いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

『ユリイカ』の「特集・加藤一二三」を読んで感じた「ひふみんの本当の凄さ」


青土社 ||ユリイカ:ユリイカ2017年7月号 特集=加藤一二三


 雑誌『ユリイカ』の2017年7月号で、棋士加藤一二三さんが特集されていました。『ユリイカ』って、けっこう「なんでもあり」というか、対象物を「ユリイカワールド」みたいなものに引きずり込んでしまうところがあるので、「将棋専門誌やバラエティ番組じゃない視点からみた加藤一二三」って、どんな感じなんだろう、と思いつつ読んでみたのです。

 
 僕は強くはないけれど、昔から将棋とその世界が好きで、ずっと気にかけてはいたので、加藤一二三という偉大な棋士が「空気を読まずにしゃべり続けるコミュ障気味の天才おじさん」としてマスメディアで消費されていることに、面白さというより、テレビを思わず消してしまうような居心地の悪さを感じていたのです。


 そういうふうに面白おかしく採りあげられているのを、加藤さん本人は別に気にしておらず、テレビに出られるのを喜んでいるようにみえるのが、なおさら、観ていてつらいところがあって。


 考えてみれば、本人も観客も起用する側も喜んでいるんだから、僕が外野でひとり「加藤先生をバカにするなよ……」って憤っているほうが、よっぽどバカなのかもしれませんね。でも、なんだかダメだったんですよ。


 この『ユリイカ』の特集では、加藤一二三さん自身のコメントや講演の採録、周囲の有名棋士や関係者たちへの取材がなされています。

 
 これを読んでいて痛感したのは、「ああ、加藤先生は『強くて、迷わなくて、自分を信じ続けている人』なのだなあ」ということでした。
 それは、キリスト教の信仰からきているものなのかもしれないし、「将棋界以外の『世間』に染まらなかったからこその純粋さ」なのかもしれません。


 正直、この特集を読んでいると、この人は、どこまで「本気」なのだろうか?って、つい考えてしまうんですよ。

 
 加藤さんへのインタビューより。

 私(加藤一二三さん)がリベンジを希望しているということをマスコミの人が藤井(聡太)さんに伝えたら、藤井さんから「加藤先生とふたたび戦う日がくるとすれば、自分の攻めがどこまで通じるか楽しみにしています」と映像が返ってきました(『AbemaPrime』2017年4月20日)。マスコミの人はどうやら私がこう言っていることもあって、やや大言壮語なんだけれども、藤井聡太をストップするのは私しかいないと言うんです。この前、NHKの『あさイチ』でも藤井さんとの再戦が叶ったとしたら自信のほどはどうかと訊かれて、80パーセントの勝算があると言いました。控えめに言っても、60パーセントの勝算があると別のテレビ番組では言っています。これには根拠があるんですよ。私は先手番の矢倉でいままでおおまかに言って500局は勝っているので、これには自信がある。後手番のときには藤井さんんは腰掛け銀戦法の早仕掛けが得意で、勝ちに勝っています。私はその早い仕掛けを交わすすべを知っていますから、先手番、後手番、どうなっても勝算は60パーセントはあるというふうに言っているんです。


「言葉の意味はわからんが、とにかくすごい自信だ!」という、アニメ『キン肉マン』によく出てきたツッコミを思い出してしまいました。いや、言葉の意味はわかるんだけど!


 この特集の別のところでは、加藤一二三さんの2016年度の勝率が2割に満たなかったことが紹介されています。
 2016年はそんなに調子を落としていたのか……と思いつつ、それ以前の年度別の成績を調べてみると、こんな感じです。


加藤一二三・年度別成績


 1997年に15勝15敗で勝率5割を記録して以来、20年間、年間勝率は5割に届いておらず、2015年などは、公式戦では0勝20敗……むしろ、よく今まで現役を続けてこられたな……という感じです。
 元名人でもあり、老いたりとはいえ、それなりの成績なのかな、と思っていたのだけれど、勝負の世界は厳しい。
 こんな成績にもかかわらず、いくら若手とはいえ、日の出の勢いで勝ち続けている藤井聡太さんに「60%勝てる」と自信を持って語っているのです、加藤先生は。


