いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

現代アートは、「どれだけ人を不快にさせるか」を競っているのかもしれない。

現代アートって、「それだけ人を不快にさせるか、『解釈』したい気持ちを掘り起こすかの闘い」なのかな、と僕は思っているのです。
正直、そういう方向性に対しては、「面白い」と感じる部分と、「悪趣味だな」と思うところが半々、なのですけど。


そこで、この話。




会田誠さんの作品へは、この笹山さんのツイートも含め、さまざまな「解釈」がなされています。

ちなみに、僕はこの作品に対しては、「ああ、太平洋戦争で無謀な作戦を強いられ、悲惨な死を迎えずにはいられなかった日本兵の『残留思念』みたいなものが、『戦争ができる普通の国に』とか言う威勢の良い言葉で同じ過ちを繰り返そうとしている日本(という国と、その国民)に『もうこんな思いをする人間をつくるんじゃない』と訴えているのだな」と解釈しました。

そういうのも「立場」みたいなものがあって、同時代の人とか、遺族にとっては「彼らは飢えや病気に苦しみながら、ひどい死にかたをした」と考えたくないのも理解はできるのです。
それよりは、「日本という国や守るべき人のために、従容として死に就いた」と思ったほうが、残された側にとっても、救われる気がしますし。



fujipon.hatenadiary.com


 この新書では、太平洋戦争時の日本軍における、さまざまな「歴史的事実」が検証されています。

 岩手県は年次別の陸海軍の戦死者数を公表している唯一の県である(ただし月別の戦死者数は不明)。岩手県編『援護の記録』から、1944年1月1日以降の戦死者のパーセンテージを割り出してみると87.6%という数字が得られる。この数字を軍人・軍属の総戦没者数230万人に当てはめてみると、1944年1月1日以降の戦没者は約201万人になる。民間人の戦没者数約80万人の大部分は戦局の推移をみれば絶望的抗戦期のものである。これを加算すると1944年以降の軍人・軍属、一般民間人の戦没者数は281万人であり、全戦没者のなかで1944年以降の戦没者が占める割合は実に91%に達する。日本政府、軍部、そして昭和天皇を中心にした宮中グループの戦争終結決意が遅れたため、このような悲劇がもたらされたのである。

 元陸軍大尉で第六飛行師団・第一二飛行師団・飛行第一一戦隊の戦闘機パイロットだった四至本広之烝によれば、「空から(船団の)護衛にあたっている私たちの場合、一人が一日平均8〜10時間の飛行が三日も続くと、やはり肉体の疲労よりも、神経的な疲労が重なってくる。護衛にあたっては、一番疲れがでてくるのは、視力の減退であり、両眼が充血し、癒すのにも時間がかかった」。
 1943年2月のワウ飛行場に対する攻撃では、四至本たちの部隊は戦隊長と中隊長がともに戦死するという損害を受け、「隊員の士気はガタ落ちにな」り、「沈痛な空気が重く暗くのしかかり、眠れないし食えない」状態となった。このとき、岡本修一・第一二飛行団長は、四至本中尉に、「きさまは、いったい、いつまで生きとるつもりか」と罵声を浴びせた。
 四至本は、「戦争が激化する。負け戦が多くなり、戦死者が激増し始める。そうなると、本人の勲功の多少に関わらず、いつまでも生きている将や兵が白い目で見られたり、皮肉や嫌味をいわれたりという奇妙な傾向が現れ始める。恨まれたり、嫉まれたり、どうかすると戦死しなかったというだけの理由で卑怯者呼ばわりされたりもする。(中略)それにしても、きさまはいつまで生きる気かなどと、上官が部下をつかまえて嫌味がましく口にする風潮というものが、はたしてアメリカやイギリス、中国の軍隊内にもあったであろうか」と書いている(『隼 南溟の果てに』)。
 戦局の悪化に対するいらだちからの罵倒だとは思うが、このような指揮官が、パイロットの精神的疲労の問題に関心を持つとはとうてい思えない。


 「犠牲になった無名の兵士たちを侮辱すること」が不快だというのはわかります。
 でも、彼らの多くは、「死ぬ必要はなかった」「あるいは、もっとマシな死に方があった」人々でした。
 実際は「餓死寸前でも敵に降参しなかった」というよりは「降参できるような状況(雰囲気)ではなくなっていた」のです。
 美化するだけではなく、そういう事実も知ってほしい。


 正直、こんな、おどろおどろしい「表現」が妥当なのかどうか、とは僕も思いますが、このくらいの「わかりやすさ」や「インパクト」がないと、世の中に浸透しないのではないか、とも感じます。
 世の中には、「穏当、あるいは真っ当なやり方で、不正や危険を訴えている人」はたくさんいるのだけれど、そういうものは、みんなに無視されてきました。
「だって、面白くないから」「当たり前のことだから」って。
 「炎上だって、無視よりはマシ」であり、「議論のきっかけになった」という考え方もある。


 現代アートというのは、いかに人の心をざわつかせるか、の勝負なんですよね。肯定、否定にかかわらず。
 僕はこの作品に関しては、「会田誠さんにしては、ストレートで、わかりやすいな」と思ったのですが、実際にこの作品に対する反応をネットでみると、けっこう割れているんですよ。
 それぞれの人が抱えている「背景」の違いがあるから、当然なのかもしれないけれど。


 笹山さんが交通事故の遺体などをアートのモーフにしていることのほうが不謹慎だ、という意見もあるようですが、それこそ、アンディ・ウォーホルだってやっていたことではあります。

 ウォーホルだと「批評」と感じるのは、「権威無罪」みたいなものです。
 でも、世の中、「権威になれば、みんな善意に解釈してくれる」ことは多くて、「有名なバンクシーの作品かもしれない」ということであれば、落書きも「東京への贈り物」になってしまうんですよね。

 
 これがバンクシーの作品だとしたら、そこにあるのは、「描かれた時代の東京への違和感」みたいなものではないか、と思いますし、権力者に嬉々として宝物扱いされるのは不本意ではないか、と僕は思います。
 いや、こうして都知事が喜んでいる姿を含めての「批評」なのか?
 
 いやほんと、アートって、難しいですね。
 なんというか、解釈の底なし沼に引きずり込まれるような感じ。


 そういう意味では、笹山さんがこうして会田さんの作品に不快感を示すことも「アート」のひとつの形とも言える。
 もうなにがなんだか、わからない。とにかく、「アートなら無罪」なのか。
 たぶん、この「わからない」ことこそが、いまの世の中でのアートの存在意義なのだろうけど。


fujipon.hatenablog.com
fujipon.hatenadiary.com
fujipon.hatenadiary.com

カリコリせんとや生まれけむ

カリコリせんとや生まれけむ

ウォーホルの芸術?20世紀を映した鏡? (光文社新書)

ウォーホルの芸術?20世紀を映した鏡? (光文社新書)

戦争画とニッポン

戦争画とニッポン

アクセスカウンター