いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

はじめて村上春樹を読む人のためのブックガイド(2015年版)

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2015年「も」とか言われてますが、最近はもう、この時期の風物詩みたいな感じになってきています。
逆に、「もし受賞したら、来年から寂しくなる」かも。
今年は、村上さんご贔屓の東京ヤクルト・スワローズが14年ぶりのリーグ優勝ということで、「ノーベル賞村上さんのところに来るのではないか!」なんて一部で盛り上がっていたわけですが、考えてみれば、ノーベル賞の選考委員の大部分は、ヤクルト・スワローズとか、日本のプロ野球のことなんか知らないわけで。
村上春樹さんが神宮球場でヤクルトの試合を観ているときに「小説を書こう」と思いついたのは有名な話なんですが、カープファンじゃなくてよかったなあ、と。
カープファンだったら、あまりの貧打っぷりにイライラするばっかりだったかもしれないから。


ちなみに、この「村上春樹さんのノーベル賞受賞騒動」というのを遡ってみると、けっこう前から延々とやっているということがわかります。


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このオルハン・パムクさんが受賞した2006年くらいから、「村上春樹が有力候補」だと言われ続けているんですよね。
ノーベル文学賞というのは、その年のいちばんすぐれた作品に授賞する、というものではなくて、「ある作家の、それまでの功績を顕彰する」という感じなので、村上さんの場合は、「評価されていない」というよりは、「まだ順番が回ってきていない」だけなのではないかと思うのですが。
フルマラソンも走っていて、元気そうだし。


以前、僕の独断と偏見で「オススメの村上春樹作品ガイド」を書いたことがありました。
「そんなに言うんだったら、いままで読んだこと無かったけど、一冊くらい手にとってみるのもやぶさかではない」と考えておられる方向けに。


それが2009年だったので、そろそろ少し改訂してみよう、ということで、今回、2015年版をつくってみました。
前回から3作入れ替えたのと、コメントも少し変更していますが、流用できるところは、そのままにしました。


蛇足ですが、僕と村上作品について、簡単に触れておきます。
僕は1970年代の初めに生まれたのですが、初めて村上春樹作品を読んだのは、『ノルウェイの森』(1987)でした。
当時は「現代小説」というものにあまり興味がなくて、歴史モノとかドキュメンタリー、SFばかり読んでいたのですが、大ベストセラーになったこの作品、僕が当時通っていた全寮制男子校では、「ものすごくエロい」ということで評判になっていたんですよね。同級生の本好きのなかでは「図書館で借りられるポルノ小説」みたいな位置づけでした。
これは何度か書いたのですが、『ノルウェイの森』を読んだ童貞高校生の僕のいちばん率直な感想は、「大学生って、そんなに簡単に『女の子と寝る』ことができるのか!」というものだったんですよね。いや、実際に大学に入ってみれば、相変わらずモテナイ僕がそこにいるだけで、「村上春樹の嘘つき!」と呪ったりもしたのですけど。
まあ、「なんかこうすごくせつなくて放っておけない小説だなあ」と感じたのは事実で、それから、『ダンス・ダンス・ダンス』までは学校の図書館で借りて読んだのだけど、『ダンス×3』は、「これ、『ノルウェイの森』と違うじゃん」としか思えなくて、それからしばらく村上春樹作品からは離れてしまいました。

大学に入って何年かしてから、先輩に薦められて読んだのが、デビュー作の『風の歌を聴け』。
これはすごく「カッコいいなあ」と思った記憶があります。
それまでの「日本文学」の「親子の葛藤」とか「ドロリとした恋愛小説」「粘っこい心理描写」が苦手だった僕は、「こういうのが『クール』なんだなあ」と思い込み、『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』、そして、短編集や『村上朝日堂』などのエッセイまで、文庫化されているものを読んでいきました。
そのなかで、ようやく、『ノルウェイの森』のほうが、村上春樹の作品のなかでは「異質」なのだ、ということに気づいたんですよね。
当時最も好きだった作品は『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』。
この作品の終わりの「静けさ」は、「こんな終わりかたで良いのか?」という違和感とともに、ずっと心に残っています。

でも、僕が社会人になると、また村上さんとの距離は少し開いてしまったのです。
正直言うと、仕事をはじめて、朝早くから日付が替わるまでずっと病院で過ごし、職場の人間関係や患者さんとの向き合い方に悩み、磨り減るようになってしまうと、村上作品というのは、「現実を見ていない、夢物語」「現実と隔絶した独善的な村上春樹ワールド」のように見えてきたのです。村上春樹の作品には、「村上春樹的なものの味方と敵」しか出てきません。それまでの僕は、「味方」として素直に読めていたのですが、自分が社会に投げ出されてみると、「ああ、世界の多数派は、『村上春樹的なものなんて、どうでもいい』なんだなあ」ということを実感しました。所詮、狭い「村上春樹ワールド」の中の話じゃないのかこれは?

