いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「阿川佐和子さんのお父さん」の話

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作家・阿川弘之さんが2015年8月3日に亡くなられました。
94歳、老衰で、ということで、天寿を全うされたのではないかと拝察しております。
僕にとっての阿川さんは、『山本五十六』『志賀直哉』などの作品はもちろんなのですが、阿川佐和子さんのお父さん、としての印象が強かったのです。


阿川佐和子さんはエッセイや対談などでも、この「作家として大先輩であると同時に、頑固でわがままで、それでいて子煩悩なところもある父親」のことを語っておられました。


週刊ポスト2005/6/3号」の記事「父と娘の肖像~最終回」(江川紹子・著)より。


阿川佐和子さんと、そのお父さん・弘之さんのエピソードです。)

 初めて仕事として文章を書いた頃、佐和子はまだ両親と同居していた。書き上げた原稿を編集部に届けようとした彼女を、父が呼び止めた。
「編集の方に電話して、三十分遅れると言いなさい」
 そして、父の原稿チェックが行われた。その後も、同じような場面は何度もあったが、父の指摘は、文章の書き方や言葉の使い方、意味などについてで、文章の内容に関して意見することはなかった。
 佐和子が一人住まいをするようになり、月刊誌で連載を始めると、どこから聞きつけたのか、父からこんな電話がかかってきた。
「雑誌は、うちにも届けていただくようにしなさい」
 そして、毎月雑誌が届く頃になると、また電話。
「百三十六ページ、一番上の段、頭から七行目。こういう形容詞を使うな。何度言った分かる」
 エッセー集を出した時には、実家に呼び出しがかかった。「電話で済ませられるような量じゃない」と言われ、佐和子は仕方なく”出頭”。本に付箋を五十か所以上貼り付けて待ちかまえていた父は、一つひとつ意見を述べていった。言葉の語源や、昔と今で使われ方がどのように変わっていったのかなど、まるで文章教室のように話は広がった。生徒は娘ただ一人。
「『うん?』と思う時もあるけれど、本当に貴重なことなので、(そういう機会には)なるべく素直な心になって聞いてます」
 せっかく殊勝になっている娘に、父は、「タダで文章修行をさせてやっている。ありがたいと思え」と憎まれ口を叩いたりもする。
 けれどこの父は、娘の文章を読んでも、その出来が芳しくないと思った時は、逆に何も言わない。
 佐和子にもスランプはある。担当編集者から「最近の文章は面白くありません」と言われて落ち込んだ時、父のアドバイスはこうだった。
「そういう時はあるものだ。それはしょうがない。野球選手だって、打つのは三割。次に頑張ればいい」
 暴君のような日常があるからこそ、こんな優しいひと言は、何十倍もありがたく心に沁みるし、長持ちもする。
 だからだろう、悪口を書き連ねているにもかかわらず、佐和子の文章には父への愛情や敬意がにじみ出ている。

『太ったんでないのッ!?』(檀ふみ阿川佐和子共著・新潮文庫)より。


(巻末の檀さんと阿川さんの「文庫版特別対談」の一部です)

檀ふみ食べ物の話といえば、サワコちゃんはお米に関してうるさいわよね。電子ジャーを持っていなくて、文化鍋で炊いてるわけですから。おいしいご飯にこだわってらっしゃるのよね。


阿川:こだわってません。「こだわり」という言葉は、否定的な執着の意味ですから気をつけて使いなさいと、江國滋さんが。うちの父にも注意されます。


檀:「拘泥する」って字をあてるものね、うじうじした感じになるわよね。


阿川:だから「こだわりの○○」とか、そういうのは本当はいけないの。でもそれに代わる肯定的な言葉ってあまりないのよね……。


檀:とにかく、あなたのお米の研ぎ方はマニアックですよね。


ちょっと脱線してしまいますが、江國香織さんのお父さん、滋さんには、こんなエピソードがあります。


「泣かない子供」(江國香織著・角川文庫)より。

 小学校一年生の夏休みに、私は生まれてはじめて絵日記をつけた。一ページ目をかきおえて、さっそく嬉々として父に見せに行くと、どれどれ、と日記帖をのぞきこんだ父は(父は、仕事中でも決して、あとでね、とは言わなかった)、にわかにきびしい顔つきになり、
「日記は、きょうは、で始めてはいけない。きょうのことに決まっているんだから」
 と言った。六歳の私の、あの失望。すごすごと書斎をでて行こうとする私の背中に、おいうちをかけるように父は、
「ああ、それから、私は、で始めてもいけないよ。私のことに決まっているんだから」
 と言ったのだった。


(中略)


 中学生の頃、話し合いの余地のない父の小言に、何と非民主的、非文化的な父だろうと嘆いたものだったが、話し合いの余地のない小言を本気でいえるというのはむしろ、きわめて文化的な(文化財的な、と言うべきか)、父なのではないかと、このごろ思う。
 そうして、最後につけ加えるなら、「パプアニューギニアもどき」のかっこうをして、父いわくの「乱れた日本語」で会話し、深夜まで飲んで帰る娘は、今でも決して「きょうは」で日記をはじめることがないのである。


 阿川佐和子さんは、エッセイのなかで、「暴君」であり、わがままで家族を困らせた父親を描くのと同時に、その不器用な愛情についても、しばしば言及されていました。
 作家の親子関係もさまざまなのですが、僕の知る限りでは、息子に対して文章指南をする作家の親、よりも、娘に「つい何か言いたくなってしまう」という親のほうが、ずっと多そうです。
 心配なのか、おせっかいなのか。
 

 妻に、阿川弘之さんの訃報の話をしたら、「その人、どんな人?」と尋ねられました。
 僕が、「阿川佐和子さんのお父さん」と答えると、妻は「ああ!」と、すぐに思い当たってくれました。
 阿川弘之さんがどこかで聞いておられたら、「なんで娘の名前が先に出て説明されなければならないんだ!」と仰るかもしれませんね。
 

 阿川さんは、広島市出身で、高校まで広島に住んでおられました。
 『魔の遺産』という原爆の後遺症について書かれた作品もあります。
 8月6日は、あの日から、ちょうど70年めです。


 最後に、阿川さんが書かれたもので、僕にとって忘れられない作品を2つ御紹介しておきます。


参考リンク(1)絶品!『ひじきの二度めし』(活字中毒R。)
(食事中、あるいは食直前後のかたには、おススメしません)



きかんしゃやえもん (岩波の子どもの本)

きかんしゃやえもん (岩波の子どもの本)

子どもが『きかんしゃトーマス』を観ていたとき、僕は「これって、『やえもん』のパクリなのか?」と思っていたんですよ。


detail.chiebukuro.yahoo.co.jp


実際は、『きかんしゃトーマス』のほうが、登場時期は早いのです。
「同じようなことを考える人が、世界には少なからずいる」ということなのでしょうね。
「列車の擬人化」というのは、そんなに特異な発想ではないだろうし。


昭和を生き抜いた作家、そして、わがままで不器用な父親だった阿川弘之さんの御冥福をお祈りします。
僕の息子も『やえもん』を読んでいます。



山本五十六 (上巻) (新潮文庫)

山本五十六 (上巻) (新潮文庫)

太ったんでないのッ!? (新潮文庫)

太ったんでないのッ!? (新潮文庫)

きかんしゃやえもん (岩波の子どもの本)

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きかんしゃやえもん D51の大冒険 [DVD]

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