いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

翻訳者・通訳の仕事に近づくことができる7冊の本


cruel.hatenablog.com


 僕は「ことば」を仕事にしている人の話を聞いたり読んだりするのが好きです。
 憧れてはいるけれど、自分にはそれを仕事にするほどの能力も熱意もなかったのだよなあ。
 ある意味、それを生業にしていないからこそ、傍観者として楽しめるのかもしれません。
 冒頭のエントリを読んで、僕がいままで読んできた、翻訳者や通訳者の本を思い出したので、そのうちのいくつかを紹介してみます。
 

(1)特盛! SF翻訳講座 翻訳のウラ技、業界のウラ話
fujipon.hatenadiary.com


大森望さんが書かれた。「翻訳者の心得」についての文章なのですが、これを読むと、「訳すだけ」で、「英語に詳しければできる仕事」のようなイメージがある「翻訳」とくに「海外文学の翻訳」というのが、いかに大変な仕事であるかがよくわかります。「森が見えていれば、それほど大まちがいをする心配はありません」なんて書かれていますが、正直、日本語で書かれた日本人の小説でさえ「正しく森を見ることができる」人なんて、そんなに多くはないような気がします。
 「そして誰もいなくなった」を僕がはじめて読んだのは中学生くらいだったと思うのですが(そして、読み終えて、「なんじゃこりゃ!」と半分驚嘆し、半分呆れ返った)、「小説を注意深く読めば論理的に指摘できるはずの犯人が、翻訳だけを読んでいると指摘できない」という話は、はじめて知りました。



(2)翻訳夜話
fujipon.hatenadiary.com

翻訳夜話 (文春新書)

翻訳夜話 (文春新書)


僕がこれを読んでなるほどなあ、と思ったのは、お二人の「良い翻訳」についての考えかたでした。

柴田元幸僕も自分が英語にかかわっているから、英語の翻訳だと正しさとかが気になりますけども、たとえばフランス語とかドイツ語の翻訳を読むとき、正しさよりもおもしろさを圧倒的に求めますよね。


村上春樹そうですね。細かいところが多少違っていたって、おもしろきゃいいじゃないかと僕も思います。でも僕自身のことを言えば、僕は翻訳者としてはどちらかといえば逐語訳です。ルービンさん(村上さんの小説を英語に翻訳している人のひとり)のほうに近い。で、バーンバウム(こちらも村上作品の英訳者のひとり)の訳はおもしろいと思うけど、僕だったらああいうふうにはやらないと思います。一語一句テキストのままにやるのが僕のやり方です。そうしないと僕にとっては翻訳をする意味がないから。自分のものを作りたいのであれば、最初から自分のものを書きます。もちろんそのためにはしっかり敬意を抱けるテキストを選択することが不可欠なんですけど。


柴田:そのこともぜひおうかがいしたかったんですけども、こういう翻訳論の授業をやっていると、みんなの思い込みとしては、直訳というのはだめで、いかにうまく意訳するかが翻訳の極意だ、みたいな思いがあるようなんです。でも僕がみなさんのレポートに書くコメントというのは、わりと直訳を褒めて、意訳すると凝りすぎとか、原文からずれているというコメントをすることがどうも多いみたいなんですよ。


村上:正しい姿勢だと思います。


僕も「意訳のほうが高度であり、直訳っぽいのは翻訳者の技量が足りないからだ」という考えをずっと持っていたのですが、実際に翻訳をしている側からすると、「とにかくテキストに忠実であること」がいちばんのポイントになるようです(もちろん、すべての翻訳家がそう考えているとは限りませんが)。



(3)翻訳教室
fujipon.hatenadiary.com

翻訳教室―はじめの一歩 (ちくまプリマー新書)

翻訳教室―はじめの一歩 (ちくまプリマー新書)