ねじまき鳥クロニクル』という作品が、リアルタイムではあまりよく理解できなかったことも、そんなふうに僕が考えたひとつの原因でした。
久々の長編をして発表されたこの小説は、当時の僕には難解で、面白さも感じなかったんですよ。
この「井戸」って何? うえっ、なんだこのストーリーの本筋とは全く関係なさそうなのにやたらと気持ち悪いだけの「皮剥ぎボリス」のエピソードは……

その後も、一応新刊が出れば読んではいたのですが、そういう「自分とは違う世界の人」だという感覚は、ずっと持っていたんですよね。
アフターダーク』を読んだときには、「村上春樹終わったな……」と心底ガッカリしたものです。
アンダーグラウンド』『約束された場所で』を読みながら(僕は『約束された場所で』はものすごく重要な作品だと思うし、大好きなんですが)、「小説家としての村上春樹は終わってしまったのかな」と考えていましたし。

ところが、ちょっとしたきっかけで(というか、福田和也さんが激賞されているのを読んだのがきっかけだったかな)『ねじまき鳥クロニクル』をもう一度最初から読み直してみて、僕は驚いたんですよ。
これは、やっぱり凄い作品だったのだな、って。
僕の「読書スキル」が少し上がったのでなんとか読めるようになったのでしょうし、その一方で、この作品は「読んでいくことによって、読者のスキルを確実にひとつ押し上げるような作品」なのではないかと思うのです。
そして、あらためて、「村上春樹は怖い」と感じました。
「皮剥ぎボリス」のエピソードの怖さというのは、「表皮を全部剥がされるという拷問」の映像的な凄惨さはもちろんなのですが、考えてみると、「そういう話をあそこまで冷徹に、観察者として描写することができる村上春樹という人間の怖さ」にも繋がっています。いや、フィクションなんだよ、フィクションなんだけど、普通の人間だったら、ああいう話を描くときに、なんらかの感情の揺れが文章にあらわれてくるはずなのに。

村上春樹」という人は、「戦後の日本というしがらみ」から逃れようとしてきた人だと思いますし、「現実とのデタッチメント(現実とかかわらないこと)」「個人が、個人として自分の生きかたを貫くこと」こそが村上作品、だと僕は思い込んでいました。
でも、村上春樹という人とその作品は、確実に変化してきています。
オウム真理教事件阪神淡路大震災という、ふたつの「世界を揺るがすような事件」を体験したこと、村上春樹作品、そして、村上春樹自身が、有名になることによって、かえって「グローバリゼーション」のなかで自分の「ルーツ」を考えざるをえなかったこと、いろんな要因はあるのでしょう。
とりあえず、いまの僕は、そういう「変化していること」も含めて、「村上春樹って、すごいなあ」と思っているのです。
あれほどの流行作家でありながら、「惰性で仕事をすること」を選ばないだけでもすごい。
そうそう、初期の作品も、また好きになってきました。少し僕の人生にも余裕が出てきたのかな。
こういう世界だからこそ「村上春樹ワールド」っていう「魂の休憩所」を必要としている人もたくさんいるのだろうし。

アフターダーク』も、これだけでみると、「何が面白いのかわからない、失敗作」のような印象だったのですが、その後の村上さんが、「僕」の視点だけではない、三人称小説」に脱皮していくうえで、大きなターニングポイントになっているんですよね。
これまでのファンに「何か違うんじゃない?」「村上春樹らしくない」などと言われても、「自分自身の向上心とか、作品の質を高めること」のために、スクラップ・アンド・ビルドを続けているのは、本当にすごいことだなあ、と。
三島由紀夫さんが自分の肉体でやろうとしたことを、村上さんは、作品でやろうとしているのではなかろうか。


