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いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

究極の「マンガモンスター」高橋留美子先生の肖像

togetter.com


 コミックスが累計2億冊ですよ高橋留美子先生。
 1978年デビューだそうですから、もうすぐ漫画家生活40年か……
 僕が小学生の頃、『うる星やつら』のコミックスを読み、アニメを観ていたものなあ。
 『めぞん一刻』は、同級生が「これはすごい!」って熱心に薦めてきたのですが、僕はずっと「恋愛もの」が苦手で(いまでもあんまり好んで読むことはないんです。お前ら二人だけの話より、歴史ものとかのほうがいいや、とか思ってしまう)、「響子さ〜ん!」とか言っている連中の気が知れず……だったのですが、後に読んでみて、「こんなにすごい『人情の機微』みたいなものを描いたマンガだったのか!」と驚かされました。
 まあでも、今だに、あだち充先生とかの作品にも「あんな幼なじみの女の子とかいねえよ!」とか言いたくなるんですよね。
 いないからこそ、フィクションに価値があるんだけどさ。


 ベテランになっても描き続けている大御所はけっこういるのですが、高橋先生の場合は、ずっと週刊漫画雑誌というフィールドで戦い続けているのはすごいことです。


 もう10年前、2007年の4月発行の『QJ(クイック・ジャパン)・vol.71』で、高橋先生の特集が組まれていました。

 
 この特集のなかで、『めぞん一刻』の担当編集者であった鈴木総一郎さんが、こんなエピソードを語っておられます。

 時代の転換期、ということで印象深かったのは、やっぱり青年誌のマンガで恋愛を扱うなら、性的なことが浮上してくるじゃないですか。高橋さんもそれは重要だと思われたようで、<五代くん>は<響子さん>と結ばれる前に、”経験”しなければいけないのではないか、という話になったんです。編集サイドとしては単純に、<五代くん>の最初の相手は<響子さん>だろうと思っていたのですが、<響子さん>は年上の未亡人なんだから、できるだけ対等に一人前の男として接して欲しいというのが高橋さんの意見でした。そこで悪友の<坂本>と一緒にソープランドに行ったことをほのめかす朝帰りのエピソードが生まれたんです(103話「犬が好き Part2」)。その話が雑誌に掲載された時、読者からの批判的な反応がものすごかったんですよ(笑)。しかも、ほとんどが男のコ。その時、バージン信仰というものは、いつの間にか女性から男性のものへと移ってしまったんだなと実感しました。その意味でも『めぞん一刻』は、のちに登場する、女性作家のリアルな主観を反映した恋愛マンガの先駆と言えるかもしれません。当時は少女マンガを卒業したあとに読める大人向けの女性マンガ誌はまだなかったですしね、このへんも『めぞん』に女性読者が多かった理由かもしれません。

 

 この『QJ』には、「トップを走り続ける最強の少年マンガ家~高橋留美子・15000字インタビュー」という記事がありました。取材・文は渋谷直角さん。

 それともう一つ感じたことは、「人気を取ること」へのコダワリだ。唐沢俊一氏が、デビュー直後の高橋留美子にファンレターを送ったという。「これからどんどん売れてくると、描きたいものと作品が乖離していくと思うので、お身体にはご注意下さい」といった内容だった。すると高橋留美子からの返事はこうだ。「私は売れたいと思ってこの業界に入った人間なので、絶対に潰れないからご安心ください」。(月刊『創』2006年11月号より)


高橋留美子「すげえ、私(笑)。つうか、こえ~(笑)。全然忘れてますね(笑)。そうか、そんなことも書いていたか……。でもね、間違いないです。やっぱりね、私はマンガは売れた方が良いと思うんです。それはイコール楽しい、面白いってことじゃないか、っていうのがあってね。わかる人がわかってくれればいいとか、同人誌じゃないと描けないネタがあるとか、そういうのは嫌なんですよ。そうじゃなく、自分がすごい描きたいものを一般誌で描いて、大勢に読んでもらったほうがいいじゃん、っていうのはすごい思ってたし、今でも変わってない」


