いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

目黒考二(北上次郎)さんと『本の雑誌』のこと


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 目黒考二さんの突然の訃報には驚きました。
本の雑誌』創刊時の主要メンバーだった目黒考二さん、椎名誠さん、沢野ひとしさん、木村晋介さんのことを、僕は大学時代(いまから30年くらい前)に読んだ椎名誠さんの『哀愁の町に霧が降るのだ』から、『新橋烏森口青春篇』『銀座のカラス』『本の雑誌血風録』『新宿熱風どかどか団』と、ずっと読み続けていて、それぞれ個性的な4人の友情と悪戦苦闘を追いかけていたのです。

 椎名さんは、「冒険」には程遠いけれど、「冒険小説」は好きだった僕にとっての憧れの男でした。
 そして、就職先で椎名さんと出会い、本の話題で意気投合したものの「仕事するよりも本を読む時間がほしい」ということで会社をやめてしまった目黒さんのことは、「本がこんなに好きで、競馬も大好きで、あなたは僕ですか」と感じることが多かったのです。

 それには、「椎名誠という『行動の人』と偶然出会えたからこそ、趣味でつくっていた書評の本が、『本の雑誌』という売り物になり、それで食べていけるようになった、という目黒さんの幸運への羨ましさや嫉妬心も少し混じってはいるのだけれど。

 ただ、僕は目黒さんほど、ただ本を読んで生きて、死んでいくことを受け入れられなかった、その覚悟の差は大きかったとあらためて思います。
 そして、椎名さんのリーダーシップの元で、男だけで焚火をしに行ったり、冒険をしたりする「怪しい探検隊」にも憧れていました。
「釜炊きメグロ」か……体育会系とは程遠そうな目黒さんや沢野さんも、一緒になって参加して、それぞれの役割を果たしているのが、また心地よいのだよなあ。

 椎名さんの本で初期のころの話を読むと、『本の雑誌』はボランティアの学生たちが共感してくれる書店に直接配本し、それが少しずつ広がっていって、現在のような商業誌になっていった経過が書かれていて、「一筋縄ではいかなかった」ことがわかります。
 昔から、大手新聞には「書評欄」があったし、純文学の世界では仲間で集まって「それぞれの作品への品評会」みたいなものをやっていたようですが、SFやミステリなどのエンターテインメント系や専門書、海外文学などの書評でつくられた雑誌が、商業ベースで続けられる、というのを証明してみせた『本の雑誌』は本当にすごかった。

 僕が大学生の頃、ネット書店普及以前には、『本の雑誌』は僕が住んでいた地方書店には取扱店がありませんでした。
 福岡の天神コアにあった紀伊国屋書店でホンモノを見つけたときには、けっこう感動したものです。これが『本の雑誌』か!いやしかし、素朴なつくりの雑誌だなあ、と。
 雑誌文化華やかなりし1990年代も今も、『本の雑誌』は無骨な装丁で、「プロの書評」を載せ続けているのです。
ダ・ヴィンチ』とかをみると、「どんどん、もともと売れそうな本を芸能人パワーで売る雑誌になってしまったなあ」なんて言いたくなるのですが、あれはあれで、生き残るためのひとつの進化系ではあるのでしょうね。

 椎名誠さん、沢野ひとしさん、木村晋介さん、目黒考二さんは、若い頃に知り合って、それからずっと「友達」であり続けたし、僕は人生の折々で、彼らが相変わらず仲良くしているのを読むのが好きでした。
 僕自身にはなかった「居場所」みたいなものをつくり、そして、お互いを尊重しながら生きている人たちがいる。

 目黒考二さん(北上次郎さん)は「書評」とくに「エンターテインメントに対する書評」のニーズを掘り起こし、それだけで一冊の雑誌として成り立たせることができ、「書評家」を食べていける仕事にしたのです。

 インターネット時代には「本への個人の感想」はSNSAmazonの評価欄にあふれていますが、『本の雑誌』以前には、知人以外のエンターテインメント作品への評価を知る機会は「売上げ」や「有名人のおすすめ」くらいしか存在しなかったのです。

本の雑誌』というのは、その成立までのプロセスを追っていくと、まさに「好きなことで生きていくために、新しいニーズを掘り起こした人たちの物語」で、現在のYouTuber的な生きかたの先陣を切った、とも言えます。


 目黒さん(北上さん)は、2019年に『書評稼業四十年』というこれまでの人生を振り返る本を上梓されています。

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 この本のなかで、北上(目黒)さんは、集英社文庫の『勝手に! 文庫解説』の巻末に収録されている、大森望池上冬樹杉江松恋北上次郎の四氏による座談会を紹介しています。

 文庫解説のあれこれについて、酒場で話題になることはあってもこうして活字になるのは初めてではないか、と思われるほど興味深いことの連続で、特にのけぞったのは大森望の次の発言だ。この男はつまらない文庫解説の依頼がくると「このつまらない小説をどうやって面白く見せようかと、逆にファイトが湧きますよ」と言うのだ。そのくだりの杉江松恋との掛け合いは、文庫解説史に残る貴重な発言だと思うので、ここに引いておきたい。