今回、あらためていくつか読み返してみたのです。
僕のイメージでは、「村上春樹は、作品で語ろうとする人で、プライベートなことや文壇的なことには関わりたくない作家」だったんですよ。
しかしながら、とくに最近の村上さんは「作家として、マラソンランナーとして、音楽愛好家として、翻訳家として」など、さまざまな立場での「自分語り」を行っているのです。
総じていえば、村上春樹ほど、自分自身について饒舌な作家というのは(あるいは、「自分語り」が形になっている作家は)稀有なんですよね。


手短かに書くつもりだったのに、ものすごく長いですね、これ……
とりあえずここから、「私選・村上春樹を読んでみたい人のための10冊+1」を紹介していきます。
今回は、作品評価でなくて、「読みやすさ」を独断で三段階評価してみました。作品そのものへの評価ではないので念のため。
(★…読みやすい ★★…標準 ★★★…村上春樹慣れしていないと敷居が高い)


(1)風の歌を聴け(1979) ★★

風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け (講談社文庫)

出版社/著者からの内容紹介
1970年の夏、海辺の街に帰省した〈僕〉は、友人の〈鼠〉とビールを飲み、介抱した女の子と親しくなって、退屈な時を送る。2人それぞれの愛の屈託をさりげなく受けとめてやるうちに、〈僕〉の夏はものうく、ほろ苦く過ぎさっていく。青春の一片を乾いた軽快なタッチで捉えた出色のデビュー作。群像新人賞受賞。

短くて読みやすそうな作品ではあるのですが、その一方で、「何が言いたいのかよくわからない小説」だと感じる人も多そう。
「デビュー作にはその作家のすべての要素が詰まっている」と言われることがありますが、この作品が「性に合わない」人は、村上春樹の愛読者になるのは難しいのではないかと。
ちなみに、最近知ったのですが、この作品、村上さんは「なかなか書けなくて悩んでいたのだけれども、英語で書いていったらわりとスラスラ書けたので、それを日本語に翻訳した」のだそうですよ。


(2)世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(1985) ★★

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈下〉 (新潮文庫)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈下〉 (新潮文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
高い壁に囲まれ、外界との接触がまるでない街で、そこに住む一角獣たちの頭骨から夢を読んで暮らす〈僕〉の物語、〔世界の終り〕。老科学者により意識の核に或る思考回路を組み込まれた〈私〉が、その回路に隠された秘密を巡って活躍する〔ハードボイルド・ワンダーランド〕。静寂な幻想世界と波瀾万丈の冒険活劇の二つの物語が同時進行して織りなす、村上春樹の不思議の国。

2つの世界が交差して、慣れるまではちょっと読みにくいですけど、これも「読み終えたあとに、自分が少し本を読めるようになった気がする作品」でした。最初は「ハードボイルド」のほうが面白くて、「世界の終わり」は読むのがめんどくさく感じていたのだけど、途中でそれが逆転してしまったのをよく覚えています。
この「終わり」のシーンの美しさとやるせなさは、いまでも心に残っていて、僕にとっては「好きすぎて読み返せない本」のひとつです。


(3)ノルウェイの森(1987)

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

ノルウェイの森 下 (講談社文庫)

ノルウェイの森 下 (講談社文庫)

出版社/著者からの内容紹介
暗く重たい雨雲をくぐり抜け、飛行機がハンブルグ空港に着陸すると、天井のスピーカーから小さな音でビートルズの「ノルウェイの森」が流れ出した。僕は1969年、もうすぐ20歳になろうとする秋のできごとを思い出し、激しく混乱していた。――限りない喪失と再生を描き新境地を拓いた長編小説。

僕にとっての「初村上春樹」。ある意味、「村上春樹の代表作にして、もっとも村上春樹らしくない作品」かもしれません。
作中のワタナベの年齢(20歳前後)近くで最初に読んだ僕と、いま、40の声が聞こえる(冒頭に出てくる「語り手」としての作者に近い年齢の)僕では、けっこう読んだときの印象が違う本なんですよね。
当時は、「でも、レイコさんってオバサンだろ?」とか思ってたもんなあ……


(4)国境の南、太陽の西(1992)

国境の南、太陽の西 (講談社文庫)

国境の南、太陽の西 (講談社文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
今の僕という存在に何らかの意味を見いだそうとするなら、僕は力の及ぶかぎりその作業を続けていかなくてはならないだろう―たぶん。「ジャズを流す上品なバー」を経営する、絵に描いたように幸せな僕の前にかつて好きだった女性が現われて―。日常に潜む不安をみずみずしく描く話題作。

