いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

僕は「仕事が好きになれない」という新人たちに言葉を贈りたい。

www.pasonacareer.jp


 ああ、いいことが書いてあるなあ、と思いながら読みました。
 僕自身は、ずっと仕事が嫌いだったんだけれど、自分が働くことが嫌いだと認めたくなくて、なんとか踏ん張ってきたような気がします。
 あらためて考えてみると、深刻な病気の人と深刻な話をしたり、間違えたら相手が死んでしまうような状況に突然置かれたり、夜中に何度も叩き起こされて、その翌日の夕方(に終わればかなりラッキー)まで働きづめだったりするような仕事が「楽しい」わけがない。
 なかには、そういうハードな環境にやりがいを感じる人もいるんだけどさ。
 医者って、「偉いことにしておかないと、誰もやりたがらない仕事」ではないか、とも思うんですよね。だからみんな、本心では「こんなことやって、物好きだよなあ」なんて内心で思いつつ、「立派ですねえ」なんてお世辞を言っている。まあ、仕事とかプライドなんて、そんなものではある。
 そして、残念なことに、そういうプライドをくすぐられるかどうかって、人間にはけっこう重要なことでもある。
 働きたくない、遊んで暮らしてみたい、と思っていた僕が、半年仕事を休んでいたときに痛感していたのは、「仕事をしていないって、それだけで、けっこう世の中での居心地が悪くなるものなのだな」ということでした。文字通り「遊んで暮らしていた」のだけれど、やりたいことをやってもいい、と言われると、案外、やりたいことのネタって、すぐ尽きてしまうんだよね。むしろ平日の昼間に出歩いているこの中年のオッサンは、周りからどう見えているんだろう?とやたらと気になったり、貯金通帳からお金が減っていく一方であることに(預金額そのものは、そんなに慌てなくても良いくらいはあっても)すごく不安になったりしたものです。
 

 本当に「好きを仕事に」できればいいし、「仕事が楽しい」のであれば、幸せだろうな、と思います。
 でも、現実的には、それでお金をもらえる=仕事になる、というのは、「人ができないことをやる」か、「人がやりたがらないことをやる」しかないんですよね。

 
fujipon.hatenablog.com


 もちろん、プロスポーツ選手やヒカキンさんのようなトップユーチューバーは「好きなことを仕事にできている人」だとは思う。
 本人たちは、楽しくてしょうがないのかもしれない。
 それでも、傍からみれば彼らの生きは身体的にも精神的にも大変そうだし、誰にでもできることではありません。


「好きなことをやって生きる」「自由に生きる」なんて言っているブログの人たちが、最初は楽しそうにしているのに、どんどん「お金を稼ぐこと」が優先になってきて、出会い系とか仮想通貨の宣伝ばかりしているのをみると、なんだかなあ、と悲しくなります。
 変な人と出会うリスクも少なからずある出会い系や、もう投資の対象としてはピークをとっくの昔に過ぎてしまっている可能性が高い現在の仮想通貨を他者に売りつけるというのが、あなたの「好きなこと」なのか?
 僕は、その人が本当に良いと思っているものを売っている人たちは、真っ当だと思っているんですよ。
 でもさ、「稼げる」という理由で、リスクが高いものを甘言を弄して信者に売りつけるのが「楽しい」のなら、地獄に行ってほしい。
 いや、わかるんですよ。彼らがほんとうに望んでいることは、お金を稼ぐというより、「ちやほやされながら生きていきたい」ということである、というのは。
 そして、お金というのは、月に10万円稼ぐ生活をしていたら、それが5万円になることがものすごく怖いということも。
 

