僕は「続編は不要、というかむしろ作らないでほしい派」なんですよ。
原作も現時点では続編はないし、ドラマでも「良い終わりかた」だったと思うので。
でもまあなんというか、個人的にはあの「新婚旅行の帰りの電車のキス」がいちばん印象に残っています。
DVDボックスを買っても、いろいろ考えてしまうので、第10話と最終回はあまり観ないかも……
いや本当に、ここしかない、というところにうまく着地したとは思うのだけれど。
「良い終わりかた」というよりは、あの先は、どう転んでもこじれるか、観ている人が「ムズキュン」どころではなくなってしまう世界になってしまいそう、なんですよね、あくまでも僕の状況判断として、ですけど。
子どもとか生まれたら、「どちらが子どもの傍にいるか問題」も出てくるし(子どもって、常に誰かが傍にいないといけない存在なんですよ。当たり前のことなんですけど、それを実行するのは、想像以上に大変でした(というか、僕はそう偉そうには言えないのですが)。
『逃げ恥』って、あの最終回の先は、「夫婦べったりで円満」というのは嘘くさいし、結婚してもずっと「愛情の搾取です!」とか言い合っていたら、あまりにも不毛なんですよね。
恋愛は感情だけど、結婚は生活だからさ。
このドラマで、いちばん楽しかったのは、(僕にとっては)9話まででした。
ふたりが気持ちを確認しあってからは、あーはいはい、みたいな気持ちになってもいたのです。
たぶん、「この先」になればなるほど、観ていて楽しくなくなっていく。
「人気があるから」ということで続編がつくられたり、連載を終わることができなかった作品というのは、尻すぼみになっていくことがほとんどです。
あの『北斗の拳』も、そんなマンガのひとつでした。
「オトナファミ」2006・AUTUMN(エンターブレイン)の記事「ヒストリー・オブ・武論尊」より。
(『北斗の拳』『ドーベルマン刑事』などの数々のヒット作を生んだマンガ原作者・武論尊さん(史村翔名義の作品も多数)へのインタビュー記事の一部です)
武論尊は、キャラクターの設定についても、豪快に笑いながら語る。
武論尊「ケンシロウって本当にズルい男だよな~。周りの人間、バタバタ死んでいくんだよ、アイツのせいで。まあ、そういう作り方したのオレなんだけど(笑)。胸の7つの傷も、とりあえずつけといてくれって言って、何でついたのか、理由は何も考えてなかったんだよなあ」
とりあえず!?かなり周到な伏線としての傷跡と思いきや……。
武論尊「そ、とりあえずね。んで、それが最終的にシンがつけた、としたとき、オレは上手いなぁ、と。これだけウソがつければ大したもんだと(笑)」
ならば、その後に明らかになる北斗四兄弟の存在については?
武論尊「話が詰ったときにね、ケンシロウだから、4番目だよね、兄ちゃんが3人いるはずだと。で、ジャギが出たとき、これをひとりにしようと。あとふたり居るけど、ひとりは仁王のようにでかい男。もうひとりは細めでかっこいい男と。でも、まだ何も決まってないからシルエットで!」
鮮やかに繰り出される武論尊マジック。とはいえ人気が日毎過熱してゆく週刊連載は、まさに綱渡り。
武論尊「毎回ラストで盛り上げて、俺自身が先見えてないんだから、誰か教えてよ。どうするんだよこれって感じだよ。でもね、そのほうが読者も本気でワクワクするんだよね。それに俺の場合、どうしてもうまくいかなきゃ10回でサッと辞めちゃうし(笑)。」
結果的に、連載5年全27巻に及ぶ長編作品となった『北斗の拳』だが、自身は、ケンシロウとの死闘の末「わが生涯に一片の悔いなし!!」の名ゼリフを遺して天に帰ったラオウの亡骸とともに、てっきり連載は終了すると思っていたという。
武論尊「連載の終了って、出版社側と作家側、両方がなんとなく同じタイミングで切りだすものなんだけど、『北斗』の場合は、オレも原(哲夫・作画担当)先生も絶対にラオウで終わると思っていたからね。で、いきなり続けるって言われて、少し休みをくれるかな、と思っていたら、休みなし! 次の週から新章よろしく。って、厳しかったよ。あのとき2ヵ月くらい休みをもらってたら、もう少し面白い話になっていただろうね。だから、ラオウ以降の話は、どうやって作ってたか、ストーリーも何も全然覚えてない!」
この武論尊さんの話、どこまで本当はわからないんですけどね(話を「盛る」タイプの人みたいだし)。
マンガの原作って、そこまで行き当たりバッタリでも大丈夫なものなのでしょうか。それとも、そういう「原作者すら先が見えていない感じ」というのが、意外な発想を生み出す原動力となっているのか。こういうのって、常人では話を思いつくことができないでしょうし、何より、「毎週絶対に続きを作らなければならない」というプレッシャーに耐えられないような気がします。
でも、「10回でサッと辞めちゃう」っていうのは、ジャンプ的には「打ち切り」なんじゃないですか武論尊先生!