村上さんの長編小説のなかで、もっとも「私小説っぽい」作品です。読みやすさ、わかりやすさはピカイチ。
僕がいちばん面白いと思ったのは、「経営哲学」とか「夫婦関係」についての話でした。

「幾つかのことに気をつければそれでいいんだよ。まず女に家を世話しちゃいけない。これは命取りだ。それから何があっても午前2時までには家に帰れ。午前2時が疑われない限界点だ。もうひとつ、友達を浮気の口実に使うな。浮気はばれるかもしれない。それはそれで仕方ない。でも友達までなくすことはない」


(5)ねじまき鳥クロニクル ★★★

ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)

ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)

ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉予言する鳥編 (新潮文庫)

ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉予言する鳥編 (新潮文庫)

ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)

ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
僕とクミコの家から猫が消え、世界は闇にのみ込まれてゆく。―長い年代記の始まり。

いろんな意味で、村上春樹の金字塔だと思います。
当初第1章・2章のみが発表されていて、第3章は「発表未定」だったのですが、阪神淡路大震災オウム事件を挟んで、第3章が発表されたのが印象的でした。
もしかしたら、構想上の「第3章」は全くの別物、あるいは「第2章」で終わりだったのかもしれませんね。
ただ、「難しい」し、けっこう気持ち悪い描写がありますので、「最初の1冊」にはあまり向かないかも。


(6)約束された場所で―underground 2(1998) ★★

約束された場所で (underground2)

約束された場所で (underground2)

出版社/著者からの内容紹介
癒しを求めた彼らはなぜ無差別殺人に行着いたのか?オウム信者へのインタビューと河合隼雄氏との対話によって現代の闇に迫る

もちろん、『アンダーグラウンド』は、村上春樹を語る上で欠かせない一冊だと思いますが、こちらのほうが僕は興味深く読めました。どこにでもいる「現実との折り合いがうまくつけられない人間」だった彼らが、なぜオウム真理教に惹かれていったのか?彼らが、あまりにも「どこにでもいそうな人」であり、語っているのも「どこにでもありそうな話」なので、逆に驚いてしまいます。『アンダーグラウンド』に比べると言及される機会は少ない本なのですが、大事な作品だと思います。


(7)東京奇譚集(2005)

東京奇譚集 (新潮文庫)

東京奇譚集 (新潮文庫)

出版社 / 著者からの内容紹介
奇譚(きたん)とは、不思議な、あやしい、ありそうにない話。しかしどこか、あなたの近くで起こっているかもしれない物語――。

難しい「解釈」が必要な作品ではなくて、「語り部村上春樹」の凄みを感じさせてくれる作品集です。


(8)走ることについて語るときに僕の語ること(2007) ★★

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)


Kindle版もあります。

内容紹介
1982年秋、『羊をめぐる冒険』を書き上げ、小説家として手ごたえを感じた時、彼は走り始めた。以来、走ることと書くこと、それらは、村上春樹にあって分かつことのできない事項となっている。アテネでの初めてのフルマラソン、年中行事となったボストン・マラソンサロマ湖100キロ・マラソントライアスロン……。走ることについて語りつつ、小説家としてのありよう、創作の秘密、そして「僕という人間について正直に」、初めて正面から綴った画期的書下ろし作品です。

このエッセイでは、「村上春樹として生きるということ」について、かなり率直に書かれているのです。村上さんの性格からすると、こういうふうに「自分語り」をするのには、当初はものすごく抵抗があったのではないかと思うのだけれど、ここに収録されているのが「走ること」に関するエッセイ集だからこそ、村上さんはそんなことを書くのを自分に許せたのかもしれません。
まあ、最近はけっこう「自分語り慣れ」してきている印象もあるのですが。
村上作品としては珍しく、Kindle版もあります。


(9)1Q84(2009) ★★

1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉前編 (新潮文庫)

1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉前編 (新潮文庫)

1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉後編 (新潮文庫)

1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉後編 (新潮文庫)

Book Description

1949年にジョージ・オーウェルは、近未来小説としての『1984』を刊行した。

そして2009年、『1Q84』は逆の方向から1984年を描いた近過去小説である。

そこに描かれているのは「こうであったかもしれない」世界なのだ。

私たちが生きている現在が、「そうではなかったかもしれない」世界であるのと、ちょうど同じように。


Book 1
心から一歩も外に出ないものごとは、この世界にはない。心から外に出ないものごとは、そこに別の世界を作り上げていく。


Book 2
「こうであったかもしれない」過去が、その暗い鏡に浮かび上がらせるのは、「そうではなかったかもしれない」現在の姿だ。

fujipon.hatenadiary.com
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現時点での村上春樹さんの最新長篇であり、「代表作」のひとつ。
そんなに「簡単」な作品ではありませんが、「とりあえず村上春樹の長篇を読んだことがあると言いたい人」にとっては、2015年の時点では、もっとも「適切」な作品ではないでしょうか(いちばんの傑作だとは言いません)。