 この新書を読んでいると、翻訳家のなかでも「原文になるべく忠実な訳派」と「意訳に寛容派」の争いというのは、いまでもずっと続いているのということがわかります。
 『翻訳夜話』の柴田元幸さんや村上春樹さんは、どちらかというと「原文忠実派」で、この新書での鴻巣さんは「意訳寛容派」のようです。
 僕はこれまでは、「原文忠実派のほうが正統なのではないか」と思っていたのですが、この新書を読んで、ちょっと考え込んでしまいました。
 もちろん、大ヒットしたニーチェの『超訳』みたいなのは、「翻訳」としては、さすがにやりすぎなんじゃないか、と思うのですけど、英語と日本語のリズムや心地よい言い回しが異なる以上、読者の「読みやすさ」「わかりやすさ」のための「意訳」があっても良いのではないかな、と。
 村上春樹さんが、新訳で『長いお別れ』を『ザ・ロング・グッドバイ』に、『ライ麦畑でつかまえて』を『キャッチャー・イン・ザ・ライ』にしたのは、「原作に忠実」ではあるけれど、それが「原書を読めない読者」にとって親切なのかどうかは微妙です。
 まあ、『ライ麦畑でつかまえて』ってタイトルは、「内容とズレている」ような気もしますけど(でも、すごく良いタイトルなんですよねこれ。耳慣れているからなのかもしれませんが)。



(4)伝える極意
fujipon.hatenadiary.com

伝える極意 (集英社新書)

伝える極意 (集英社新書)


著者は「通訳」という仕事の難しさのひとつを、こんなふうに説明しています。

 エネルギッシュな発言を同じようにエネルギッシュな調子で通訳すれば、多くの人が納得するかもしれません。しかし、では話し手が泣きながら訴えているとき、通訳者もやはり泣きながら伝えるべきなのか。そして、ボソボソと聞き取りにくい発言は、ボソボソと通訳するべきなのか。「正確さ」と「わかりやすさ」、「方法」と「目的」、「事実」と「認識」の二律背反は通訳の現場につねに存在しています。

 エネルギッシュな通訳といえば、サッカー男子日本代表のトルシエ監督の通訳だった、フローレン・ダバディさんを僕はまず思い浮かべました。
 まるでトルシエ監督が乗り移ったかのような大きなアクションで通訳をしている姿をみて、僕は内心「いや、あなたが監督ってわけじゃないでしょうに……」と思っていたのですが、トルシエ監督の情熱的な発言を、小さな声+直立不動で淡々と訳してしまったら、意味は同じでも選手たちが受けるイメージは、全く違ったものになるはずです。
 だからといって、悲しい体験を話している当事者の言葉を、通訳者が悲しそうな表情をして、泣きながら通訳すればいい、というものでもないですよね。



(5)翻訳百景
fujipon.hatenadiary.com

翻訳百景 (角川新書)

翻訳百景 (角川新書)


 僕がまだ幼かったころ、いまから30〜40年くらい前って、原文に忠実な訳よりも、読みやすくした「意訳」を支持する人が多かったような記憶があります(まあ、それは僕がその時期、「子供向けの訳書」を主に読んでいたから、なのかもしれませんが)。
 いかにも教科書的に、原文に忠実に訳しました、みたいな翻訳は、嫌われがちだったんですよね。
 最近の柴田元幸さんと村上春樹さんの翻訳についての対談を読んでいると「なるべく原文に忠実な訳」であることが、あらためて重視されているようにみえます。
 その一方で、「超訳」という、ものすごく意訳っぽい偉人の名言がベストセラーになっていて、「これは、どこまで信用して良いのだろう?」と思ってしまうこともあります。
 「超訳」って、「原文にはあんまり忠実じゃないですよ」ってことでもあるものなあ。

 
 著者は、こんな実例をあげています。

 スティーヴ・ハミルトンの『氷の闇を越えて』を訳していたとき、冒頭の一文をどう訳すかでずいぶん迷った。 警察官のアレックス・マクナイトは、相棒とともにパトロールをしていたとき、異常者に乱射される。相棒は命を落とし、アレックスも瀕死の重傷を負って退職する。それから十四年経ったいまも、アレックスの胸には摘出できなかった銃弾が残っている。心の傷は劣らず深い。それが、あるとき思いがけないことから私立探偵になり、事件を解決する過程で少しずつ自己再生していく。
 この作品の書きだしは、こんなふうになっている。


 There is a bullet in my chest.


