いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「子育て身代金」を減額することの難しさ

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ああ、これは本当にすごく良い話だな、と思いつつ読みました。

その一方で、現在絶賛子育て中の父親である僕としては、ちょっと考え込んでしまうところもありました。
このお父さんは「お母さんの不在」を楽しく過ごすことができる、人生の達人だったと思うんですよ。
それで、娘たちにも、「お母さんがいなければいないで、けっこう楽しい」という思い出を残すことができた。
「子どもをもってはじめてわかるような、親であり続けることのキツさ」みたいなものは確実にあるのだけれども、自分が子供時代に致命的に傷つけられていると、「そういうのを素直に理解するためのアプリ」みたいなのが、インストールされないまま大人になってしまうこともある。


うちは男の子なのですが、これと同じことを、妻の不在時にやったとしたら、はたして、こんなにうまくいくだろうか?って考えてしまうのです。
これって、お父さんは、あまりに「オイシイ役割」ではなかろうか。


お母さんが「子どものためにならないから禁止」していることを、少しだけ「解禁」してあげるお父さん。
子どもたちにとっては、優しい魔法使いみたいなものでしょう。


現役お父さんとしては、この件に関するお母さんの反応について、ちょっと気になってしまうのです。
お母さんは、『北斗の拳』も『サイダー』も、内心勘づいていたのかもしれないし、全く知らなかったのかもしれない。
お母さんも知っていて、自分がいないときの「特例」として、認めていたのであれば、問題はありません。
お父さんとお母さんの、素晴らしいチームプレイです。
あるいは、ずっと気付かれていなかったのであれば、それは「幸福な秘密」だったのだと思う。


ただ、そういう「了解」が無いまま、「母親の不在時に、父親が魔法を解いてあげること」には、リスクもあるのです。
お母さんからすれば、「理由があって禁止しているもの」なのに、それをお父さんが勝手に解除してしまうというのは、あまり良い気持ちはしないはず。
そういうのって「子どもに嫌われてもいいから、親としてやめさせるべきこと」だというこだわりがあったりするじゃないですか。
それを、たまにしかいないお父さんが、自分の不在時に「ふだん、『北斗の拳』も観られないなんて、かわいそうに」とばかり、「解禁」してしまう。
子どもたちは「お父さん、大好き!」になる。
こういう場合、父親は、「このくらいのものを禁止するなんて、厳しすぎるよな」なんて、口にしたりする。


母親が厳しくすればするほど、父親は「そんなに厳しくしたら、子どもがかわいそうだろ」と、甘くなったり、「してはいけないこと」を解禁したりする。
もちろん、母親と父親が逆になるパターンもあります(事例としては、そのほうが多いかもしれない)。
こういうのがきっかけで、父親と母親は、綱引きをはじめてしまうのです。


「君があんまり厳しくしつけようとするから、僕は子どもたちに息抜きをさせてあげようと思って」
「日ごろどんなに注意していても、あなたがいつも台無しにしてしまう! 自分ばっかり、子どもに良い顔して!」


二人は、意地になって、「厳しさ」と「甘さ」の両極から、子どもの腕を引っ張りはじめます。
子どもは、どんどん引き裂かれていく。
どちらかが、間違っているわけじゃない。
でも、これが続くと、相手のやることなすことが気に入らなくなってくる。
子どもも、何が正しいのか、わからなくなってくる。


僕はこのid:white_cakeさんのお話、好きです。
うちに娘はいないけれど、こういう関係を築ければ、父親として楽しいだろうな、とも思う。
親というのは、ふたりいる場合には、お互いができないこと、やりにくいことを、補完しあう関係であるのが、理想でしょうし。
もちろん、親同士の信頼関係に基づいて。


こういうのを読むたびに、子育てに「どこにでもあてはまる正解」って、無いのだよなあ、と考えずにはいられません。
「親には親の人生がある」のだけれども、だからといって、新しい恋人のところに入り浸って、子どもを餓死させるような事例に対しては、憤りを感じずにはいられない。
「子どものための人生なんておかしい」とは思うけれど、やはり、生産者責任、みたいなものはあるし、あることにしておかないと、とんでもないことになりそうな気がします。
では、どこまでがセーフで、どこからがアウトなのか。


子どもって、少なくとも幼いうちは、誰かが見守っていなければならない存在で、それは、どんなに綺麗事を並べ立てていても、変えられない現実なのです。
子どもは、親を、束縛する。
そして、子育てを幸福だと素直に思える人ばかりが、親になるわけでもない。


こういう「さじ加減」って、人それぞれだと思うのです。
自分なりの、自分の家族なりの『北斗の拳』とか「サイダー」を、探すことができれば良いのだけれど、それはけっこう難しいことなんだよね……

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