
 ネットでは「言っていること」と「やっていること」が混じってしまいがちだけれど、サロンに入会手続きしたり、仮想通貨に手を出す前に、彼らが「言っていること」と「やっていること」を、一度しっかり分けてみたほうがいい。


 たとえば、世界中を旅行してそれをブログや本にして稼いでいたり、ゲーム好きが高じて実況者になったり、好きな、得意なジャンルのものを極めていくなかで、おすすめのものを紹介してお金にしたりするのは、まさに「やりたいこと、好きなことを仕事にしている」のだと思います。
 でも、彼らの多くは他者に「やりたいことを仕事にして、自由に生きよう」なんて他人にはアピールしません。そう簡単に真似できることじゃないし、楽しくても、ラクじゃない(ことも少なくない)から。競争も激しい。
 イチロー選手やTOKIOだって、「生きていくうえで、本当にやりたいこと、実現したいこと」を成し遂げるために、「だりぃ」のを我慢してやっているのです。


 まあ、こういうことを書くと、「イチロー選手やTOKIO、そういう特別な人たちと比較されても困る」って言われると思うんですよ。
 そう言いたくなるのもわかるよ。僕だって、特別な人間じゃなくて、カープの試合と『ゲームセンターCX』だけが愉しみで生きているようなオッサンなので。


 でも、イチローTOKIOじゃないからといって、仮想通貨を買ったり、プロブロガーの下僕になる必要もない。
 お金はたくさんあったほうがいいけれど、夢見が悪くなるような稼ぎかたをしても、大部分の人は、いずれ破滅するだけです。


 個人的には「好きなことだけして生きる」よりは、「なるべくイヤなことはしないで、こじんまりと生きる」ほうが現実的ではないかと考えているのです。
 イケダハヤトさんは、2012年に『年収150万円で僕らは自由に生きていく』っていう本を出しているんですよ。
 僕はこの頃のイケダさんの発想には「なるほどねえ」と思うことが多かったのです。
 今の世の中って、ひと手間かけたり、ちょっと古かったり、ネットの無料(定額)サービスをうまく使ったりすれば、楽しめるもの、価値あるものにたくさん触れられるし、食費もかなり安く抑えられますから。
 でも、そんなことを言っていた人が、5年半くらいで、こんなに変わってしまうというのは、「カネの魔力」というのは恐ろしいものなのだと思い知らされます。


 最後にひとつ、「仕事」に関して、10年前に書かれた文章をご紹介しておきます。


『月刊CIRCUS・2008年3月号』(KKベストセラーズ)の特集記事「春の転職シーズン到来・採用責任者はココを見ていた!~人事部長に訊け」より。


(『エンゼルバンクドラゴン桜外伝』の作者である、漫画家・三田紀房さんが語る「入社後を見据えた『ドラゴン桜』式転職術!」の一部です)

 私自身は「転職は非常にリスクの高い行為だと思っています。転職について、取材や情報収集をしていて感じることは、ほとんどの人の転職理由は、本当は「人間関係」なんですよ。「給料が安い」とか「職場環境が悪い」とか、みんなそれなりの理由を言うんですが、よくよく本音を聞いてみると、人間関係をきっかけに辞めようと考える人がほとんどなんです。
 確かに良好な人間関係があれば、よそで一から始めようという決心はしにくい。人間というのは、酷い状況下でも、仲間の存在があれば我慢できるんですね。逆にどんなに給料が良くても、仲間に恵まれないと辞めたくなるんです。
 そしていったん辞めたくなると、自分の可能性を試したいとか、チャレンジしたいとか、成長したいとか、ポジティブな理由を後付けして、決意を固めていくんです。
 でも本音は人間関係です。そこを認識しないまま、次の職場に行っても、自分の理想の人間関係が築けるという保証はどこにもない。次の職場でもギクシャクすれば、また辞めたくなる。それが職場を転々と替える原因になっているようです。
 でも、辞めたいものは、辞めたいですよね(笑)。だから転職は絶対ダメだとは言いませんが、辞める前にもう一度自分を見直してみる必要はあるんじゃないかな。単純に人間関係が理由なら、良好な関係になるよう努力してみるのもひとつの考え方だと思います。
 人間関係のトラブルの原因って、ちょっとした生活習慣なんです。
 机が汚いとか、時間にルーズとか、つき合いが悪いとか。世間一般が共有しているルールから外れると、急激におかしくなる、自分が気づいてない部分で人に不快感を与えてるかもしれません。そこを改善するだけでも人間関係って変わりますよ。


 「職場での人間関係に問題がある」というのを「仕事が好きじゃない」のだと自分に言い聞かせている事例って、けっこう多いと思うんですよ。
 変えるべきなのは、仕事ではなくて、自分自身の生活スタイルや人との付き合い方、なのかもしれません。


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年収150万円で僕らは自由に生きていく (星海社新書)

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