いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「怒りをセーブできなくなった自分」と折り合いをつけて生きる技術


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 この増田さん(『はてな匿名ダイアリー』の著者)は病気がきっかけだったそうなのですが、僕は血圧が高いくらいで他に大きな病気もない(はず)なのに、加齢とともにイライラがひどくなり、刹那の怒りを爆発させてしまいそうな自分に困惑しているのです。


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 年齢を重ねると、どんどん人間が「丸く」なってくるものなのだと若い頃は思っていたのですが、全然そんなことはなく、博多の街を歩いたり、運転していたりすると、「なんでこんなにみんな自分のことしか考えてないんだよ!」なんてイライラしてばかりです。
 先日は、焼肉屋で会計を待っていたら、若い女性のグループが、レジの前に来て金額がレジに出てから、誰の分がいくらだとか相談をしはじめ、10分くらいレジの前でうだうだしていたことに心底ムカついたのです。
 なんでレジの前に行ってから、会計のしかたの相談をはじめるんだよ、あらかじめ伝票を確認しておけばいくらかわかるし、後ろで僕らも含めて3組くらい待っているんだから、先に誰かまとめて払って、後からグループ内で割れよ……
 しかも、まったく後ろに並んでいる人たちを気にする素振りもなく。
 結局、僕も何も言えずに待っていただけなので、こんなところに書いてもしょうがないんですけどね。
 正直、「こちら側」からみると、「自分が怒りやすくなった」のとともに、「僕を怒らせるような出来事が多くなった」ような気もするんですよ。
 インターネット社会では、受け取る情報量が増えていて、全体の量が増えれば、感情を負に引っ張る情報もそれに伴って増えているのかもしれません。

 
 僕は40を過ぎるくらいから、「ここで我慢したって、もう、天井は見えてるじゃないか。もう、この先にいいことなんてそんなにないんだから、言っちゃえよ、やっちゃえよ」という、自分の内なる声と闘い続けています。
 
 そのなかで、「怒りやすくなってしまった自分と少しでも折り合いをつけるために、参考になったこと、考えてきたこと」を書き留めておきたいと思います。


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 世の中には、自分のなかの怒りや不満を抑えて、我慢してしまう人がいる。
 これは自分の仕事だから、とか、みんなに迷惑をかけたくないから、とか、自分の評価を下げたくないから、とか。
 彼らは、溺れかけている状況でも、SOSを出すことが苦手で、頼まれると、こころよく仕事を引き受けているようにふるまってしまうのです。
 そして、限界をこえてしまったときに、「もう耐えられない!」と、すべてを投げ出す。

 外部からは、こういう人って、「ずっとニコニコしながら、『いいよ、やっておくよ』と爽やかに言っていたのに、突然ブチ切れて激怒してしまう、理解不能な存在」に見えてしまう。
「お前が『やります』『やれます』って、言っていたのに……」って。

 実際のところ、突然全部投げ出されてしまうと、あとの処置はかなり大変になるんですよね。
 上司も、しばらく、「あいつには悪いことをしたなあ。でも、そんなにキツかったのなら、ひとこと、言ってくれればよかったのに……」と嘆いていました。
 周りも「悪気」はないことが多いのです、基本的には。
 「察してくれよ」と「ちゃんと言ってくれよ」は、絶対にかみ合わない。

 僕もこういう「自主的に我慢して、限界が来たら、『なんで僕の苦しさをわかってくれないんだ!』ってキレる」タイプなのです。


 そんな僕が、「キレやすい自分」と付き合っていくために、すごく参考になったのが、この本でした。

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この本には、「怒りを抑え込んで我慢すること」の弊害について、ものすごく丁寧に書かれているんですよ。

 気にくわないことがあるとすぐにキレて暴力をふるうクズ人間も、もちろんいます。
 でも意外と、人はキレないものですよ。みんな想像以上にガマンしています。苦情をいったり訴訟を起こす人に対して、日本人は冷たい視線を送りますが、事情をよく聞くと、多くのケースで、ガマンにガマンを重ねた末に、ガマンしきれず苦情をいったり、訴えたりしてるんです。
 いい人、やさしい人ほど、社会の不条理を敏感に感じ取って、不愉快な思いをします。そして、そういう人ほど、なるべく怒りをガマンしてるものです。

 それでも人間ですから限界があります。普段から人一倍ガマンしている人なのに、たまたま限度を超えてキレてしまい、その一発だけが原因で、周囲からの評価を大きく落としてしまったという非常に不幸な人は、けっこういるはずです。
 キレたという事実は、だれの目にも明らかな行動ですが、日頃怒りをガマンしていることは、外見からはわかりません。怒りをガマンする努力は、だれからも評価してもらえないんです。
 何年もガマンしてきた努力はまったく評価されず、たった一度キレてしまったことのみで、キレる人のレッテルを貼られてしまうんです。ガマンは、それほどまでに報われない行為なのです。
 だから、ささいなことにこそ怒ってしまいなさい、とおすすめしてるんです。
 私はよそのこどもやオトナに注意する(怒る・叱る)際に、めったなことでは怒鳴りつけたり声を荒げたりしません。
 こども相手なら「〇〇してくれないか」「〇〇はやめてくれないか」、オトナが相手なら「すいませんが、〇〇してくれませんか」「すいませんが、〇〇はやめてくれませんか」といった調子でまじめな顔で話しかけます。

 そういう点も、注意でなく「交渉」なんですけど、そうやって冷静に交渉できるのは、問題がささいなうちに相手にいうからです。


 人間が「ガマンしているところ」って、周りからは見えないし、うまく伝わらないんですよね。
 ずっとずっとガマンして、ついにガマンの堤防が決壊してしまった人が怒り狂っている場合でも、傍からみれば、「突然ひどくキレてしまう人」になってしまいます。
 それまで、おとなしくガマンしていればいるほど、なおさら。
 むしろ、日頃からイライラしている人がキレるほうが、周りからすれば「想定内」として受け入れられやすいのです。


 と、頭ではわかっているつもりでも、前述したレジ前で牛歩戦術を行っている人たちに、僕が冷静に注意できるか、と言われると、やっぱり難しい。さらに不快な思いをするんじゃないか、という気がするし。
 相手が反社会的勢力であれば、「ちょっと注意する」のもリスクが高い。

 ただ、自分にとって大事な人に対して、あるいは、大事な場所で「突然キレる人」にならないためには、こういう「怒る技術」を知っておいて損はないと思うのです。
 僕は自分の子どもに接するときに、「怒りゲージが溜まって必殺技を発動する(というかキレる)前に、小出しに、冷静に話をする」という意識を持つようにしたら、だいぶラクになりました。

 精神修養をして「怒らないようにする」というのは、あまりにもハードルが高い。
 それよりは、「なるべく問題にならない形で、怒りを小出しにして大事故を防ぐ」ほうが、はるかに現実的だと思います。

 偉そうなことを書いているのですが、僕自身も、日々闘いの連続なんですけどね。


 あといくつか、参考になりそうな話を紹介しておきます。
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 それにしても……「キレやすい自分」と闘いすぎだな僕は。


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