この話を読んで、僕はこの「自称コミュ障」という女性って、僕と似たところがあるなあ、と思ったんですよ。
世の中には「人間大好き」「コミュニケーションこそ人生の喜び!」っていう人がいる一方で、「他人と一緒にいること、日常会話をすることが苦痛でたまらない」という人もいます。
ただ、傍からみると「天性のコミュニケーション強者」みたいにみえる人でも、本人はけっこう努力していたり、営業スマイルだったりすることは少なくないんですよね。
それでも、「コミュ障」よりは、よっぽど人生ラクじゃないか、と思われるかもしれませんが、「普通にコミュニケーションができるようにみえる人」あるいは「他人に愛想良く接することができて、どんな人ともそれなりにうまくやれている、人付き合いが上手そうな人」がみんな「コミュニケーションが得意」なわけではありません。
「人とうまくやらなければならない」という強迫観念めいたものを抱えている人って、けっこういると思うんですよ。
これだけ「コミュニケーションの重要性」が語られている時代だからなおさら。
彼らは、細心の注意と集中力を用いて「他人と世間話をしたり、愛想よくしたりできる」のだけれど、それは本人にとっては、「失敗が許されないミッション」であり、ものすごく精神的にも肉体的にも消耗するので、極力、そのミッションには参加したくないのです。
冒頭のリンク先のエントリに出てくる女性もそういうタイプで、「あまり気が合わない人ともうまくやらなければならない」というプレッシャーを抱えながら、「でも、ものすごく頑張ったら、なんとかそのミッションを成功させられる」くらいの能力はあるのではないかと。
結果的に、周りからは「あの人はコミュニケーションができる(あるいは、上手な)、みんなとうまくやれる人」とみなされる一方で、本人は、家に帰ったら、ようやく緊張から解放され、全身から力が抜けてぐったりしてしまう。
こういう人は「対外的には、うまくやれる人にみえる」だけに、本人は、そういうイメージと「本当は苦手な人と接したくない」自分とのギャップに悩むことになります。
とはいえ、そこで「嫌われる」勇気もない(というか、嫌われたくないのはみんな同じなのですが、このタイプには「自分は嫌われている」と感じるハードルが低い人が多い)ので、次第に「演じている自分」ばかりになってしまう。
定期的に環境を変えて、人間関係をリセットしないと、少しずつ息が詰まっていくのです。
彼らは、「言いたいことをズケズケ言って嫌われることができる」世間から「コミュ障」と言われている人のことを、内心、ちょっと「うらやましい」と思っていたりもするのです。
そう思うだけで、「他人に嫌われることがものすごく怖い」ので、実際にはそういう行動はとれないんですが。
ただ、人によっては、限界まで我慢してしまって、閾値をこえるといきなりブチキレることもあるので、それはそれで問題になります。
なんというか、「うまく手を抜くことができない」のでしょうね。
そういう人でも、バイタリティの総量が多ければ、なんとか一生「いいひとミッション」を続けることも可能なのですが、なかには「乏しい体力や精神力しか持たないにもかかわらず、『嫌われたくない』ために、ギリギリのところで「コミュニケーション上手」を演じ、綱渡りをしている」人もいます。
僕は「他人と話すのは苦手だし、仕事の面接とかは緊張しすぎて前日から食欲もなくなる」くらいなのですが、そういう「けっこう緊張している人」というのは、面接などではかえって好感を持たれがち、というのもなんとなく感じます。
それで、偉ぶらない人、人の話を真剣に聞く人、というような、かなり高い評価をいただくこともあるのですが、それはそれで、「実際に一緒に働いてみたら、面接のときほど、いい人じゃなかった」なんて思われがちなんですよね。
それはもう、こちらからすれば、自分から残り少ない歯磨き粉のチューブから絞り出すように「いい人成分」を抽出し、終わったあとは真っ白になっているわけですから、それを基準にされても困るのですが……
だからといって、初対面の人や面接などで、「リラックスしてフランクに接する」ということもできない。
このほうがうまくいく、というのを知っているにもかかわらず、あえて「うまく行かない可能性が高い方法」をとることもできないのです。
長い目でみれば、自分を苦しめることになるのだとわかっていても。
「最初のイメージほど、『いいひと』じゃなかった」と思われるのはつらい。
でも、そういうふうにしかできない。
そして、「いいひと」でいなければならない相手は、極力増やしたくない。ご飯を食べに行く店でも「常連さん」として認知されてしまうと、それなりに愛想良くしなければ、という「義務感」から逃れられなくなってしまう。
「コミュ障」って、便利な言葉として、あまりにも広範囲に利用されているだけなのかもしれませんね。
これは「コミュニケーション障害」というよりは、「コミュニケーション恐怖症」とでも言うべきではなかろうか。
それでも、「どんなにがんばっても、うまくコミュニケーションがとれない」よりは、たぶん少しは生きやすいのだろうけど。
こういう人って、外部からは見えづらい(もちろん、本人もその消耗しているところを他人に見せたくない)ので、なおさら、「なんでこの人は、こんなに愛想良くみんなとうまくやっているのに、飲み会や遊びの誘いを断るのだろう?」なんて、思われがちです。
本人にとっては「すみません、私の『いい人ガソリン』は、もう空っぽです……」って感じなのに。
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この新書は、「コミュニケーション恐怖症」の人には、けっこう参考になると思います。
「コミュニケーション能力は、人格教育ではない」
必要以上に愛想よくしたり、嫌われることを極度に恐れなくても良いはず、なんですけどね……