(10)村上さんのところ(2015) ★★

村上さんのところ

村上さんのところ


Kindle版もあります(紙の本の8倍もの質問と回答が収録されています)。

村上さんのところ コンプリート版

村上さんのところ コンプリート版

内容紹介

選りすぐりの名問答をセレクトして、

フジモトマサルのイラストを加えた愛蔵版

何度でも読み返したい「人生の常備薬」


期間限定サイト「村上さんのところ」上で、村上春樹が3か月半にわたって続けた回答は、じつに3765問! その中から、笑って泣いて考えさせる「名問答」を473問を村上さんご自身がセレクトし、可愛くてちょっとシュールなフジモトマサルのイラストマンガ約51点を加えた待望の書籍版!

こんな内容の質問が掲載されています。


文章が上手くなるには?/ノーベル賞候補と騒がれる気分は?/なぜ人を殺してはいけない?

1Q84』に続編はあるの?/同性婚は賛成ですか?/無駄に話が長い上司をどうする?

村上作品は純文学? 大衆文学?/批判に対する心構えは?/不登校の娘をどうすればいい?

英語上達法を伝授して下さい/好きなタイプの女優は?/子どものやる気を引き出すには?

いい手紙を書くコツは?/原発はNOですか?/奥さんの機嫌が悪い時は?

生きている意味って何?/感受性の磨き方を教えて下さい/もし芥川賞をとっていたら?

映画のベスト3は何ですか?/老境で幸せに生きるには?/本当につらいときに強くなるには?

日本は戦争に近づいてるようで不安です/立派な大人になるために必要なことは?


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村上春樹という人間」を知るため、でも良いし、「回答芸」みたいなものも満喫できる一冊。

村上さんのスタートダッシュは猛烈でしたね。最初の一週間は一日に平均359通読んで、81通も回答しています。

……この「圧倒的な文学的体力」みたいなものが、村上春樹のすごさなのかもしれません。
だって、ネットでの発言って、下手すると「炎上」しちゃうかもしれないのに、そういう細心の注意が必要な文章を、こんな勢いで書いちゃうのだもの。


(11)フラニーとズーイー(2014) ★★★

フラニーとズーイ (新潮文庫)

フラニーとズーイ (新潮文庫)

内容紹介
アメリカ東部の名門大学に通うグラス家の美しい末娘フラニーと俳優で五歳年上の兄ズーイ。物語は登場人物たちの都会的な会話に溢れ、深い隠喩に満ちている。エゴだらけの世界に欺瞞を覚え小さな宗教書に魂の救済を求めるフラニー……ズーイは才気とユーモアに富む渾身の言葉で、自分の殻に閉じこもる妹を救い出す。ナイーヴで優しい魂を持ったサリンジャー文学の傑作。――村上春樹による新訳!


村上さんの「翻訳」の仕事からも1作。
村上春樹さんが訳しているので当然なのかもしれませんが、会話がすごく「村上春樹っぽい」のですよね。
いや、「村上春樹さんが、サリンジャーっぽい」のか。


fujipon.hatenadiary.com



以上、10+1作品の紹介でした。
ところで、最近、こんなエントリを読んだのですが、

toianna.hatenablog.com


こういうふうに思っている人もいるのだなあ、と。
僕は「ヤリチン」に知り合いがいないので、よくわからない、というのが率直なところです。
ただ、村上春樹さんって、海外では(日本でも?)「ポルノ小説的」というか「ライフスタイル小説」的に読まれているところがあるんですよね。
とくに『ノルウェイの森』『国境の南、太陽の西』くらいまでは。

fujipon.hatenablog.com


ただし、近作はどんどん「神話みたいな感じ」になってきているような気がしています。
カズオ・イシグロさんの『忘れられた巨人』を読んだときも、そう思ったのだけれども。


ちなみに、僕の本棚には村上春樹作品が並んでいますが、僕の妻は「村上春樹のどこが面白いのか、さっぱりわからない」と言っております。

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