いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「今日、いちばん輝いていた店員の名前を教えてください!」

以前、あるベーカリーレストランで食事をした際に、ものすごく混雑していたこともあって、長時間待たされ、その店のセールスポイントである「焼きたてのパン」が、ほとんど運ばれてこない、ということがありました。
そこで、「お客様の声」に、感じた不満を書いて帰ってきたのですが、後日、その店から、「手書きのお詫びの手紙」が送られてきました。
僕の分と、妻の分と、2人分。
一字一句違わない、まったく同じ文面です。


その手紙を見て、僕は「ああ、あのあと、アルバイトの人か店員さんが居残りさせられて、お手本通りに、この『反省文』みたいなのを書かされたんだなあ……悪いことしちゃったなあ……」と思ったんですよね。
マニュアル通りの対応なんだろうけど、クレームの内容にかかわらず、夫婦に二通、まったく同じ文面で送ってこられても、「罰ゲームやらせちゃったな……」という後味の悪さしか残りません。


「感謝のことば」とか「謝罪のことば」なんていうのは、礼儀としては、無いよりはあったほうが良いのでしょう、たぶん。
でも、こういうことばって、「やらされている感」とか「テクニックとしてやっている雰囲気」が伝わってくると、効果半減というか、かえって、「なんだか嫌な感じ」がしてくるんですよ。
だって、こういう儀礼的なことばって、実際に書いている店員さんたちは、僕の顔なんて覚えてはいないはず。
この店の偉い人たちが、マニュアル通りに対応しているだけです。
2人が全く同じ内容を書いたわけではないのに、謝罪文の内容は同じなのだから。
伝わってくるのは、相手の気持ちじゃなくて、「こういうふうにしたら、好感を持たれるはずだ」という身勝手で形式的な謝罪の押しつけでしかない。
手書きだったら、誠意が伝わるだろ?
そういう下心ありきの手書きなんて、要らないって。
そんなのより、店の運営を見直して、ちゃんとパンが食べられたり、それが難しい状況のときには入店を断ったりするようにしてほしい。
それだけのこと、だったのに。


僕はこの店がけっこう好きだったんですけど、この2通の全く同じ「謝罪のハガキ」をみて、げんなりしてしまいました。
それ以来、店でのアンケートには、基本的に、答えないようにしています。


「今日、いちばん輝いていた店員の名前を教えてください!」


知るか!


僕は店員を審査するために、レストランや居酒屋に来ているわけじゃない。
ところが、こういうアンケートへの記入をお願いしてくる店って、少なからずあるのです。
「良い店員」に指名されれば、モチベーションが上がるとか、接客態度への「牽制」になるのは事実なのかもしれませんが、それは、店側のほうで、さりげなく見ておいてくれないかな……


愚痴ついでに言ってしまうと、僕はブログの文末に、

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って書いてあるのを読むのもげんなりするんですよね。
いや、この文の内容そのものに関しては「読んでもらいたいブログ書き」として、宣伝したい気持ちはわからなくもないんですよ。
しかしながら、いわゆる「意識高い系ブログ」の人たちが、みんな、ほとんど同じ文面でこれを置いているのをみると「そんなこと書かなくても、必要だと思ったら、こっちで勝手にブックマークとかツイートとかするから!」って言いたくなります。
こういうのをどんな記事にでもベタベタ貼るのって、「アクセスアップ講座」の受け売りなのが透けてみえて、なんか嫌なんですよ。
僕は嫌がらせをするつもりはないけど、あなたの励みになるために、ブログを読んでいるわけでもありません。
もちろん、書いている側として、励まされると、嬉しいですよ。
でもさ、それはお客さんに「求める」ようなものではありません(個人の感想です)。


そもそも、宣伝したいのであれば、そういう言葉くらい、自分オリジナルなものを作る程度の工夫があっても良いんじゃないかね。
宣伝文句まで、みんなおんなじだと「これ何も考えてないな……」とか、つい言いたくなってしまいます(個人の感想です)。


お葬式に関しては、テンプレートなお悔やみの言葉(あるいは、黙って頭を下げるだけ)のほうが適している場合が多い、とは思うんですけどね。

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