 しかしながら、加藤先生の場合、「過去の栄光にすがっている勘違い野郎」という感じもしないんですよ。ハッタリでもなく、本当に自信を持っているのだと思います。
 

 いまの時代を代表する棋士のひとりである佐藤康光さんは、こんな話をされています。

--持続性という意味でも、63年間現役を続けてこられた加藤先生を将棋の歴史のなかに位置づけるとしたら、どのような棋士だと捉えられると思いますか。


佐藤康光実は現役50年ですらほとんどいないというのが事実なので、60年以上つづけるという方はおそらく今後出てこないのではないかと思います。加藤先生は本当にタフですよね。先生から「疲れました」とかそういう表現は--知らないと言うべきなんでしょうけども--ほとんど聞いたことがないです。将棋界の鉄人といえると思います。


 また、森内俊之さんは、加藤さんをこんなふうに評しておられます。

--加藤先生の序盤での長考についてはどう思われますか?


森内俊之不思議ですよね。最近の若手棋士は対局相手の研究をしておいて、想定どおりに進んでいるときはあらかじめ決めている指し手を踏襲することが多いんですけれども、加藤先生は決まったかたちになることが多いにもかかわらず長考なさる。いつも同じところで考えられて、そして同じ手を指されるんです(笑)。ふつうの棋士にはない発想です。加藤先生がどうして序盤で長考するのかという理由をどこかの記事で読んだことがありますが、自分には難しい内容でした。

森内:加藤先生は将棋を指される上で、ご自分のかたちをいかに追求するかということを中心に据えられていて、おそらく相手の研究というのはほとんどされないのではないかと思います。ご自身のスタイルが確立されていますから、相手によって戦法を変えるということはせず、野球でいえばストレートしか投げずに勝ちつづけるような感じで、わたしには信じられません(笑)。


 僕は正直、加藤一二三という偉大な棋士の「空気の読めなさ」を、みんながあげつらって笑いものにしているのではないか、と考えていたのです。
 でも、この特集を読んでみたら、そういう「ネタにされている」ところも呑み込んでしまう、加藤先生の生きざまに、多くの人は憧れ、力づけられているのかもしれないな、と思うようになりました。
 鰻丼ばっかり食べたり、対局中に相手側にまわって将棋盤をのぞき込んだりといった「奇行」も話題になるのですが、加藤先生というのは、自分にとってやるべきことを、ただひたすらやり続けているだけ、なんですよ、たぶん。
 後悔しながらも、やっぱり次の対局では序盤から長考してしまうし、「自分のストレートではもう抑えられないから、変化球でかわしてみようか」ということもない。
 他人をみて行動するのではなく、自分の内なる声に、常にしたがって、生きてきた。
 たしかに、いまの時代に、こんなに「タフ」な人って、なかなかいませんよね。
 なんのかんの言っても、自分を信じている人って、魅力がありますし(それによって、「信者」を生んでしまうリスクもあるにせよ)。
 

 『ユリイカ』のこの号に載っていた、郡司ペギオ幸夫さんのこんな文章がとても印象的でした。

 論文を書くことなど、人工知能はすぐにでもできるようになる。文献を集めて問題を集約し、それに解答する理論や実験を作り出し、実行する。人間より優れた論文もいずれ書けてしまう。論文の客観的評価が叫ばれる今、グローバルで誰もが納得できる評価基準も、すぐに確立するだろう。そうなった時、「あなたが書く論文より、人工知能が書いた論文の方がずっと評価が高い。もう論文など書かなくてもいいですよ」、そう言われるだろう。コーヒーを飲んでいると、さらにこう言われる。「あなたが飲むより、ロボットの方が、ずっとコーヒーのうまさを表現できます。あなたは飲まなくていいですよ」と。その延長には「あなたよりロボットの方がずっと優れた生き方ができる。もう死んでいいですよ」が待っている。だからこそ、その日のために、私は私で生きている、と言えるよう、評価と無関係な「ただ生きる」を精進する必要がある。


 加藤一二三より将棋が強いコンピュータは実現してしまったけれど(ご本人は認めないかもしれませんが)、加藤一二三のような「生きざま」を見せられるコンピュータは、たぶん、そう簡単には生まれない(むしろ、大昔の「計算しかできないコンピュータ」とかのほうが、「近かった」ような気もします)。


「完璧じゃなくても、合理的じゃなくても、俺は俺だ!」
 そう思えないと、これからの人間は、生きづらくなる。
「正しさ」で勝負したら、進化したAIに勝てる人間なんて、どこにもいないのだから。
 

fujipon.hatenadiary.com

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