僕は四半世紀(25年)くらいインターネットで文章を書き続けているのだけれど、正直、書きたいこと、書けることがどんどん減ってきたというか、僕のモチベーションも世間のニーズも下がってきている、というのを感じています。
ブロガーはChatGPTに勝てない?
かつて、ブログは個人の発信力を象徴する場だった。独自の視点、経験、語り口によって、無名の人が影響力を持つことも珍しくなかった。しかし今、その風景は急速に変わりつつある。AI、特にChatGPTのような大規模言語モデルの登場によって、「情報発信」の価値が根本から揺らいでいる。
ChatGPTは、瞬時に読みやすく整った文章を出力する。SEOを意識した構成、最新のトレンドを盛り込んだ内容、読者の関心を引くタイトル案まで、数秒で提案可能だ。対して、ブロガーはリサーチに時間をかけ、文章を推敲し、更新に何時間も費やす。スピードと効率で見れば、AIの圧勝である。
しかも、AIは感情的にならず、疲れず、ミスも少ない。アクセス解析から導かれるキーワードを機械的に処理し、24時間いつでも「量産」が可能だ。こうしたAI記事が量・質ともに検索結果を埋める中、個人ブロガーが太刀打ちするのは容易ではない。
それでも、情報を伝えるだけのブログは淘汰されるだろう。ChatGPTに勝つには、AIでは模倣しきれない「人間そのもの」を武器にするしかない。そう、もはや“情報発信”ではなく“自己表現”が、ブロガーに求められているのだ。
では、ブロガーは絶対に勝てないのか? 答えは「YesでありNo」だ。AIが苦手とするのは「個人のリアルな体験」や「失敗の中の感情」など、唯一無二のエピソードだ。読者が共感するのは、意外にもそうした“生の声”だったりする。つまり、テンプレートではない「人間らしさ」にこそ、ブロガーの勝機が残されている。
この引用の文章は、「ブロガーはChatGPTに勝てない、というコラムを1000字以内で作成して下さい」とchatGPTに依頼したらすぐにアウトプットされてきたものです。
人間、とくに専門家が自分の専門についてネットにものを書く以外で、生成AIに勝てる部分があるとすれば、それはもう「その人自身の経験」「個人の感想」しかなくて、ある意味、個人ブロガーというのは、パソコン通信からインターネット黎明期に回帰していくしか無いのかもしれません。
お前らの武器はもう、「人間くささ」だけなんだよ!とChatGPTに「説得」される時代になっている。
上記の引用文を読んで、これがChatGPTで作成されたものだと即座に判別できる人がどのくらいいるのだろうか?
「人間らしさ」とはいうけれど、「人間らしい自己表現」「生の声」っぽさ、なんていうのも、かなりChatGPTは装備してきている。
むしろ、一昔前に人間が書いていた(と思われる)「いかがでしたかブログ」のほうが、よほど、僕が思い浮かべる「AIみたいな文章」だった。
もはや、人間のブロガーなんていうのは絶滅危惧種で、AIが書いた文章を、AIがディープラーニングで進化させていき、人間はそれをただ受け取るだけ、になっていくしかない。
そんなことを考えていたのだけれど、人間のブロガーにしかできない役割というのが、まだ残されているということに気付いた。
それは「批判したい人、叩きたい人たちのサンドバッグになること」だ。
僕は長年、ネット上で、「他者が書いたものの粗探しや、書かれていないことを見つけ出して、批判する立場になることに特化した人たち」に、うんざりしてきました。
その一方で、僕自身も、SNS上で「Switch2当選した!」みたいな書き込みを見つけると、なんで僕には当たらなかったんだ……と苛立ち、発言者をブロックしまくった。
別に当選した人に罪があるわけでもない、自分の贔屓の球団が負けたからといって、はしゃぐ相手チームのファンが悪いことをしたわけではありません。
そういうのって、SNSなどで「可視化」されてしまうと、「見ることに耐えられない」のも事実なのだ。
そりゃ、勤務先で目の前の人がそういう話をしていても、「そうですか、良かったですね!」と作り笑いを浮かべるくらいの社会性は半世紀かけて身につけてきたが、ネット上の僕は「いちいちイライラするより、なるべく関連の話題には関わらないように、見ないようにしよう。『耐える』くらいなら、ブロックして不可視化しよう」としたのです。
でも、もしこれらの書き込みが「AIによる自動生成」だったとしたら、ここまで心が波打つだろうか?
