参考リンク(1):『アニメーションは七色の夢を見る~宮崎吾朗と米林宏昌』(NHK)
昨夜(2014年8月8日)、この番組を観ました。
『思い出のマーニー』と『山賊の娘ローニャ』の宣伝、というのもあるのでしょうけど、最近は「ジブリが生み出す作品」とともに、「ジブリ内部の葛藤」みたいなものもコンテンツ化されまくっている感じです。
なんだかAKB商法みたい。
今回の主役は「宮崎駿の後継者」と目される40代のアニメーション監督、宮崎吾朗さんと米林宏昌さんです。
宮崎駿監督の「長編アニメーションからの引退」というのは、スタジオジブリにとっても、日本のアニメーション界にとっても、大きな影響を及ぼしているのです。
宮崎駿:時代を切り開いていくチャンスってこれからもあると思うけど、甘くないんですよ、もう。アニメーションはそんな牽引力持ってないんです。アニメーションやりたいっていう人間はいないです。マロ(米林監督)と吾朗はその最後ですよ。幻影を持ってる。
いないことはないだろ……と思うのですが、宮崎駿がいなくなってしまったアニメ界というのは、星新一が全部やりつくしてしまったあとのショート・ショート界みたいになってしまうのかもしれません。
『サマーウォーズ』の細田守監督など、実績を残している人もいるのですが、「宮崎駿」の存在は、あまりに大きすぎるのです。
『思い出のマーニー』が、作品そのものはよくできているにもかかわらず、興行的には「ジブリとしては……」という結果になっているのも、扱われているテーマの対象が限定的にみえるのと、「宮崎駿がいなくなった(いるんですけど)ジブリなんて」という先入観が大きいような気がします。
宮崎駿:マーニーは、まったく挑戦ですよ。こんな企画は映画としては考えないっていう企画です。あまりにも内面の問題だからですよね。内面の問題だからです。何年も前に読んだときに印象に残って、面白い作品で、いい作品だなと思ったけど、そして、その風景に魅かれたけど、作者が描いている地図と、僕の中に浮かぶ地図が全然違っていて、「思い出のマーニー」という原作は僕は好きですけど、絶対アニメーションにならないと思っていたんですよ。
米林監督が『マーニー』で観客に見せようとしていたのは、登場人物の「心の機微」みたいなもの、だったと思われます。
「モノローグを使うのではなく、アニメーションで、絵で、登場人物の心の動きを伝えること」
それが、ひとつのテーマだったのです。
僕は『マーニー』を観て、たしかにそれを成功させている作品だと感じました。
しかし、「アニメーションにならない」という宮崎駿監督の判断も、やはり、間違ってはいなかったように思います。
正確には「アニメーションにならない」というよりは、「アニメーションの可能性を拡げる作品ではあるけれど、アニメーションでやる意義を見出すのが難しい」という意味で。
『マーニー』と同じテーマを、宮崎駿がつくったら、『魔女の宅急便』になるんですよね、たぶん。
そして、『マーニー』は、観客にとっても、痛々しすぎる。
『マーニー』の機微みたいなものって、ある程度年を重ねた大人にならないと理解しづらいというか、「伝えることができなかった側の気持ち」を実感できないと、難しいのではないでしょうか。
ところが、この映画の「見かけのターゲット」は、若い女性になっている。
いろんな意味で、「興行的には難しい映画」になっているのです。
僕は、素晴らしい作品だと思っているのですが、作品の素晴らしさが集客につながらないのも理解できます。
むしろ、これまでのジブリ作品が、あまりにも広範囲に受け入れられすぎていた、ということなのかもしれません。
あの「M君事件」のとき、オタクやアニメがさんざんバッシングされても、「ジブリは無罪」という風潮だったものなあ。
僕が観ていていちばん気になったのは、宮崎吾朗さんのことでした。
吾朗さんは、『山賊の娘ローニャ』という3DCGを使った作品の監督をつとめています(2014年10月からNHKのBSプレミアムで放映予定)。
はじめてジブリ以外のスタッフと組んで。
ジブリの外に出ることを勧めたのは、プロデューサーの鈴木敏夫さんでした。
「ジブリじゃなくても作れることを証明する絶好の機会」だと鈴木さんは仰っており、これは「修行」みたいなものなのかもしれませんが、その一方で、吾朗さんの仕事ぶりの一端をこの番組で観てみると、「吾朗さんはキツイだろうなあ」と思わずにはいられませんでした。
米林昌宏:(日本では)3DCGアニメで成功するのは難しい。成功例が欲しいですね
宮崎駿:僕は(吾朗の)粘り強さには感心しますね。よくこんな無謀なことをやると思ってね。だって親父の通ったところを通るわけでしょう。それはどれほど困難を伴うかと思いますよ。僕はそこでは勝負しないですよ。
『山賊の娘ローニャ』の重要な場面の修正後、宮崎吾朗さんは、こう言います。
宮崎吾朗:おおむね良い。
「おおむね」か……これは、スタッフに「伝わる」のだろうか?
