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「あなたはなぜ山に登るのか?」
「そこに山があるからだ」
登山家・ジョージ・マロリーの、このあまりにも有名な言葉は、誤訳というか、日本語に訳されるときに美しく訳されすぎていて、本来は、
「なぜあなたはエベレストに登りたいのですか?」
「そこに(エベレストが)あるからさ ”Because it’s there.”」
というやりとりだったそうです。
マロリーは、「山」という存在全般に対してではなくて、世界最高峰の「エベレスト」への思い入れと野心を語っていた、ということのようです。
栗城史多さんについては、なんでこんな無謀な挑戦を続けていたのだろうか、本人は、本当に登頂できると思っていたのだろうか?と疑問ではあったんですよ。
承認欲求を満たすためとか、スポンサーや支持者へのアピールということであるならば、単独・無酸素、というような無謀なハードルの上げかたをせずに、もっとラクな条件設定にして、「エベレストに登頂しました!」ということにすればよかったんですよね。
- 作者: 角幡唯介
- 出版社/メーカー: 集英社インターナショナル
- 発売日: 2018/04/06
- メディア: 新書
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冒険家の角幡唯介さんは『新・冒険論』という新書のなかで、現代のエベレスト登山についてこんな話をされています。
いうまでもないことだが、現代のエベレスト登山は一世紀近くにマロリーが霧の向こうに姿を消した当時とは様相を異にしている。現代のエベレスト登山の主流は公募登山だ。公募登山とは、以前のように各国の精鋭登山家が結集して組織された遠征登山とはちがって、エベレストに登りたい希望者が、熟練したガイド登山家が主催する隊にお金を払って参加するという、いわば商業ツアー登山の形態をとっている。その結果、登山経験も技術も知識も足りない、昔だったらいわば参加資格のなかったほぼ素人といえる顧客が、ガイドの技術と経験に頼って登頂を果たすというケースが多くなっている。
少し具体的に説明しよう。ロープを使った登攀要素の強い登山では基本的に先頭に立ってロープを延ばしていく<リード>と呼ばれるクライマーが一番墜落の可能性が高く、危険で恐ろしく、だからこそやりがいもある。しかし、こうしたツアー登山においてはガイドやシェルパがリードして固定ロープを延ばしていくため、顧客である登山者は危険をおかすこと無く、専用器具をはめてその固定ロープを伝って登ることができる。意地悪ないい方をすれば、他者が危険をおかして設置してくれたロープを伝って登るだけだ。また、最大のリスクである高山病を避けるためのタクティクスも完全にマニュアル化されており、何日目に第一キャンプに登り、そこから一度ベースキャンプに戻って何日間休養し、今度は第二キャンプまで登ってその高度に順応して……といった日程がおおよそ決められている。もちろんその判断もツアーを率いるガイドが下すわけで、登山者は基本的にはこうしたマニュアルに沿っての行動を指示される。
こうした公募登山隊が増えたことにより、エベレストでは登山シーズンの天候が良い日は、各公募隊の参加者がひしめきあって、百人以上の人間が列をつくってぞろぞろと山頂に向かうという状況が出現するそうです(ちなみに、角幡さんは「自分ではエベレストに登ったことも今後も登るつもりもないので、これらはすべて本で読んだか人から聞いた話だ、と仰っています)。
エベレストの頂上が「渋滞」しているなんて!
栗城史多さんのこれまでの登山に関しては、「単独」と銘打ちながらも、実際はガイドやシェルパのサポートをかなり手厚く受けていたことが知られています。
「公募登山的なやりかた」をかなり取り入れていたのです。
そうせざるをえなかったくらいの実力で、無酸素での登頂というのは、無謀だったのは間違いありません。
あらためて考えてみると、こういう冒険というのは、達成してしまったら終わりなわけですし、「挑戦を続けているアピール」のために、毎年エベレストに行っていたのではないか、と勘繰ってしまうところもあるんですよね。
むしろ、「本当に達成してしまうことに躊躇いもあった」のかもしれないし、「偶然ヤマカンが当たって合格するのではないか、と期待して有名大学を受けつづける受験生」みたいなものだった可能性もあります。
しかし、生半可な覚悟で、手の指を9本も失ってまでこんなことをやるとも思えないしなあ。
僕は日帰り登山程度しかやったことがなくて、それも、ヘビが出てきたら怖いな、とおっかなびっくり歩いたり、途中のトイレのあまりの惨状に辟易したり、という記憶ばかりなのですが、それだからこそ「冒険せずにはいられない人」の話を本で読むのは好きなんですよね。
そこで、自分基準であれこれ語るよりも、「山に登る」「山で死ぬ」ことについて書かれた本や映画のなかで描かれていたことを紹介してみたいと思うのです。
「天国に一番近いクライマー」と呼ばれた男、山野井泰史さん。
『天国にいちばん近い島』なら、原田知世さんなんだけど……
「山」というのは、なぜ、ここまで強烈に、人間をひきつけるのか?