 そりゃもちろん、売れる方が良いに決まってるとは思うが、高橋留美子からそれを言われると凄みが違う。説得力が違う。ではなぜ、高橋留美子のマンガは売れるのか。いつまでも古びず、何度でも読めるのか。


高橋「そうだな。私のマンガは気楽に読めちゃうからじゃないですかねえ。バカバカしい話が多いんでね。疲れてても、スルスルッと読めちゃう。子供が読める気楽さっていうのは、自分としてはすごく大事なことなんですよ。だから子供が成長して、これから思想的なマンガに行くにせよ、まずはその、ベーシックなものを読んで訓練するのも良かろうし、とかね。変なことをしてもしょうがないし。疲れないで読めるものを目指しているんですよね。マンガは楽しければいいって思うから。


 以前、高橋留美子さんの担当編集者だった、有藤智文さん(現・小学館週刊ヤングサンデー』副編集長)からみた「マンガ家・高橋留美子」。

 とにかく高橋先生は、本物のプロフェッショナル。四六時中マンガのことを考えながら、メジャーなフィールドで優れた作品を極めてスピーディーに作り上げる。マンガが本当に好きで一所懸命だから、『うる星』はアニメ版も盛り上がって、別のファン層も生まれていったんですけど、そちらのほうは基本的にノータッチでした。
 もちろん天才ですけど、それ以上に努力家なんですよね。もう、仕事を休むのが大嫌いな人で。この間、『1ポンドの福音』を単行本にまとめるために、『ヤングサンデー』で完結まで集中連載したんですけど、その時も『少年サンデー』の『犬夜叉』の週刊連載を休まなかった。『うる星』を描いている頃は、並行して連載している『めぞん一刻』を描くことが息抜きで、『めぞん一刻』の息抜きは『うる星』だとおっしゃってましたからね(笑)。


 羽生善治さんは「チェスが趣味」だそうで、そんな普段の仕事と同じようなことが息抜きになるのだろうか?なんて僕は思ったのですが(ちなみに、羽生さんはチェスもかなり強いそうです)、高橋留美子先生の場合は、マンガというジャンルの中で、違う作品を描くことで「気分転換」になってしまうのです。
 「『うる星やつら』の息抜きが『めぞん一刻』を描くこと」って、サラッと言っておられますが、現場は余裕綽々ではないはずで、この人は本当にマンガを描くために生まれてきた人、「マンガモンスター」なんだなあ、って。
 でも、『めぞん一刻』で、五代くんの「経験」について妥協しなかったように、「非日常の世界を描いているようで、ある種のリアリティは譲らない」という絶妙なバランス感覚を持っている人なのでしょうね。
 ただそれは、「生活者としての実感を描いている」というより、「面白いマンガのためのリアリティを追求している」ようにも感じます。
 

 2007年にこれを読んだときには、「中堅研究者のような中年女性」が、こんなマンガモンスターであることに驚いたのですが、10年後もこうしてコンスタントに最前線で勝負し続けているとは。
 この2007年の特集のなかに、『めぞん一刻』で、雨の中、響子さんが五代くんをビンタするシーンが掲載されていたのですが、その1コマだけで、「この人は別格!」って感じがしたんですよね。ロングショットで描かれている2人、「パン!」という音、そして、そのコマの中央下に挿入された2人それぞれのアップの表情。
 本当に「うまいなあ!」って。
 情熱やキャラクターの魅力だけではなく、優れた演出力や技術に裏打ちされているからこそ、こうして長く売れ続けているのでしょうね。
 そういえば、うちの長男も『境界のRINNE』のアニメが好きで、ずっと観ているのです。
 僕が『うる星やつら』のアニメをリアルタイムで観ていて、同じ人がいま連載している作品を、僕の子供が観ているのって、すごいことですよね。