いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

中村哲さんのこと


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僕が中村哲さんのことをはじめて知ったのは、医学生時代のことでした。
アフガニスタンで井戸を掘っている医者がいる。
講義のなかで採りあげられていたのか、同級生との雑談のなかに出てきたのか、書店で著書を見かけたのか、中村さんのことを知ったきっかけは思い出せないのですが、僕の率直な感想は「せっかく医師免許を取ったのに、世の中には変わったことをする人がいるものだな。井戸を掘るより、患者を診るのが医者の仕事だろうに。目立ちたいだけの変わった人なんだな」というものでした。

当時の僕は、自分にはあまり向いていなかった医学部の勉強についていくのに精一杯で、だからこそ、病院の中の世界、「医者とはこういうものだ」という固定観念に縛られていたのです。

のちに、中村さんの著書を読んだり、講演を聴いたりして、僕は自分の知識の浅さと視野の狭さを痛感しました。
中村さんが支援してきたアフガニスタンは、診療所に医者が座って患者を診察し、周囲のスタッフにあれこれ指示を出していれば「治療」ができる、そういうシステム化された日本の病院とは、まったく違う場所だったのです。


「飢えや渇きは薬では治せない。100の診療所よりも1本の用水路が必要だ」


中村さんは、「医者の仕事」という形式よりも、「まず、現地の人たちの命を救い、生活を成り立たせること」を優先していました。
それは、僕が思い込んでいた医者像よりも、ずっと本質的な「命を救うための仕事」だったのです。
とにかく、その現場で、やるべき仕事を優先的にやっていた。
医療行為の優先順位がいちばん高い現場にいれば、中村さんは、僕が考えていた「医者らしい仕事」を行っていたはずです。ただ、それだけのことだった。


いとうせいこうさんの『「国境なき医師団」を見に行く』という本を昨年読みました。

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ハイチでのMSF(MEDECINS SANS FRONTIERES:国境なき医師団)の活動について、いとうさんが、こんな話をされています。

 もうひとつ、ジャックさんの説明してくれたことで、報告しておきたい事例がある。
 巨大なコンテナ群の横に、これまた巨大なタンクが並んでゴーゴー言っていた。それは一部は飲料に適した水、あるいは手術や器具を洗う水、洗濯用水であった。
 日本から行ったばかりの俺は、それがどれだけ大切かよくわかっていなかった。だが、ジャックさんがしきりと「これのおかげで医療が出来るのだ」と言うので目がさめたのである。
 すべてはMSFロジスティック部門の仕事なのであった。「国境なき医師団」には医師、看護師だけがいるのではない。我々を安全に送り迎えしてくれる輸送、そして薬剤などを管理する部門、そして建物を造ったり直したり、水を確保するべく工事をするロジスティックがいなければ、医療は施せないのだ。
 つまり、MSFに参加したいと思えば、医療従事者でなくてもいい。というより、そうした人々と一体になって、団は形成されている。


 僕はこれを読んで、中村哲さんとペシャワール会のことを何年かぶりに思い出したのです。
 医者として、ほぼ四半世紀くらい、さまざまな環境で仕事をしてきて思い知らされたのは、どんなに腕のいい医者でも(残念ながら、僕は藪にも慣れないタケノコ医者ですが)、薬や器具はもちろん、きれいな水や電気などの基本的なインフラが整っていない場所では、その技術を活かすことができないのです。

 正直、中村さんは、最前線に立つことが生きがい、みたいなところもあったのだとは思いますし、医者がみんな井戸を掘るべき、とも思いません。いま勤めている病院で、僕が井戸を掘り始めようとしたら、それよりも診察をしてくれ、と言われるでしょう。

 それは、ここが日本で、基本的なインフラが当たり前のように整備されている場所だから、なんですよね。
 だからこそ、医者も、「自分が医療に集中できる環境をつくってくれている人たち」への想像力を持っているべきではないかと。
 どちらが偉いとか、そういうものではなくて、お互いに尊重しあえるように。

 中村さんは、「医者のくせに」井戸を掘っていたのではなくて、アフガニスタンで活動する「医者だから」井戸を掘っていた。
 それがわかるようになるまで、僕にはだいぶ時間がかかってしまった。

 
 なんで、アフガニスタンのために尽くした中村さんが、こんな形で、アフガニスタンで命を落とすことになってしまったのだろう?
 そんなの、あまりにも報われないじゃないか、アフガニスタンの人たちは「恩知らず」なのか?
 最初は「命には別状なし」と報じられていた中村さんの訃報をきいて、僕はやりきれなかった。


 でも、結局のところ、中村さんは、「まだこんな危険が潜んでいる地域」だからこそ、アフガニスタンでの活動を続けていたのだと思います。
 いつか、アフガニスタンに、自分たちが必要でなくなるときが来るように。

 もちろん、こんな人生の終わりを望んではいなかっただろうけど、そうなっても後悔しない、という覚悟は持っていたのではなかろうか。
 


 
 世界を少しずつでも良くするのは、怒りや復讐心ではなく、「井戸を掘り続けること」なのでしょう。
 中村さんは、「世界を治そうとした、本物の医者」でした。

 謹んで哀悼の意を表します。


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天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い

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医者、用水路を拓く―アフガンの大地から世界の虚構に挑む

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「国境なき医師団」になろう! (講談社現代新書)

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