いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

なぜ「非公開記事」を書くのだろう?


たぶん見られることを意識して書いた文章じゃないですよ - 斗比主閲子の姑日記


このid:topisyuさんの話の元になったエントリはもう消されているのですが(一応、消される前に僕は読みました)、プライベートな話みたいなので、内容には言及しません。


で、この話を読んでいて考えていたのは、「なぜ、ネットに『非公開記事』を書くのだろう?」ということなんですよ。


こういうのって、「読まれたくないのなら、チラシの裏に書け!」っていう常套句があるじゃないですか。
他人に読まれたくないのであれば、心の中で書くか、紙の日記帳に書けばいい。
というか、「本当に知られたくない」のであれば、日記帳にも書くべきではないと思います。
結局のところ、紙の日記帳の場合も、見つけた人が読むか読まないかって、相手の判断次第ですしね。自分ではコントロールできない。
大概の場合、紙の日記でも「もしかしたら、読まれてしまうかもしれない」ことは、みんな想定しているのではないでしょうか。
それがセンセーショナルな内容であっても。
そのスリルみたいなもの込みで、「秘密の日記」を書いている。


ブログの「非公開記事」を書くモチベーションは、どこにあるのだろうか。
「下書き」であれば理解できます。
僕自身も何度か、ブログの「非公開記事」を書いたことはあるのですが、それは、今から考えてみると「誰にも読まれたくない」というよりは、「とりあえずブログをプライベートモードにしているので、軽い練習のようなつもりで書いていた」ような気がします。あるいは、「再開したときに、「みんなに読まれないと書かないのかこいつは、とか思われるのがちょっとイヤだったので、言い訳的に書いていた」のです。


ただし、ブログの「非公開」というのは、ボタン操作ひとつで「世界中に公開」になってしまうリスクがあるのも事実だし、一度誰かの目に触れてしまうと、無限に拡散されてしまう場合もある。
拡散されたあとで、「あれは『非公開』だったのに!」と言っても、読んだ人の気持ちというのは、読む前にリセットされたりはしません。
基本的に「読まれたくないことは、書かない、残さないのが無難」ではあるのです。
できれば、頭の中にしまっておく。
どうしても手を動かしたければ、紙の日記帳に書いて、なるべく安全なところにしまっておく。


まあ、実際のところ、今の多くの人の生活環境として、「紙と筆記用具を用意して、日記を書く」よりも、「ブログで書いて、非公開にしておく」ほうが「秘密の日記」としても、手間が少ないのかもしれません。
しかしながら、「それなら、WORDで書けば良いのでは?」という気もします。


紙であれ、ブログの「非公開」であれ、僕は「やっぱり、読まれたいから、書くのではないか」とは思うんですよ。
「特定の相手にだけ読んでほしい」というのも含めて。


「見られることを意識しない文章」というのが、世の中に、存在するのだろうか?
存在するのであれば、僕はぜひ、それを読んでみたいのです。

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