(2002年にチベットのギャチュン・カン(7952メートル)の北壁に妻・山野井妙子さんと挑んだときの話))
そこで北壁を、10月5日に妻と向かうことになったのです。
吹雪の中、10月8日に僕は登頂に成功しましたが、体調を崩した妻は標高差400メートルを残し途中で断念しました。7500メートル以上の高所で嵐に遭遇していた僕らは4日も下山予定日を過ぎてしまいます。
雪崩に飛ばされ、宙づりから脱出し、一時的に視力を失いながら冷静に懸垂下降を続けて10月13日、全力を使い切り、ベースキャンプに戻ることができました。
下降中の寒気と脱水で、妻はほとんどの指を、僕は右足のすべてと手の指を5本失う凍傷になりました。
「もう、ゆっくり生きていってもいいな」と、人生のすべてを掛けてきた登山を終えようと、ネパールの病院で思っていたのです。
いやさすがに、このきつい体験だけではなく、登山、とくに壁を登る場合には必要不可欠と思われる指まで、こんなに失ってしまっては……
というか、日常生活でも、かなり困るのではなかろうか……
ところが、この次の段落は、こんな言葉ではじまります。
どこかで予想はしていましたが、やはり登ることをやめられませんでした。
……うーむ、僕には信じられない世界が、ここにある。
多くのクライマーが命を落としているのは、結局のところ、「命を落とすまで、やめられなくなってしまう」からなのかもしれません……
山野井さんは、この翌年の2003年の夏、奥多摩のハイキングから登山を再開し、その後も続けています。
指を失ってしまってからは、登る山の「難度」は、以前よりは落とさざるをえなくなっているとしても。
栗城さんだけが、「諦められない人」ではなかったというか、山に登るというのは、いちどハマってしまったら、ここまで「やめられない」ものなのかと、いう話は、この後にも出てきます。
著者は、日本人初の「14サミッター」(世界の8000メートル以上の山をすべて登頂した人の称号)なのですが、著者の前に「14サミッター」に迫った登山家たちのことを、著者はこの本のなかで紹介しています。
いずれも、優秀な登山家ばかりなのですが、彼らは、いずれも山で命を落としているのです。
8000メートルを超える高所は、“死の地帯”と呼ばれることがあります。酸素の量は平地の約3分の1しかなく、そこにはまったく生命感がありません、生き物がいること自体が、とても不思議な場所なのです。
頂上に到達する手前というのは、五歩登ってはゼィゼィ、ハァハァ、三歩進んではゼィゼィ、ハァハァ、ときには胃からこみ上げるものを吐きながら歩いているのですから、つらくて苦しいばかりです。
力を振り絞って、重い足を最後に一歩踏み出したとき、そこが頂上です。辿り着いた瞬間、もう先には空しかありません。まず湧いてくるのは、「これ以上登らなくていいんだ」という安堵感です。
が、長くは続きません。すぐに恐怖感に襲われるのです。「ここにいちゃいけない」という気持ちに追い立てられ、頭の中は「早く帰りたい」という思いでいっぱいになる。喜びや感動にひたっている場合ではないのです。
この『エベレスト 3D』の題材となったのは、1996年に「商業公募登山隊」の参加者が犠牲になった遭難事故なのです。
参加したのは、全くの山の素人、というわけではありませんでしたが(さすがに「はじめて登る山がエベレスト」みたいな人は、いくらお金を積んでも無理みたいです。そりゃそうですね)、エベレストに登頂するには、技量・体力が不足している人もいたのです。
この登山そのものが「公募登山を運営している側にとっての『宣伝』の意味合いが強かったこともあり(有名人やジャーナリストも参加していたので)、この登山の責任者たちは、危険なサインが数多くあったにもかかわらず、「安全」よりも「登頂」を優先し、結果的に犠牲者を出してしまったのです。
この映画のなかでは、エベレストの狭い登山ルートに一度に登山者が押し寄せることによる「渋滞」のリスクや、エベレストに挑むにはちょっと実力不足ではないか、と思われるような参加者、ひとり6万ドルという高額の参加費の話も出てきます。
ツアーガイドたちが妙に「山慣れ」してしまって、安全確認を怠ったり、体調を整えず無理に頂上を目指したりする様子も描かれているのです。
彼らは、苛酷なエベレストを甘くみすぎていたのではないか?
