いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「無事にリングから降りられる」ことを望むのであれば


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村田諒太選手とゴロフキン選手のビッグマッチ、僕も観ました。
ボクシングの試合をリアルタイムで観るのはけっこう久しぶりだったのですが、ゴロフキン選手はしっかり強くて、果敢に挑んでいった村田選手も格好良くて、良い試合を見せてもらった、と満たされた気持ちになりました。試合後の両選手の振る舞いもまた、見事、としか言いようがないもので、本当に強い選手どうしのハイレベルな闘いは美しかった。


村田選手は、試合後の一問一答で、

「こうやって拍手をいただけることすごくうれしく思う。まだわからないけけど、2人とも無事にリングから降りられる。神様に感謝したい」

 と仰っていました。

 これだけの闘いをして、おそらく両者とも致命的なダメージはなく試合を終えられた。それはもう、素晴らしいことだと思う。

 でも、ちょっと引っかかるところもあって。
 その通りなんだけれど、「無事にリングを降りる」というのがいちばん大事なことなら、どうしてボクシングをやるのだろうか?
 闘わなければ、リスクも負わずに済むはずなのに。
 もちろん、それは向上心だったりお金だったり、名誉だったり、いろんな要素が絡んでくるとは思うのだけれど。


 そんなことを考えていたら、翌4月10日、プロレスラーの大谷晋二郎選手が、試合中のアクシデントで救急搬送されました。
www.sponichi.co.jp
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 プロレスラーの首へのダメージといえば、故・三沢光晴さんや、現在も闘病中の「帝王」高山善廣さんのことを思い出さずにはいられません。
 このアクシデントのあと、ネットには、大谷選手を心配する声とともに、「49歳、怪我からの長期休養明けの大谷選手はムリをして出場したのではないか」「首を攻撃するようなリスクの高い技は、使わないほうが良いのでは」というような「格闘技のリスクマネージメントに対する問題提起」も行われていました。プロレスラーは年間の試合数が多いし、けっこう高齢の選手も多いのです。

 僕はスポーツ医学にはそんなに詳しくはないけれど、プロ野球や柔道などでの頭部打撲の選手への初期対応や経過観察に関しては、近年、日本でも改善がみられてきてはいるのです。
 しかしながら、「頭部死球が怖いから、野球なんてスポーツはもうやめよう」とまで言う人はごく少数派だと思います。
 プロレスの場合は、「頭や頸部にダメージを与えるような技は危険だから、全部禁止にしよう」というのは、少なくとも興行的には現実的ではないでしょう。
 いまの世の中で、力道山時代の「空手チョップ」を延々と打ち合うような試合をお金を払って観たがるファンが大勢いるとも思えませんし。


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この本に収録されている、全日本女子プロレスのレフェリーをつとめていたボブ矢沢さんの回より(インタビュアーは吉田豪さん)。

ボブ矢沢:あと北斗晶が首を折っちゃったときも僕がレフェリーやってたんですよ。


——最近、映像を見直して戦慄しましたよ。


矢沢:あれはホントヤバかったですよ。


——何がとんでもないって、北斗さんが完全に首やっちゃったあとも、3本勝負だから試合がふつうに続いていくことなんですよ。


矢沢:そうなんですよ。1本目でいきなり首やったじゃないですか。「ヤバいな、やめようか」って言ったんですよ。そしたら「ボブちゃん、首を引っ張って」言われたんですよ。


——えぇーーーーっ!? その状態の首を!


矢沢:「いいから引っ張って! 大丈夫だから!」って北斗が言って。よく首が詰まって、それを引っ張ってアジャストするっていうのをやるんですけど、さすがにそのときはそのレベルじゃないっていうのはわかりましたから、「いや、これいじらないほうがいいぞ」「いや、最後まで私やるから。いいから引っ張って!」。それでしょうがないからタオル持ってきてガーンッと引っ張って、「どうだ?」「うん……大丈夫、治った!」。


——治るわけないですよ!


矢沢:治ってないですよ全然(笑)。だけど「大丈夫、できるできる!」って、それでふつうに2本目、3本目もやってましたね。


——2本目、3本目でもふつうに首を攻撃されてたから、とんでもない試合だと思って。


矢沢:ホントいつどうなるかと思って。こっちもいつ止めてもいいようにスタンバッてたんですけど、最後までやりましたもんね。


 現在ほど、頭部打撲や頸椎損傷時の対処法が周知されていない時代とはいえ……
 北斗さん、死んでいてもおかしくなかったよね、これ……
 これはさすがに止めろよ、と思いました。
 でも、周囲も止められない、鬼気迫るものがあったというのも事実なのでしょう。
 ちなみに、首の骨を折ったあと、さすがの全女の経営陣も北斗晶さんの復帰は難しいだろうと考え、本人にもそう説明したようですが、北斗さんは「何があっても自分の責任だから、会社に迷惑はかけないから」と、半ば強引に復帰したそうです。

 これは「運よく最悪の事態には至らなかった事例」ではあるのですが、こういう「常人離れ」したエピソードに、プロレスファンとしては、惹かれる面もあるんですよね。
 プロレスの試合なんて、「そこまでやったら死んじゃうんじゃない?」と観客が感じる技だから「凄み」があるし、「ギリギリの試合」だからこそ、「ベストバウト」として語り継がれる。
 「本当に死んだり、大けがをしてしまったりすることを望んではいないけれど、『そんなことしたら死んじゃうよ』という瞬間を見せてほしい」というものすごく身勝手な期待を僕は格闘技やレースに求めているのです。

 僕はアイルトン・セナが事故で亡くなったときのF1の中継をリアルタイムで観ていました。
 あれは、本当に悲しかった。
 もう、「ああいうこと」は起こってほしくはないと思います。
 その一方で、これだけ時間が経っても、シューマッハやハミルトンの栄光よりも、「セナの死」のほうが、僕にとってのF1の鮮烈な記憶ではあるのです。
 
 絶対に事故が起こらない格闘技やレースは、面白いだろうか?

「プロレスは『ガルパンガールズ&パンツァー)』じゃねえ!」
 個人的には、ガルパンにはガルパンの「安心感」があって良いとは思うのですが(昔の『宇宙戦艦ヤマト』の映画みたいに、登場人物がどんどん死んでいく話になったらつらいよね)。

 さまざまなリスクの高い競技で、安全対策は進歩してきていますが、万全というわけにはいきません。
 死にたいわけじゃないけれど、危険なことを承知の上で、それでもやりたい、そこで自己表現したい、稼ぎたい、という選手と、人間のそういう姿を観たい、という観客がいる。
 
 無事にリングを降りるためには、そもそも、リングに上がらなければ良いじゃないか。戦時に徴兵されて「戦わざるをえない」わけじゃないのだし。
 でも、人間が「どうせいつかは死ぬ生きもの」だと考えれば、「やりたいことをやらずに長生きするために生きる」ことに意味はあるのか、とも思うのです。犯罪とか人を傷つけることは、やりたくてもやるべきではないとしても。

 長年のプロレスファンとして、大谷晋二郎選手の御快癒を心より願っております。
 本人がそれまでどんなに「覚悟」していたとしても、高山さんや大谷さんのいまの内心は僕には想像しがたい、というか、想像しようとするだけできつい。


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