 どんな訳者でも、冒頭の一文に向かうときはかなり意気ごむものだろう。その作品、そのシリーズ、ときにはその作家の将来を決定づける可能性さえあるからだ。この作品を訳したときも、あれこれ考えた。数十の訳文が脳裏に浮かび、消えていった。そして、空が白んでいきたころ、ひとつの結論に達した。確信と言ってもよかった。

 さて、あなたなら、このシンプルな英文をどう訳しますか?



(6)同時通訳はやめられない
fujipon.hatenadiary.com

同時通訳はやめられない (平凡社新書822)

同時通訳はやめられない (平凡社新書822)


 「通訳」というのは、基本的には「お互いが言葉のやりとりをするための道具」のような存在で、誤訳などのときには責任が問われることはあるけど……という存在だと僕は思っていました。
 ところが、著者が出席した「戦争と通訳者」という2015年に立教大学で行なわれたシンポジウムで、武田教授がこんな「通訳者の受難」を紹介していたそうです。

 武田氏の話をまとめると、第2次世界大戦では通訳者(台湾・朝鮮出身者、日系アメリカ・カナダ人も含む)も戦犯として起訴された。信じられないことに死刑になった人もいる。起訴・有罪の理由は、捕虜・現地住民の虐待・拷問・殺傷、通訳しなかった(捕虜の発言を上官に伝えなかった)、虐待や拷問をしていた部署に所属していたなどである。「上官の命令で通訳しただけ」は通じなかったのだ。また、一般に通訳は「黒子」に思われているが、戦争の場では、直接捕虜に接し、上官の「悪魔の言葉」を伝えるため、「可視性」があるのだという。戦争時の通訳は、諜報・情報、プロパガンダ、捕虜の対応、休戦交渉、占領、戦犯裁判などにおいて、きわめて重要な役割を担う。と同時に大きなリスクも負う。複数の言語を解することで、敵からも味方からも信用されず、スパイ、裏切り者の烙印を押されがちである。
 ちなみに、ヒトラーの通訳をしていたパウル・シュミットは「自分は、ただ通訳をしていただけ」と主張し、戦犯として起訴されることはなかった。一方、ナチスの親衛隊で、「アウシュビッツの会計係」といわれたオスカー・グレーニング被告(94歳)の裁判が2015年に行なわれたが、「自分は収容者の財産を記録し、没収に関わっただけで、虐殺には直接関与していない。すべて上官の命令に従っただけだ」と主張したが、有罪となった。

 日本のB・C級戦犯の裁判は、海外の旧植民地(45か所)で行なわれ、5700件中4403人が有罪となった。そのうち、台湾人は190人で全体の4.3%にあたる。これに朝鮮半島出身者148人が続く。台湾は戦後主権を回復しているので、台湾人は理論的にも法的にも「日本人」ではないにもかかわらず、戦犯として裁かれた。さらに190人中21人が死刑、うち11人は通訳者だった。多くは暴力行為に直接関与したというより、捕虜への尋問に関わっていたにすぎない。インド洋のカーニコバル島のような遠い南洋の島でも、戦後戻ってきたイギリスによって、台湾人通訳者が1人処刑された。

 なんで通訳がそんな目に……と、これを読むと思うのです。
 戦時下では、「良心に従って、酷い命令は通訳しない」なんていうのは無理でしょうし。
 でも、「通訳」というのは、言葉が通じない現場で、人々の矢面に立つ存在であることも確かなんですよね。


(7)村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事
fujipon.hatenadiary.com


「翻訳の更新=新訳」について、村上春樹さんは、こんな話をされています。

村上:たとえば、1961年に書かれた日本の小説で、今読み返してもほとんど古びていないというものは、もちろんあるわけですよね。それに比べて、翻訳の仕事はどうしても古くなります。これは避けがたい現象ですね。不思議だけど。古びないオリジナルはいっぱいあるけれど、多かれ少なかれ古びない翻訳はない。だからもちろん、僕の翻訳だってあと五十年たてば、「古いなぁ」ってみんなぶつぶつ文句を言うだろうと思うし、それは更新されていって当然だと思うし、それは更新されていって当然だと思うんです。
ロング・グッドバイ』も、ミステリー・ファンのあいだでは清水さんの訳が聖書みたいになっています。だから「何が『ロング・グッドバイ』だ。これは『長いお別れ』だよ。題からしてピンと来ない」って言われたりします。でも僕の感覚からすれば、The Long Goodbyというのは、「途中で長く間の開いてしまった、引き延ばされたさよなら」であって、「長い」「お別れ」とはちょっと言葉のニュアンスが違うんですよね。だから清水さんと同じ邦題は使わなかった。これはあくまで感覚の問題です。