率直にいうと、AIにムカついても、相手には感情がないのだから、批判しても「のれんに腕押し」だよな、と、腹を立てるのも虚しくなってしまう。
もう10年近く前に読んだ本なのですが、「人間好き」が思っているよりも、「対人コミュニケーション」のめんどくささに辟易している人は多いのです。
この新書では大阪タカシマヤの接客アンドロイド「ミナミ」についても紹介されています。
ミナミは服を売っているのですが、販売員としての成績は優秀で、高齢者や男性に対しては、人間よりもいい成績を出しているそうです。
お客さんは、ミナミとタブレット端末のディスプレイに表示される選択肢を選んで会話するのですが、基本的な選択肢の数は4つで、そのうち1つは「そんなこと言うて、また買わそうとして」というようなネガティブなものになっているそうです。
なぜなら、そういうふうに相手にネガティブなことを言うと、大部分の人は負い目を感じて、「フォロー」しようとして、罪滅ぼしに服を買うことを検討するようになるから。
人間対人間ならわかるのだけれど、対アンドロイドでも、人間にはそういう傾向があるのです。
対人だと、そう簡単にはネガティブ、攻撃的な言葉は投げつけられないけれど、相手が機械だったら大丈夫だろう、と選択してしまったあとに、やっぱり後悔してしまうんですね。
しかしこれだけでは、ミナミの方が人間の販売員よりも好成績な「売上」までを達成できる理由を説明できない。なぜなのだろうか。
ふつう、僕らが服屋に行った場合、人間の店員に話しかけるのは、あるていど服を買うという意志をもって行動しているときである。言いかえれば、店員に話しかけることは「その服を買わなければならない」というプレッシャーにつながっている。しかしたとえば試着して気に入らなかったときや、よく見たら似合わなかった場合には、断らなければいけない。むこうは売るのが仕事だから、似合っていなくても「お似合いですよ」と言って買わせようとするかもしれないし、あれこれいらないものまで薦めてくるかもしれない。それを断る必要を想像してしまうと──非常にめんどうくさい感覚をおぼえる。
ところがアンドロイドに対しては「ロボットだし、イヤなら無視すればいい」と人間は思う。だからほとんどのひとは、ミナミに話しかけることに抵抗がない。いつでも断れると思っている。逆説的だが、断れると安心しているからこそ、積極的に買い物にのぞめるのだ。人間相手に服を選ぶさいには抱く抵抗感が、ミナミを前にすると薄くなる。こうした心理状態にあることは、アンケート調査に裏づけられている。
もうひとつ面白いのは「アンドロイドは嘘をつかない」という信頼感である。
10年経つと、「アンドロイド慣れ」してしまって、販売実績も変化しているかもしれませんが、「相手がAIだから(感情を持たないから)気楽」という面と、「感情を持たない相手には、こちらの感情も揺さぶられない(スリルがない)」という面があるのではないかと思います。
でもまあ、実際のところ、ディスプレイ越しの文字での会話とかだと、もうすでに相手が人間だかAIだか、すぐに判別するのは難しいレベルになってきています。
「ひどいことを書いている」と苛立っている相手は生成AIだった、という状況は、しばしば見られている可能性があります。
逆に考えれば、「元々ファンがたくさんいる有名人」というような属性を持たないブロガーが、これから果たせる役割は「傷つく生身の人間として、ストレスをぶつけたい人たちのサンドバッグになる」くらいしかなさそうです。
「AIいじめたって、楽しくないからな。やっぱり人間相手じゃないと」という、嘆かわしいネット民を刺激するようなことをあえて発信して、「傷ついたり、怒ったりしてみせる」こと、いわゆる「炎上商法」だけが、「人間のブロガー、とくに無名のブロガーにとっての存在意義」になりつつあります。あとは、多くの人に読まれる、受け入れられることは諦め、ChatGPTの数多の「学習対象」のひとつとして、ネットの「集合知を構成するプランクトン」であることを受け入れていくしかない。
個人的には、みんながそれぞれ『ドラゴンクエスト』の主人公みたいな立場で、バーチャルな世界の「主役」として、その人だけの世界を生きて、死ぬ、みたいな人生でも、それはそれで良いのではないか、とも思っています。
AIの進化は、そういう「自分にとって都合のいい『人間らしさ』をエミュレートしたAIに囲まれて、人間どうしの接触が減っていく世界」を志向していくのではなかろうか。
「人間らしさ」とは何だろうか、と僕は考え続けています。
人は山に登ると「大自然はいいなあ!」と感嘆するのですが、この場合の「大自然」では、毒蛇や熊との遭遇や落石、雪崩、トイレ事情はスルーされます。それもまた「大自然」と不可分なもののはずなのに。
嫉妬も裏切りも不倫も戦争もみんな「人間らしさ」の一部なわけで、絶対にスキャンダルを起こさない人気芸能人は、絶対に事故が怒らないサーカスと同じくらい退屈ではないでしょうか。
だからって、不倫とか戦争をやれって言っているわけじゃないですからね、念のため。
(こういうエクスキューズを入れてしまうから僕はダメなのかもしれない)
この文章をここまで読んでくださったあなたは凄い。
人間が、AIが、というけれど、ほとんどの人は、わざわざネットで長文(僕にとっては、このくらいは「中文」くらいなんですが)をちゃんと読まないので。
むしろ、「個人ブロガーを癒して、『人間らしい反応』をしてくれるAI読者」のほうが今の時代には必要かもしれませんね。
いや、もしかして、もうこのブログもAIしか読んでいないのかな……