その一方で、「無謀な素人ツアーによる事故」というイメージは、この映画が事実に基づいているのであれば、それはそれで偏見なのかな、と。
「山にのぼったこともないような人を、いきなりエベレストに登らせる」というレベルの無謀さではなく、ほとんどの参加者は7000mから8000m級の山に登った経験があり、エベレストでも高地に慣れるための訓練もちゃんと行っていたし、トラブルが起こったときのための酸素ボンベや登りやすくするためのロープも、あらかじめ用意されている……はずだったのです。
何かひとつ、決定的な原因があったというよりは、判断ミスや油断、準備不足などが積み重なって、こんな事故になってしまった。
個人的には、そこまでしてあの山に登りたくて、登って命を落とした人たちのことを、そんなに責めたり哀れんだりするような気持ちにもなれなくて。
こんな「平凡な毎日」を過ごし、寿命を消化していくだけの人生をおくっている僕には、限界に挑戦して、世界でいちばん高いところを目指して燃え尽きるような生きざまが、なんだかとても美しくみえるというか、それはそれで良いのではないか、という気持ちもわき上がってきたのです。
憧れの場所で死んで、あの山の一部になるっていうのも、それはそれで良いんじゃないか。
とはいえ、誰かが遭難すれば、悲しむ人がいて、捜索するために危険をおかす人たちもいる。
ほんと、登山者たちの極限でのモラルって、すごいな、と思うのです。
自分の命だってどうなるかわからないような状況で、おそらく助からないであろう、ここで知り合っただけの他人を引きずってでも、一緒に降りようとするのだから。
(もちろん、全員がそうしたわけではないけれど)
登山をする人は知っておくべき、「低体温症」についての知識が、この本では紹介されています。
登山中の低体温症は、濡れ、低温、強風などを防ぐことが不十分の場合、行動してから5〜6時間で発症し、早ければ2時間で死亡する、とJ.A.ウィルカースンが述べている。
低体温の症状が発症し、震えがくる34度の段階でなんらかの回復措置をとらないと、この症状は進行して死に至る。条件によっては、体温低下が急激に進行するために時間的な猶予はない。
34度の段階で震えが激しくなったことには、すでに脳における酸素不足で判断能力が鈍くなっている。そのため本人または周囲の仲間に低体温症の知識がなければ、何が起こっているのかわからないままにその回復を遅らせてしまうことになる。
したがって、この34度の症状がポイントとなる。
この本で、実際に遭難してしまった人たちの生々しい体験談を読んでいくと、現場では、一緒に行動している人も同じように低体温症を発症していることが多いのです。
自らも危険な状態なのに、他の人に対して最適な対応をしていくのは難しいですよね。
僕がいちばん驚いたのは、生還した人たちの「その後」でした。
もっとも、「自分が行きたい山へのツアーがあれば、これからもアミューズ社を利用する」と寺井は言う。平戸も、「地方には東京のようにツアー会社がたくさんあるわけではなく、選択肢が少ない。かといってひとりで未知の山に行くのは不安だから、自分の目的と都合に合えば、今後アミューズのツアーに参加することもあると思う」と言っていた。事故直後からマスコミやインターネットを通じてアミューズ社とガイドへの批判を繰り広げていた久保は別にして、清水も里見も星野も、事故後もアミューズ社のツアーを利用し続けている。
多数の死者を出す大量遭難事故の当事者になりながら、その後も事故を起こした会社のツアー登山に参加し続けるのはどうしてなのだろう?
「アミューズ社に対してはなにも思わない。天気がよければ、なにも起こらなかった。だからアミューズ社の責任でもガイドさんの責任でもないと思う」(里見)
「信頼の置けるガイドだったけど、たまたま多数の悪条件が重なり事故が起きた。そのことについて、素人の私が『ガイドが悪い』『あれが悪い』『これが悪い』と言える立場ではない。それよりも、トラブルを最小限に抑えるには、ツアー客一人ひとりがしっかりしろということ」(清水)
生還した人たちのほとんどが、また、山に登っているのです。
というか、登り続けている。しかも、同じツアー会社を利用している人もいる。
僕だったら、もし山でそんな目に遭ったら、もう二度と登らないと思います。
一度山の魅力にとらわれてしまうと、遭難を経験しても、やめられなくなってしまうのですね……
いや、僕は正直、これを読んで、「正気か?」と思ってしまいました。
車の運転とかなら、イヤでもやらないと生きていけないという事情もあるでしょう。
でも、「登山」は、自分からやろうとしなければ、たぶん、一生やらなくても困らないだろうに。
実は、これを書き始めた時点では、「どんどん肥大していく承認欲求に飲み込まれて、実力も、それをつけるためのトレーニングさえも不足していたなかで、『記念受験』を続けて命を落としてしまうのは、あまりにも勿体ないし、無謀だった」というような結論にしようと思っていたんですよ。
でも、こうして、過去に読んだ登山家や冒険家たちの本を読み返してみると、「山に登る」という、ただ、それだけの行為なのに、一度ハマってしまった人は、どんなに酷い目にあってもやめられなくなってしまうのだな、ということを思い知らされるのです。
多くの登山家は、山で死ぬまで、登山をやめることができなかった。
栗城さんは、もっと割り切って、ラクなルートを神輿にかつがれるようにして「エベレストに登ってきました!」とやることだってできたのではなかろうか。でも、そうはしなかった。
結局のところ、栗城さんもまた「山に取り憑かれた人」だったのでしょう。
何かを責める、というよりは、「こういうふうにしか生きられない人生というのもあるのかもしれないな」と思いますし、「そういうもの」を持っていた人というのは、それなりに幸せだったのではないか、という気もするんですよね。
「アルコール依存」とか「ギャンブル依存」に比べたら、まだ美しい感じはしますし。
「感じがする」だけで、より多くの人を巻き込んでいるのだとしても。
謹んで、栗城史多さんの御冥福を祈ります。
ああ、でもなあ、死ぬことによって、「完成」してしまうような人生って、どうなんだろうなあ、うまく言葉にできないのだけれど。
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