 原典は古びにくいけれど、翻訳はすぐに古くなってしまう。
 たしかに、昔の翻訳は、いまではけっこう読みづらいものが多いのです。
 『ロング・グッドバイ』については、僕自身は『長いお別れ』という題が格好良くて好きなんですけど。
 でも、その印象が強すぎるからこそ、『ロング・グッドバイ』というタイトルにせざるをえないところもあったのかもしれません。


 これがベスト、というわけではなくて、僕が読んだもののなかから、翻訳者・通訳者が、自らの仕事について書いた本を選んでみました。
(そこの「なんで米原万里さんが入ってないんだ!って思っている方!
 その通りなんですが、米原さんの「翻訳の仕事の話がメインの本」を、僕は読んだことないのですみません)


 翻訳といっても、純文学とエンターテインメント、学術書に技術書で、それぞれ重視するところが違う、というのもあるでしょうし、「読みやすさ」と「原書に忠実であること」を両立するのは難しい。もともと難解な本であればなおさらです。
 日本語で書かれていたとしても、何が書いてあるのかわからない、あるいは、読み違えている、ということは少なくないですし。


 最後に「翻訳」というか、「外国語を訳すということの面白さ」について、僕の好きなエピソードをご紹介して終わりにします。


『オタク成金』(あかほりさとる、天野由貴共著・アフタヌーン新書)より。

(1986年、あかほりさとるさんが大学2年のとき、アニメの脚本家を目指して<アニメシナリオハウス>第二期生となったときのエピソード。「」内は、あかほりさとるさんの発言です)

「俺の場合は師匠について。で、<アニメシナリオハウス>に自信満々で行ったらさ……見事に鼻、バシンバシン折られて。脚本の成績、なんと50人中、48番だったんだよ!ビックリするだろ?
 俺ね、同期のヤツらがものすごくて。『仮面ライダー クウガ』とかの戦隊モノをやってる荒川稔久とか、『機動新世紀ガンダムX』全話の脚本を一人で書いた川崎ヒロユキとか、『幽☆遊☆白書』とかジャンプ系アニメの脚本をやってる隅沢克之とか。あいつら天才だからさ。やんなっちゃうよね。
 ほんと、あいつらって脚本うまいんだよ。同じストーリーのものを書いても、うまいって思ってね。これは師匠のところで習ったんだけど、その人のセンスを見るときに、こういうテストをするの。


”I love you. を100個訳せ。”


実際に注目するのは1個目なんだけどね。これを荒川はだね……


”アンタなんか大嫌い”


って訳したんだよ! 勝てないだろ!?
 ちなみに俺は”ヤラせろ”だったけどな! こういうセンスがあるかないかで、セリフってのはぜんぜん変わってくるから。だから当時から、絶対勝てねぇと。
 その頃から俺は、自分は脚本業界で一番の才能を持っていないと思ってたから。
 だから、勝負するならここじゃねぇなと。俺の場合は、見切ってるところがすごくあってね。こいつには勝てねぇとか、精一杯やっても自分はここまでとか。
 昔、川崎が言ってたんだけど、みんなで飲んだときに、酔っ払ったあかほりが言ってたよと。”この業界じゃ天下は獲れん!”って」


 夏目漱石が”I love you."を「月が綺麗ですね」と訳したという有名なエピソードがあるのですが、翻訳というのは、正解がない(あるいは、正解がたくさんある)からこそ、面白いとも言えそうですね。


オタク成金 (アフタヌーン新書)

オタク成金 (アフタヌーン新書)

21世紀の資本

21世紀の資本

ヴァリス〔新訳版〕

ヴァリス〔新訳版〕

アクセスカウンター