加藤さんは悪くない、たぶん。
長年積もり積もったものが、今回の事件をきっかけに噴出してしまった、ということなのだと思います。
ただ、今回の「吉本騒乱」をみていると、加藤さんの参戦が、最初の当事者であった宮迫さんや田村亮さんにとっては、事態を難しくしているところもあるような気がします。
田村亮さんのほうは、早い時期から会見での謝罪を申し入れていたこともあり、吉本興業側への不信感も強く、関係は修復困難かもしれません。
しかしながら、宮迫さんや他の芸人たちは、もともとの原因は自分たちにありますし、「吉本側が態度を軟化させれば、『元サヤ』でも良い」のではなかろうか。
なんのかんの言っても、お笑いの世界では、吉本興業は唯一無二の存在ではありますし、こんな経緯であっても「干される」リスクは続きます。
いろんな芸人さんのこの件についての反応をみていると「若手に関してはかなり搾取されているけれど、実績を積めば、それなりに貰える会社」ではあるのでしょうし。
それに、多くの芸人が属している吉本は「切磋琢磨できる環境」であるのも事実です。
本当は、「吉本一強」であるのはイビツではあるし、いろんな事務所どうしで競争したほうが良いのでしょうけど、突然パラダイムシフトが起こるとは考えにくい。
今回の加藤さんの参戦については、「善意の人の参戦が、争いを泥沼化させることってあるよなあ」と、つい考えてしまうのです。
もともと自分の反社会的勢力との接触に原因がある宮迫さんたちは、あまり嵩にかかって会社批判をすると、また矛先が自分たちに向かってくるリスクは承知しているはず。
本当は「元サヤ」の選択肢も残しておきたいのではないでしょうか。
もしこのまま加藤さんが吉本上層部と駆け引きを続ければ、おそらく加藤さんは退社・独立することになるでしょう。
社長・会長の辞任が不可能であれば、公言していたとおりの行動をとるしかないし、仮に社長・会長のクビを取ったとしても、「そこまでのことをしておいて、自分は会社に残る」のも居づらいのは間違いない。加藤さん自身が権力を握れれば残る道もあるでしょうけど、諸先輩がいるなかで、いきなり吉本のトップに立つのは難しい。
仮に一時的に和解できたとしても、一度ここまで反旗を翻してみせた人への風当たりは強くなる。
要するに、よほどのことがないと、加藤さんは退社せざるをえない、ということになります。
それでも、加藤さん本人は、この騒動で「言うべきことは言う人」として世間での評価が上がりましたし、経緯から吉本もテレビ局もあからさまに「加藤外し」はやりにくいので、生活に困ることはなさそうです。
ただ、加藤さんがもし辞めてしまったら、宮迫さんや田村亮さんは「じゃ、加藤さんは加藤さんで。俺たちは吉本に残りますんで」とは言いづらいですよね。
もともとは自分たちが原因なだけに。
田村亮さんはもともと加藤さんとのつながりも深いようなので、ついていっても構わないのかもしれませんが、他の人たちはどうするのだろうか。
「善意の人の参入」が事態をややこしくする、というのはよくあることで、ネットでの争いでも、いつのまにか争いのきっかけになった人とは別人どうしが激しくバトルをしていて、応仁の乱みたいになってしまうことがあるのです。
僕はこの「吉本騒乱」をみていて、会社や大物芸人たちが「芸人ファースト」「まずは若手芸人たちの待遇を改善してほしい」などと言っているのが気になるのです。
6000人くらいが所属している(らしい)吉本興業で、本当に「若手からの搾取をなくして、待遇を改善する」ことが可能なのか?
いや、可能だとは思うんですよ。
でもね、それを本気でやろうとするならば、会社が利益を減らすのはもちろん、毎年何億円と稼いできたトップクラスの芸人たち、明石家さんまさんや松本人志さんも、自分の取り分を減らさざるをえないでしょう。
大物芸人たちにとっては、「(自分とは直接面識のない)吉本の若手たちのために、自分が稼いだ金をこれまで以上に差し出す」ことになります。
それを、大物たちは本当に受け入れられるのか。
そもそも、芸能界に、そういう共産主義的なシステムが機能しうるのか?
