いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「家、家族というものは、その家、その家族にしかわからない事情をかかえていることが当たり前だ」

『人生なんてわからぬことだらけで死んでしまう、それでいい。』という、読者からの人生相談に作家・伊集院静さんが答えたものをまとめた本を読みました。
 そのなかで、こんなやりとりがあったのです。

35歳女性・会社員からの質問

 私の兄は小学生のときに海水浴中におぼれて亡くなりました。私はまだ小さかったので覚えていないのですが、母の悲しみは大変大きく、以降一度も海に連れていってもらえませんでした。ところで先日、小学生の息子に「海で泳ぎたい」と言われて困ってしまいました。連れていってあげたいのですが、同居している両親に悪いように思うのです。私の気にし過ぎなのでしょうか?


 この質問に対する、伊集院さんの答えが、すごく印象的だったんですよ。
 伊集院さんも20歳のとき、17歳の弟さんを海の事故で亡くされていて、そのことはエッセイでも繰り返し語られています。
 「40年過ぎた今でも母は弟の話を、夏が来る度に、口にする」と、伊集院さんは書いておられます。

 そんな自らの経験を重ね合わせながら、伊集院さんはこの質問者に語りかけるのです。

 さて35歳のお母さん。あなたもお兄さんを20数年前、海で亡くして、あなたもそうだが、祖母さんにとっては決して忘れることのない出来事であり、それ以降、海に連れて行ってもらえなかったのもよくわかる。
 祖母さんにとっては二度と同じことをくり返して欲しくないという気持ちだろう。
 それであなたは今、母になり、息子さんから「海で泳ぎたい」と言われて、同居している祖母さんのこともあり、ためらっているわけだ。その心境には一理あると思う。
 しかしあなたも息子を海で泳がすことはためらうことではない。他の子供たちがそうしていることを、その理由だけで行かせないのは間違いだ。但し、息子にはそういうことが昔、自分の兄さんの身に起こったことをきちんと話をして、よくよく海では注意をして泳ぐなり、遊ぶように言ってきかせて、出してやることだ。子供はその意味が十分にわかるものだ。
 さてあなたのお母さんには、海へはなるたけ行かせないようにしているというのがいいだろう。子供にも祖母ちゃんの前では、海に行ったことをなるたけ口にしないようにしなさい、と言っておくことだ。子供はどうしてそれを口にしてはいけないのか。それを口にすれば祖母ちゃんが心配するし、哀しむことになるからと教えるんだ。そうして、それがあなたの子供のツトメで、自分たち家族の事情だと言っておくべきだ。家、家族というものは、その家、その家族にしかわからない事情をかかえていることが当たり前だ。子供にも友達はそうできても、おまえはそうしてはいけない、ということがあるのが世の中だとわからせる第一歩だ。
 あなたは気にし過ぎではないか、と言うが、気にしない親が多過ぎる中ではその気持ちはまともだ。でも海水浴に出かけた家族の半分が事故に遭うなんてことはないのだから。
 子供は海が好きだし、海は子供にいろんなことを教えてくれる自然の先生なのだから。


 ああ、こういうのが大人の答えだよなあ、と思いつつ、読みながら涙が出そうになって困りました。僕も年齢とともに、涙腺がゆるみやすくなって困ります。
 子供を海で亡くしてしまった母親の気持ちと、そんな母親と「みんなと同じように海で遊びたい」という、事故の記憶を持たない自分の子供。そして、そのふたりのどちらの気持ちもわかるので、板挟みになってしまっている質問者。
 みんな悪意はないのに、子供を海に連れていくことも、連れて行かないことも「痛み」を生んでしまう。
 生きていると、こういう状況って、ありますよね。
 誰かにトラウマがあって、その理由は理解できるのだけれど、現実的に、そのトラウマで自分の行動を縛られるわけにはいかない、という。
 以前、ある人が、交通事故で娘さんを喪って以来、車の運転をしなくなった、という話を聞いたことがあります。
 その理由や気持ちは理解できる。
けれど、じゃあ、僕も車の運転をしない、というわけにはいかない。運転していれば、事故を起こすリスクはあるけれど、自分の生活もあるし。
 こういう人のトラウマに対して、どう振る舞うべきなのか?


 伊集院さんは、「家、家族というものは、その家、その家族にしかわからない事情をかかえていることが当たり前だ」と仰っています。そして、その事情を「一般常識とは違うから」と糾弾したり、変えさせようとするのではなく、尊重したうえで、次の世代に引き継がないように、とされているのです。
 子供には、お祖母ちゃんに隠し事をさせることになるかもしれない。
 お祖母ちゃんも、孫に同じことが起こるのではないかと、心配するかもしれない。
 お祖母ちゃんだって、「海では一定の割合で事故が起こるけれど、海で遊んでいる人の数を考えるとそんなに高い確率ではないし、海を知る、海と接することは人生においてメリットが大きい」という理屈はわかっているはずです。
 でも、それはそれとして、「もう、海で大切な人を失いたくない」という感情を打ち消すことは難しい。
 海での事故率を示したり、母親がトラウマで子供を束縛することの理不尽を責めるのは簡単なことだし、ネットでは、そういう「外野からみた正しさ」が支持されがちです。
 もちろん、俯瞰することはとても大切なのだけれど、痛みの中にいる人は概して断罪されるより受け容れられることを望んでいます。
 伊集院さんは、自分にとって、あるいは世間にとっての「正しさ」を押し付けるのではなくて、質問者と子供、そして質問者の母親のひとりひとりの顔をみて、それぞれにとっての最適解を示しておられるのです。
 隠し事はよくないとは言うけれど、あえて触れない、という暗黙の了解が最善の場合もある。
 こういうのが「人生の知恵」なのだと思うのです。

 僕が本を長年読んできてようやくわかってきたことは、2つしかありません。
 「世の中にはいろんな人がいる」ということと、「自分に起こったことは、他人にも起こる可能性があり、他人に起こったことは、自分にも起こる可能性がある」、ということです。
 

fujipon.hatenadiary.com

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