これからが本番だ!というつもりで描かれていたマンガが10話で打ち切られ、最大の山場が終わり、大団円を迎えるはずだったマンガが、終わることを許されない。
『週刊少年ジャンプ』を支える稀代の人気漫画だった『ドラゴンボール』は、なかなか終わることが許されず、鳥山明先生も葛藤しながら描いておられたそうです。
担当編集者だった鳥嶋さんが「フリーザ編で終わっていれば、鳥山さんは3作目を描けたのではないか」と仰っていたんですよね。
作者のモチベーションが下がり、つまらなくなっても続けるのには無理がある、ということなのか、近年は『週刊少年ジャンプ』でも、『DEATH NOTE』や『暗殺教室』のように「作者の計算通りに終わらせる作品」が出てくるようになったのです。
野球選手の引退と同じで、自分で「終わり」を決められるのは、現在でも、ごく一部の作品だけではありますが。
ここで語られている『北斗の拳』連載時のエピソードを読んで、僕も、連載当時の周りの友人たちも、『北斗の拳』はラオウ編で終わる、と信じていたことを思い出しました。あの「夢想転生」が出てくるあたりは、すごい盛り上がりでしたし。そもそも、描いていた2人が揃って「これで終わり」と感じていたのですから、それが読み手に伝わってくるのは、ごく当たり前の話です。
結果的に、ジャンプの編集部としては、この超人気作品を「終わるべきときに終わらせる」ことができませんでした。
「ラオウ以降」の『北斗の拳』だって、連載中は「すっかりパワーダウンしたなあ……」という感じだったものの、今まとめて読んでみると、けっして当時僕らが落胆していたほど「絶望的につまらない」わけでもないのですよね。
一度「勢い」みたいなものを失うと、取り戻すのは難しいのでしょう。
集英社は「名作を終わるべきときに終わらせなかった」ことを責められるべきなのか、「続けることによって少なからぬ利益を得ることができた」ことを賞賛されるべきなのかは、なんとも言えないところです。それぞれの「立場」が違えば、結論も異なってくるでしょうし、作者2人も「継続」を最終的には了承したのですから。
たしかに、あのとき少しでも「休養」を挟んでいれば、『北斗の拳』はもう少し長く続いたのかもしれないなあ、とも思いますけどね。
「覚えていない」という武論尊さんの言葉には、「自分としても不本意だったので、思い出したくない」というニュアンスを感じますし。
かなり脱線してしまいましたが、僕は『逃げ恥』は、観たくなったらDVDで好きな回、シーンをまた観ればいいから、この先の続編は不要というか、つくらないでほしい、と思っているのです。
つくられたら、観てしまう。そしてたぶん、「観なきゃよかった」と後悔する。
『東京ラブストーリー』みたいに、「その先」を描いてしまったがために、昔の思い出が「でもカンチ、将来あんなになっちゃうんだものなあ……」なんて、哀しく上書きされてしまうこともある。
まあでも、「視聴率が取れそうで、関係者とテレビ局とスポンサーと原作者が受け入れてしまえば、作ることは可能」なのでしょうし、反対運動を起こす、なんていうほどの「積極的な反対」でもないんですよね。つくられれば、やっぱり観るだろうし。
現実には、イヤでも「続き」があるのだから、フィクションの世界くらいは、ちょうどいいところで終わりにしても良いのではないかなあ。
続編とか作るから、ハン・ソロもさ……
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