いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「グリッドガール」の次は、「ホームランガール」かもしれない。


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 廃止される「グリッドガール」は、F1のレースでスタート前に車の停止位置を示す「グリッド」の前に立って、プラカード掲げる役割の女性ということで、いわゆる「レースクイーン」が全廃されるわけではないみたいです。レースクイーンは、F1に参加しているそれぞれのメーカーが雇用しているので、そこまでは運営側としては立ち入れない、というのもあるのでしょう。
 僕はここ10年くらい、いや、地上波中継がなくなってから、F1のレースそのものを観ることがなくなってしまったのですが、グリッドガールとかレースクイーンに特段興味はありません。グリッドガールがいなくなったら、もうF1なんて観ない!なんて人がそんなにいるとも思えないし、ある意味、経費削減の一環なのかもしれません。
 F1は「走る広告塔」なんて言われていますが、燃料規制やタバコ広告の禁止など、もともと、世の中の動きみたいなものにかなり敏感に反応してきています。F1と広告といえば、日本のF1ブーム真っ盛りのときに、『ジャングルの王者ターちゃん』(だったと思う)のなかで、ターちゃんの視力が高い、というのを説明するために、マクラーレンの車体に貼られた『ジャンプ』のステッカーが見える!というネタが使われていたのを思い出します(そのくらい、『ジャンプ』のステッカーは小さい、という自虐ネタでもあるわけです)。
 あの頃、1990年代前半のF1ブームは本当にすごくて、同級生女子たちが、みんな「セナに会いたい!」とか言っていたわけです。
 セナは事故で亡くなり、シューマッハはスキーの事故で現在も闘病中。『カーズ』で、シューマッハが声の出演をしている場面を見るたびに、とくに興味を示さない息子たちの横で、「このときのシューマッハは、まさかこんなことになるとは思っていなかっただろうな……」と、ちょっとしんみりしてしまいます。
 あの頃、僕は大学生で、一人暮らしをはじめたばかりで、夜中に好きなテレビを観られる、ということそのものがうれしくて、『ドォーモ』とか中井美穂さんがキャスターだった時代の『プロ野球ニュース』とかを嬉々として眺めていたわけですが、そのなかでも、日曜日の夜にF1中継を見るというのは、いちばんの楽しみだったのです。あの時間に中継されているのが良かったんだよなあ。日本グランプリとか昼間に中継されるから、かえって興ざめしていたような気がする。
 セナとプロストのライバル関係はまさに人間ドラマだったし、明らかにマシンパワーに回るウイリアムズのマンセルをセナが凌ぎきって優勝したモナコグランプリの最後のほうは、いまだに忘れられません。「だが、ここはモナコ!」おかげで翌日の試験には落ちましたが、F1が見たかったから勉強しなかったのか、勉強したくなかったから、F1が面白かったのか。


 全然「グリッドガール」の話じゃないですね、すみません。
 個人的には、どっちでもいい、というか、「女性が性的な魅力をアピールする仕事」に対する不快感、嫌悪感を抱く人がいるというのはわかる。
 僕は自分のルックスが嫌いでしょうがないので、「見られることを仕事にする」というのは想像もつかないんですよ。
 でも、一生懸命勉強をするとか、仕事をすることによって、食べていったり、世の中を生きている人が評価されるのであれば、「自分の容姿を磨くことによって生活をしている人」も同じではないか、とも思うのです。
 自堕落な僕の生活を振り返ってみると、「イケメン」「美女」であることには、先天的なものもあるでしょうけど、後天的な努力をしないと、維持・向上していくことは難しいはず。
 枕営業とかセクハラとかは論外なのですが、自分の才能が活かせるジャンルで努力して食べていく、というのは、そんなに悪いことなのか。
 グリッドガールレースクイーンも、「いまの世の中では、対費用効果に乏しい」どころか、イメージダウンにもつながりかねないからやめる、というのが現実なんでしょうけどね。
 いまのF1を支えているオイル・マネーを拠出している国々では、女性の肌の露出に否定的なのが、今回の決定につながった、という説もネットでみましたが、事実かどうかはわかりません。
 

 この「グリッドガール廃止」というのをみて、格闘技などでも、ラウンドガールはすたれていくのだろうな、と思いました。
 たぶん、これからは減っていくのでしょうね。
 では、プロ野球で、ホームランを打った選手にヌイグルミを渡す「ホームランガール」はどうなのか?

carp-matome.blog.jp


 これは、露出がそんなに高くない服装だから、許容範囲内、ということになるのでしょうか。
 でも、「ガール」じゃないとダメなのか?という疑問は残りますよね。


 しかし、カープファンとしては、こんな事例も記憶に新しいのです。
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 これは「仕事」というより、「一日限定のファンサービス」なので、「グリッドガール」や年単位の「ホームランガール」とは違うのかもしれませんが、それでも「女性限定」ではありますよね。
 別に、女性じゃないとできないようなことをやっているわけでもないのに(ちなみに、男の子がボールボーイやプレゼンターになる場合もあります。残念ながら、こういう場でもオッサンは排除されているんですよね)。


 とはいえ、この85歳のホームランガールの話には、同じチームのファンとして、うれしくもなるのです。
 あらためて考えてみると、「ホームランガール」って、ファンサービスなのか、選手のモチベーションを高めるためなのか、よくわからないシステムではあります。
 いなくても全く試合の進行に必要はないのだけれど、なんとなく習慣として続いているだけ、という可能性もある。
 ただ、それで雇用が生まれたり、無いと寂しい、と感じる人もいるのであれば、あえて「やめる」という判断をするのも、たぶん難しい。
 

 ちょっと脱線しますが、昨日、車でラジオを聞いていたら、サファリパークのベテラン飼育員さんが、こんな話をしていたんですよ。

 世の中では、草食系男子、なんて言いますけど、サファリパークの動物たちをみていると、オスがメスに対して、ガツガツいくのは、草食動物のほうなんです。肉食動物のオスのほうが、メスへのアピールはおとなしい。なぜかというと、草食動物の場合は、もし嫌われても、そんなにひどく傷つけられることはないので、オスもメスに思い切っていけるのですが、肉食動物の場合は、メスも肉食ですから、うまくいかなかったときに危ないので、どうしても慎重になるんです。


 世の中でいわれている「草食系男子」と、実際の「草食動物」とは逆なんですよ、と楽しそうに話していたのですが、僕はこれを聞きながら、これからも「ガツガツいく人間」は減っていくだろうな、と思ったんですよね。
 勇気がないとかどちらかが悪いとかじゃなくて、生き延びるための本能みたいなものの結果として。


 世界には「必要なもの」と「不要なもの」があるのだけれど、その中間には「絶対必要ではいえないけれど、あったほうがいいもの」や「なくてもよいのだけれど、それで生活をしている人が少なからずいるもの」「ほとんどの人には不要、ときには有害だけれど、それがないと生きられない人が一定数存在するもの」がたくさん存在しています。
 「グリッドガールはF1に必要不可欠」っていう人は、たぶんそんなにいないと思うんですよ。
 でも、「絶対に必要じゃないものは、どんどん排除していい」っていうのも、怖い気がするのです。


fujipon.hatenadiary.com
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