杉江:僕は、解説は商品だと思っていますから、文庫を買った人が、解説を含めて満足してくれることが第一。もし作品が二線級だったら、僕の解説を足してちょっとでもお得になるようにしてやろうと考えます。


大森:だから本がつまらないと、三十枚とか、長く書いちゃう。


 この二人はホントにすごい。同業者の項で書くつもりがうっかり忘れていたので、ここで書こう。その座談会にはこの直前にこういうくだりがある。

大森:池上さんは傑作派なんです。その作家の代表作や傑作の解説を書くことに燃える。


杉江:北上さんもそうでしょ。


 そうなんだ。そういう分け方が出来るんだ、とこのとき初めて知った。池上冬樹は「いい作家といい作品しかとりあげない主義なので断った文庫解説もあります」と2011年の解説文庫リストを振り返ったときに書いていたから、「傑作派」であることは間違い。
 先に書いた奥田英朗『最悪』や、石田衣良『少年計数機』の例に見られるように、もちろん私もそうだ。岡嶋二人『どんなに上手に隠れても』の文庫解説で『チョコレートゲーム』について書いてしまうのも、梶尾真治『OKAGE』の文庫解説で『サラマンダー殲滅』の話を書いてしまうのも、すべて私が「傑作派」だからに他ならない。
 というよりも、みんながそうだとばかり思っていた。つまらない小説の解説を依頼されるとファイトが湧いてくる人がいるなんて、私の想像を超えている。


 目黒さんは、ずっと、「面白い本を読んだときに溢れ出す言葉を書きとどめるため」に書評家をやってきた人なんですよね。
 「これは仕事だから」「つまらなかったけど、せっかくの指名だから手加減しておこう」という忖度を(たぶん)あまりしなくて済んでいたのは、『本の雑誌』という自らが立ち上げた書評誌があったことも大きかったのでしょう。
 自分から辞めると言わないかぎり、北上次郎が「切られる」ことはなかっただろうし。
 もちろん、読者もずっと、その「忖度のない書評」を愛してきたのですが。

 競馬について語る目黒さん(藤代三郎名義)も好きでした。昨年の有馬記念まで、ずっと競馬専門紙に書かれていたそうです。

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 なんだか、僕がなりたかったものを、すべて上のレベルで実現してしまった人、なんだよなあ。
 ずっと、『本の雑誌』の創刊メンバーたちが、活字中毒者の味噌蔵でもだえ苦しんでいる姿をみていたかった。
 でも、人にあたえられた時間は、永遠ではない。
 そんなことを、今回の訃報で痛感せずにはいられませんでした。


 椎名さんも、最近は「死」について書かれることが多いですし、何年か前には、長年不眠に悩まされてきたことも著書で告白されています。

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 人生には、光もあれば、影もある。

 そういう「老い」も包み隠さずに見せながら生きておられたところも、僕自身の「老い」と重ね合わせて、励まされてもきたのです。
 突然亡くなられてしまうなんて、目黒さん、そんなの寂しすぎるよ。

 椎名誠さんのこれまでの著書について、目黒さんがときには友達、ときには書評家として二人で語り合った『本人に訊く』シリーズも大好きで、時代をつくった作家と書評家が、こんなにざっくばらんに作品の話をすることは、たぶん、空前絶後のはずです。

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岳物語』の回より。

目黒:あと、印象深いフレーズは野田(知佑:カヌーイスト、作家)さんの解説の中にある「いい父親であることは難しいが、いい小父さんであることはやさしい」。これは実に名言。本当にそうだよなあと納得だね。たぶん椎名もよその子に対しては、野田さんみたいにやさしいと思うんだ。逆に、もし野田さんに息子がいたら椎名みたいに横暴になって怒ったりしてね(笑)。


椎名:そういうもんだよな(笑)。

目黒:この『ジープ焚き火旅』の58ページの写真を見てよ。椎名が大きなザックを担いで、港に立って笑っている写真。「隊長シーナ。島旅の『基本第一体型』」とキャプションがついている写真だけど、この頃の探検隊を象徴する写真だと思う。隊長も大きなザックを担ぐとそして本当に楽しそうに笑っているんだ。椎名の青春が、そして探検隊の青春がこの一枚の写真の中にあると思う。


 この『本人に訊く』のシリーズ、全4巻になるとアナウンスされていたのですが、結局、2巻までしか上梓されていません。
 でも、『椎名誠 旅する文学館』の公式サイトには、この書籍化されたものの続きが「椎名誠の仕事」として掲載され続けていて、2022年分まで更新されていたのです。

www.shiina-tabi-bungakukan.com


 僕はずっと、椎名誠さんという「行動力がある人」と出会えたからこそ、目黒さんはこうして『本の雑誌』をつくり、書評家・作家として生きることができたのだろうな、と思っていたのです。
 しかしながら、あらためて目黒さん、椎名さんの仕事を追いかけてみると、椎名誠さんもまた、目黒考二北上次郎)という「最良の読者、パートナー、そして友達」の存在によって支えられてきたのだなあ、と感じました。

 寂しい、なんだかすごく寂しい。目黒さんのさまざまな功績を承知してはいるのだけれど、「いつも面白い本を教えてくれた親戚のおじさん」が、いきなりいなくなってしまったみたいな気がしています。


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