いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

中年男性が、2017年にはじめて観た『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』を語る。

【ストーリー】
昔は仲良しだった幼馴染たち。
でも、高校生になった彼らの距離はいつの間にか離れてしまっていた。
ヒキコモリぎみの主人公"じんたん"。
ギャル友達に流され気味の"あなる"。
進学校に通う"ゆきあつ"と"つるこ"。
高校に進学せず旅を重ねる"ぽっぽ"。
そして、仲良しだった小学生の頃から、
それぞれが変わっていく中で変わらない少女"めんま"。
ある日、"お願いを叶えて欲しい"とじんたんにお願いをするめんま
困りながらも"めんまのお願い"を探るじんたん。
そのめんまの願い事がきっかけとなり、
それぞれの領域でそれぞれの生活を送っていた幼馴染達は
再びかつてのように集まり始める。


 フジテレビの深夜アニメ枠で、2011年4月から6月まで放映されていた、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』。
 僕はリアルタイムでは全然観ていなかったのですが(今思うと、これって、東日本大震災の翌月から放送されていたんですね)、脚本の岡田麿里さんが書いたこの本を読んだのをきっかけに、時間があるときに1話ずつ観ていきました。


fujipon.hatenadiary.com


 「こいつら、いつまで子どもの頃のことを引きずっているんだろう。昔どんなことがあったとしても、人間は忘れるものだし、ずっと子どもの頃と同じ人を好きでなんていられないものじゃないのか?」と、斜に構えつつも、この夢と現実を行き来しているような、登場人物がみんなクヨクヨしっぱなしの話にどうやってオチをつけるのかと気になってはいたんですよね。
 子どもの頃は親の仕事で転校が多く、大人になってからも医局人事で数年ごとに職場を異動するような生活を続けてきた僕には、子ども時代からの友人というのがいないのです。
(仕事や生活パターン以前に、人間関係に対してマメじゃないのが最大の理由ではあるのだけれど)
 だから、「ちょっと羨ましい」と、「でも、こいつら高校生なのに世界狭すぎだろ」というのと
が入り混じりつつ、観ていたところもあります。
 あらためて考えてみると、大学生ならともかく、高校生の世界なんて、田舎では「自転車で行ける範囲+ときどき電車やバス」くらいのものなんですけどね。


 そういえば、途中、こんなエントリも書いたなあ。
fujipon.hatenablog.com


 「超平和バスターズ」を結成していた幼なじみの5人(めんまを除く)は、めんまの幽霊(?)の出現をきっかけに、またみんなで集まるようになり、「めんまのお願い」を叶えようとするのです。
 でも、そのなかで、それぞれの気持ちのズレや身勝手さが浮き彫りになってしまう。
 ただ、それはけっして悪いことではなくて、その「身勝手さ」を自覚することこそが、彼らを成長させていく、という面もあるんですよね。
 観ていると、「もう、これ以上自分や仲間を責めないで、そのくらいにしておいたら良いのに……」とか、思うんですけど。
 そんななかで、めんまは、(ときどき哀しみをみせるものの)誰にも悪意をふりまかない、ピュアな存在として描かれます。
 なんていいヤツなんだ……
 生きている人間であれば、こんなふうに日々を過ごすことはできないだろうけど……


 この話、どうやって最後にまとめるのだろう、「永遠の夏休み」みたいな感じで、「終わらない終わり」にするのだろうか……とも思っていたのです。
 僕の年齢もあって、共感するとかキャラクターに思い入れがあるとかじゃなくて、「物語の収束」に興味がありました。
 「元ひきこもりだった」脚本家は、どんな結末を書いたのか?


 そんな「わざと斜に構えた感じ」で観ていたのですが、最終話をみて、じんわりと涙が目に浮かんできました。参ったなこれは。
 オッサン的には、内容に共感できる、とかそういうのではなくて、最後のみんなが集る場面は、人間の「泣いてしまうツボ」みたいなものをピンポイントでグリグリ押してくるような気がするんですよ。
 岡田さんは引きこもって本ばかり読んでいた、というような話を著書でされていて、おそらく、こんな体験はされていないはずなので(というか、こんなのを経験したことがある人は激レアだと思うけど)、結局のところ、他人の心を揺さぶるような話って、「実体験」よりも、「いかにそういう類型を駆使できるか」なのかな。
 観客を泣かせるのって、「技術」なのかもしれないよね。
 いかに美しい場面をつくるか、みたいな。
 そう思っていても、泣いちゃうんだよなあ。オッサンの涙腺は緩い。
 

 深夜アニメ枠、侮れず。
 これからまた、いろいろ観てみようと思います。
 

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