いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

本好きですが、『本 de ドミノ』を応援します!

kyoumoe.hatenablog.com


ちょっと乗り遅れてしまった感はありますが、この話。
個人的には、「図書館の蔵書だったら公共のものだし問題あるかもしれないけど、家庭から提供された「不要になった本」だし、そこまで目くじら立てなくてもいいんじゃない?と思っています。
僕は本好きですし、モノとしての紙の本に思い入れもあるのだけれども、それと同時に、子ども時代には、「本でドミノ」とかやってたし。


図書館で本といえば、こういう話があって。fujipon.hatenablog.com

もう本当にお恥ずかしい話ですし、反省しているのですが、askでこんな質問をいただいたときには、正直、「じゃあ、本を汚したら、出家して一生それを悔やまなければならないのか……とややウンザリもしたのです。


ask.fm


僕は長年本に接してきて、「本好き」にも、いろんなタイプがいるということに気付きました。
ひとつは、「本」という物体そのものを愛してやまないタイプ。
このタイプの人は、本の収集に情熱を燃やし、書店で平積みにされている本は下のほうから取ります。人によっては、保存用と読む用に2冊買ったりもするのです。
このタイプの人たちは電子書籍には否定的で、Amazonも好まないことが多いようです。


ふたつめは、「本に書いてある情報」を好むタイプ。
彼らは、基本的に「本なんて読めればいいじゃないか」というスタンスで、読み終わった本はどんどん捨ててしまいます。本ってスペースをとりますからね。
電子書籍の何が悪いの?書いてあることはおんなじじゃない?と考えています。


この他にも「本というより作家という人種に興味があるタイプ」とか、「本好きという人種に興味があるタイプ」とか、いろいろいるのですけど、一般的には、どれかの類型に偏っているというよりは、混合型、すなわち、「本という物体は好きだけど、安かったり、買いにいく手間を考えれば、電子書籍でもいいや」みたいな人が多数派ではないかと思います。


鉄道ファンに「乗り鉄」がいたり、「撮り鉄」がいたりするのと同じように、本好きにも、さまざまなサブジャンルがあるのです。


僕はどちらかというと「本に書いてある情報を好むタイプ」なんですよ。
本を邪険に扱う、というわけではないですが、本を読むときは正座して、白手袋をはめて、とかいうことはないし、付箋も貼れば、書き込みもします。
あまりにも量が増えたら、ブックオフにも売りますし、捨てることもあります(すみません……と書いておかないと怒る人もいるかな……)


もちろん、すごく気に入った本は丁寧に本棚に保存しますが、それ以外は、読み終えてしまえば「お役御免」みたいな感覚です。
昔はもっと一冊一冊を大事にしていたのですが、「一般人としての生活」を考えると、本というのは、あまりにも体積・重量が大きくなり、生活空間を圧迫しすぎる存在なのです。


「物質としての本をひたすら愛おしく思う派」の気持ちというのは、僕には正直よくわからない。
個人的には、あまりに本を「神聖なもの」にしすぎてしまうと、「なんか難しそう、めんどくさそう」と、本を敬遠する人が増えるのではないか、とさえ思うのです。
だからといって、わざわざ本をひどく痛めつけて、読めないようにするだけのイベントには賛同しかねますけど。
僕のなかでは「ドミノ」は、子どもならやってみたくなる行為だろうし、ちょっとしたイタズラ心を実現する、という感じで「セーフ」なんですよ。
本も致命的なダメージは受けないだろうし。
本を投げつけあう「本合戦」とか「焚書」みたいなのは、やっている側が冗談だと主張しても許容しかねます。


考えてみれば、このイベントに多くの人が興味を持つのも、「本で遊んじゃいけません」って多くの家庭で教えられている「禁忌」を乗り越える行為だから、という面もあります。

「やっちゃダメ!」なことをやるのは、けっこうワクワクしませんか?


いや、僕も長年、「本はとにかく大事に派」だったんです。
先日「子どもと本」という、長年子どもの図書館運営に携わってきた方が書いた本を読んだんですよ。
そのなかで、著者は、子どもというのは、図書館にいて、本の「オーラ」を浴びているだけで良いのだ、無理に本を手に取らせよう、読ませようとしなくても良いのだ、と仰っていました。

d.hatena.ne.jp


ドミノ倒しを見るために図書館に来た人(子ども)も、図書館という空間を体験することで、「何か」が変わるかもしれません。


最近、電子書籍を常用していて、思うのです。
ああ、紙の本って、けっこう「丈夫」だよな、って。
スマートフォンKindleって、ちょっとしたことで壊れる危険があるじゃないですか。
でも、紙の本って、少し傷がつくことはあっても、読めなくなるほど酷く損傷することは、あまりない。
そして、単価も電子機器に比べると、はるかに安い。
むしろ、「気軽に読み捨てるためのツールとしての紙の本」「子どもが手荒に扱っても、それで破れたページが愛おしくなるような紙の本」って、すごく魅力的だと僕は感じるのです。


僕は、この図書館の「本でドミノ」の企画を応援します。
これはきっと「とにかく図書館に来てほしい。ふだん本に興味がない人にもぜひ!」という「作戦」だと思うから。
むしろ、使った本を、見にきた人のなかの希望者に、何冊かずつでも、タダであげる、なんてわけにはいかないのだろうか(もちろん、これだけの数の本全部の引き取り手がみつかるとは思えないけれど)。


グーテンベルクとか杉田玄白の時代ならともかく、これからの時代の紙の本の魅力として、「ドミノもできる!」とアピールするくらいの自由さがあっても良いんじゃないかな。


hondedomino.galaxy.bindcloud.jp

がんばれ、岐阜市立新図書館!

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