いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「昭和の時代には存在しなかったもの」を思い出してみた。

fujipon.hatenablog.com


去年が戦後70年、ということは、太平洋戦争が終わったのが昭和20年ですから、大正時代生まれの人は、みんな90歳以上ということになりますね。
病院勤めだと、高齢の人と接する機会はかなり多いのだけれども、それでも、診断書などに「大正」を書く機会はだいぶ少なくなりましたし、あらためて考えてみると「明治」はもう無いなあ。
僕が仕事をはじめた20年くらい前は、少なからずいたんですけどね、明治の生まれの患者さん。
診断書を書いていると、もう日本も全部西暦にしてくれたら、いちいち西暦を「昭和○○年」とかに変換しなくて済むのだけどなあ、と思うことも多いのです。


僕は10代半ばくらいまで「昭和」を生きてきて、その後、27年と少し「平成」を生きてきました。
「なんか子どもの頃と、そんなに世の中変わりないような気がするなあ」
「もう、科学技術の進化も、袋小路なのかなあ」
なんて感じたりもするのですが、あらためて考えてみると、いまの世の中には、昭和には無かったものが、身の回りにたくさんあるんですよね。


その代表的なものが携帯電話。いまではスマートフォンが多数派となっています。
そもそも、インターネット以前、パソコン通信を、ごく一部の好事家が使っていたのが昭和の終わり頃だったんですよね。
携帯電話の普及は、離れた人と人とのコミュニケーション(とくに若者)を、家対家、から、人対人、に変えたともいえます。
テレビドラマ『東京ラブストーリー』って、今みても面白い(+もちろん懐かしい)のだけれど、観るたびに、もし携帯電話があったら、リカとカンチは別れずに済んだのだろうか?って思うんですよね。
今は、相手の家に電話するときの緊張感とか、ひとりぐらしで、自分だけの電話を持つということの解放感(と、留守電でどうでもいいメッセージしか入っていないときのガッカリ感)とかも、体験することはないのでしょう。


そういえば、昭和はまだビデオデッキの時代でした。
テレビは見逃したら再放送を待つしかないものだった小学生の僕にとっては「個人が録画できる機械」は革命的なものだったのですが、いまのハードディスク付きDVDの手軽さ、番組表から選んで、決定ボタンを押すだけ、というのは驚くべきテクノロジーです。
僕が子どもの頃の大人って、みんな機械に弱かった。そもそも、機械が人にそっけなかった。
ちなみに最近は「全録機」を使っているのですが、これもまた革命的な機械(というかアイデア)だと思います。
「面白そうな番組」ではなくて、「面白いとみんなが言っていた番組」を確実に観ることができるのだから。
テレビっ子的には、「あっ、あれを録画するの忘れた……」というのが無くなるだけでも、心に余裕が生まれます。


そういえば、昭和の終わり頃のテレビゲームって、まだ初代ゲームボーイが出たくらいでした。
当時はまだ据え置きが主流だったんですよね。
ここまで携帯ゲーム機の時代がやってくることになろうとは。


逆に、30年近く経っても、まだ『ポケモン』とか『スーパーマリオ』とか『ドラゴンクエスト』で遊んでいるとも思わなかったなあ。
僕が子どもの頃の大人は、「テレビゲームは子どもがやるもの」だと言っていたけれど(でも、夜中にこっそり遊んでいた、という話もよく聞きました)、結局のところ、あの頃の子どもたちが大きくなっても、みんなゲームをやり続けている。自分ではあまりやらなくなっても、子どもたちがテレビゲームにひきつけられることは理解できるようになっているのです。
こうして、それで遊んでいた人たちが世界に占める割合が増えることによって、「不良がやるもの」は、「健全な娯楽」になっていくのだろうなあ。
そういえば、最近やってくる若者たちは、みんなブラインドタッチができることに、さりげなく驚いています。
小学生の息子も平然とiPhoneを操作していて、ああ、デジタルネイティブなんだなあ、って。


外食に「お出かけ感」が薄くなってしまったし、専門書とか趣味の本を買うために、都会の大きな書店にまで出かける必要もなくなりました。
Amazonは、田舎に住む人間にとっては、劇的にいろんなものを「平準化」したと思う。
でも、もしかしたら、「物質」以外の面ではまだ都会と田舎には差があることに、かえってみんな気づきにくくなったのかもしれませんね、


夜中に小腹がすいても、冷蔵庫を漁るしかなかったし、写真は、現像してみるまで、どんなふうに写っているかわからなかった。
マンゴーは名前しか知らなかったし、アボカドは、名前を聞くたびに「アボカドとアボガド、どっちだったかな……」と悩んでいて、それをすぐに調べる手段もなかった。


そして、1999年に人類が滅亡するかもしれないけど、滅亡するつもりで遊びまわっていて、もし滅亡しなかったら困るな……と、けっこう本気で考えていたのです。


昭和というのは、僕にとっては、かけがえのない、懐かしい時代だった。
でも、もう、インターネットもスマートフォンもコンビニもAmazonもない時代に戻りたい、とは思わない。
正直なところ、「あのとき、ああしておけば……」という場面は、いくつか鮮明に浮かんでくるのだけれども。



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