 最近読んだ本のなかに、すごく「腑に落ちた」言葉があったのです。
fujipon.hatenadiary.com


 森先生は、「やる気のコントロールは意識的にされていますか?」という編集者からの質問に対して、こうおっしゃっています。

森:そんなに気合いを入れるほどのことでもなく、毎日の習慣にしている、というだけです。やる気なんてものは、やり始めれば自然に出てくる。つまりエンジンがかかってくるものではないでしょうか。どうしても、前向きになれない、仕事や勉強が好きになれない、と言う人がいますが、後ろ向きのまま、嫌いなままやれば良いだけです。やらないと困ったことになるならばですよ。そうでないなら、やらなければ良い。
 やるやらないを、好きか嫌いかという問題にわざわざ置き換えなくても良いのです。どうして好きになろうとするのかの方が、僕には不思議です。自分を騙す必要はないのでは。
 この頃、子供に対して、楽しく勉強ができるとか、算数が好きになる教育とか、そんな子供騙しみたいなことをしようとしますが、楽しくない子や好きになれないと感じてしまった正直な子は、それができなくなってしまうのではないでしょうか。仕事も楽しさを求めようとしすぎるから、ちょっと辛いことがあると、これは私の望んでいた職場ではない、と悩んでしまう。勉強も仕事も、遊びみたいに楽しいわけがない。苦しいのが当たり前でしょう。人間は、苦しくても、将来の利益のために行動ができる、ということをもう一度認識した方が良いと思います。
 ですから、僕の場合、まったくそういった「やる気」みたいなものを持っていませんので、コントロールするもなにもない。仕事をする動機というのは、賃金が得られるからですし、そうして得たお金で自分の好きなことができる、自由が手に入る、ということなのです。その原則が、すべてだとは言いませんが、大部分であることは確かです。


 これを読んで、僕はなんだか安心したのです。
 そうか、「好きじゃなくても、いまの自分にとっては、やらなきゃいけないからやる。それで良いんだよな」って。
 僕のような凡人が「森博嗣基準」を適用するのは危険かもしれない、という一抹の不安もありますが。
 仕事を休んでいたときのことを考えると、「やらなければいかないことがある状況」というのは、けっして悪い面ばかりではないような気がします。
 「好き」とか「楽しい」というような、感情や感覚に任せてしまうというのは、けっこうリスクが高い。
 「好き」って、ずっと同じように続くとは限らないじゃないですか。突然、「嫌い」に、ひっくり返ったりするし。
 それに比べると「これは自分にとってやるべきことか」という基準には、安定感があります。
 社会的な意義とかだけじゃなくて、自分の現状やこれからの生活、お金のことまで含めての総合的に判断して、「やるべきじゃない」という結論が出るのなら、さすがにその仕事はもう止めたほうがい。
 とはいえ、順調にいっているようにみえても、突然すべてを投げ出して、南の島で絵を描きだすような人生というのもあるのだけれども。
 そういうのは、どうしてもそうしたい衝動があるのなら、どうしようもない、ある種の事故だ、と思うしかないよね。


 「やるべきだと自分では思っていても、どうしても身体が動かない」とか「職場の環境がひどくて、これ以上続けると命にかかわる」という場合には、絶対に無理をしないでください。
 あと、個人的な経験でいうと、仕事をはじめた時期って、どうしても飲み会やら残業やらで帰りが遅くなったり、自分の時間をつくりたくて、夜更かししてしまいがちだけれど、睡眠時間を長くとること、早起きすることって大事です。


 清潔でいること。約束の時間を守ること。わからない、自信がない場合は、責任者にちゃんと確認すること。


 よっぽど特別な仕事(プロスポーツ選手とか)でなければ、これだけのことができていれば、「新人として、なんとか生き延びていける最低ライン」は越えられるはずです。
 ……と、新人時代、仕事がつらくて、毎晩、「明日は行くのをやめよう……でも行かなきゃいけないよな……一度レールから外れたら、もう終わりだし……寝ちゃうと起きたときはもう朝だよな……」と鬱々としながらスーパーファミコンの『ダービースタリオン』を延々とやっていて寝不足だった20年前の僕にも教えてあげたかった。
 でも、当時は一杯一杯で、「明日からは早寝早起き!でも今日はもうちょっとゲームしよう……」というのを毎日繰り返していました。
 正直、運が良かったから、生き延びているだけなのかもしれない、と、今もずっと思っています。


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