吉本に入っていれば、売れなくて仕事がなくてもベーシックインカムはもらえる、という仕組みは「正しい」のか?
これがほとんどの人にできるような単純労働であれば、「100」の仕事があれば、力がなかったり、器用ではない人でも、それぞれが可能な範囲で仕事をやって成果を分け合うことも、比較的やりやすいと思われます(それでも、共産主義国家はうまくいかなかった、というのがこれまでの歴史的な結論なのですが)。
ところが、「芸」の世界というのは、ひとりで100の面白さを持つごく一部の芸人のもとにニーズが集まるのです。
「1」の面白さや人気しかない芸人が100人集まっても、「100」の効果は生まれません。
松本人志さんの代わりに、有象無象の100人の吉本芸人を連れてきたので、同じだけギャラをください、と言われても、首を縦に振る人はいないはず。
「売れていない芸人」に仕事を取ってくるのって、事務所にとってはけっこう大変だと思うんですよ。
「求められている人は引く手あまた」だけれど、「要らない芸人は、タダでも要らない」から。
それでも、みんな食えるようにしてくれ、というのであれば、ビートたけしさんがオフィス北野でやっていたように「ものすごく稼いでいる人が(いれば)みんなに分配してあげる」か、所属する人を選ぶ時点で、極めて狭き門にするかになります。
吉本興業で、売れない芸人や若手を本当に「救済」しようと思うのであれば、売れっ子たちの取り分を大幅に下げる+所属芸人を大勢リストラするしかないのです。
芸能界のなかでも、とくに多くの人数を抱える吉本興業というのは、内部での激しい競争によって頭角を現してきた芸人が稼ぐことによって、会社を維持してきました。
6000人のなかで、「稼げる芸人」は一握りなのです。
若手に「吉本興業所属」という看板を比較的簡単に貸し与える一方で、生活保障や報酬にはシビアな態度を貫いてきました。
そもそも、ベーシックインカムをもらうために芸人になるなんていうのはおかしい、ということなのでしょう。
大成功するか、さもなくば去るか。
みんな、自分が明石家さんまになることに賭けて、吉本に入ってくる。
芸人を目指して吉本興業に入るというのは、大きな博打ではありますよね。
そんななかで、「人気が出れば収入も青天井だけれど、売れないと悲惨」な環境と、「売れてもかなり稼いだお金を持っていかれるけれど、売れなくても食っていける」状況と、どちらが良いのか。
そもそも、いま売れている人たちは、身銭を切る覚悟があるのか。そういうシステムが正しいと思っているのか。
自分が成功した人は、「お前らが稼げない、人気が出ないのは、才能がないか努力が足りないからなのだ」とみなしがちです。
「若手」とか「売れない」とかいうけれど、Twitterやネットニュースで「つぶやき」が取りあげられている人というのは、みんな少しは知られている人ばかりなんですよね。彼らは会社への不満を持っているのだろうけれど、これだけ話題になっているネタに「いっちょ噛み」したい、とも考えているはずです。
そのくらいの貪欲さがあってこそ「売れる」可能性も高くなる。
パワハラとか、あまりにも低すぎる若手のギャラの取り分とかは、改善すべきだと思います。
でも、「勝者とそれ以外の人たちには厳然たる格差があり、内部で過酷な競争を常に強いられる」ことこそが、吉本興業の「企業全体としての強さ」でもある。
アメリカの新自由主義を煮詰めて6000人でやっているようなものです。
吉本興業は、「稼いでいるのに弱者に過酷」なのか、「弱者に過酷だからこそ稼げている」のか?
今回の騒乱を契機に、吉本興業という会社と、そこに所属している富裕層芸人たちがどのように変わるのか、あるいは変わらないのか、僕は興味があるのです。
「既得権者」って、なかなか、変わらない、変われないんだよ。自分が身銭を切らなければならないのであれば、なおさら。
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