「おおむね」って、点数で言えば、80点くらいですよね。
「だいたい満足しているが、不満もある」ということです。
しかし、この監督の言葉を聞いただけでは、どこが不満なのか、よくわからない。
もともとアニメの仕事をしていて、叩き上げてきたわけではない宮崎吾朗さんには、制作者との「イメージの共有」の問題があるのです。
『夢と狂気の王国』という、スタジオジブリに、宮崎駿監督に密着取材したドキュメンタリー映画があります。
参考リンク(2):DVD『夢と狂気の王国』感想(琥珀色の戯言)
この映画の上映時間の半分を過ぎたあたりで、鈴木敏夫プロデューサーのこんな宮崎駿評が出てくるのです。
無茶を要求する人なんですよ。要するに、本物の零戦がどう飛んでいたか、じゃないのよ。
こんなふうに零戦が飛んでたらいいなあ、っていうのが、自分のなかのイメージとしてあるわけ。
これをさあ、第三者が、誰が描ける? 描けないでしょ。 そういう問題なのよ。
自分がイメージした、ある零戦。それが美しく飛ぶっていうのは、どういうことなんだろう? っていうのがあるわけよ。
そうしたら、その基準でいったら、誰が描いたって、ね、首を縦に振れないよね。
宮さんって、そういう理想主義があるんだよ。おもしろい人だよねえ。
自分で描きゃいいじゃん。
それがまたねえ、自分は、幻想があるの。
「若き日のオレだったら、描けたんじゃないか」って。
でもねえ、俺にはそれって若き日もおんなじなんじゃないかなあ、って気もしてんのよ。
とにかく、理想を求めるのあの人って。理想主義なのよ、すごいよねえ。
この期に及んでそうなのか、っていう。
僕は『七色の夢を見る』での宮崎吾朗さんの「おおむね良い」を観ながら、こう思ったのです。
ああ、宮崎駿なら、こういうときには、サラサラッと自分で絵を描いて、相手に「こうだよ」って言うんだろうな、って。
『夢と狂気の王国』でも、そういう場面がありました。
ところが、アニメーションの現場からの叩き上げではない宮崎吾朗さんには、それができない。
そもそも、宮崎駿レベルに、そんなことができる人は、宮崎駿しかいないんですけど。
番組のなかで、宮崎吾朗さんは、こう述懐しています。
スタジオジブリって、おそらく、日本のアニメーターのニューヨーク・ヤンキースのようなものだと思うんですよ。
宮崎駿さんは別格としても、そのなかで、米林監督は、スタープレイヤーだった人です。
米林宏昌:(『崖の上のポニョ』のある場面で)(宮崎さんの修正がない)そのまんまですからね。快感ですよね。自分の絵がそのまま出る快感。宮崎さんが「萌え~」って言ったの僕は聞き逃さなかったです。「萌え~」って、宮崎さんが「萌え~」って言った。言わせたって感じですね。
こういう人と比べられて、宮崎吾朗さんは、つらかったと思います。
「あいつは自分では描けないくせに」「宮崎駿の息子だから、監督をやらせてもらえたんだ」って言われるだろうし、それはまた事実でもあります。
CGアニメーションや、「ジブリ以外のスタッフとの仕事」への挑戦は、「現状を打開するための苦肉の策」でもあるんですよね。
ジブリがやらないことを、自分がやることに活路を見出したい。
ジブリの「王道」は、いまの宮崎吾朗さんにとって、あまりにも険しい道だから。
僕にとっては、「アニメーションの未来への希望」よりも、「宮崎駿の呪縛」みたいなものを、強く感じてしまう番組でした。
人っていうのは、なぜ、「難しい道」のほうを、選んでしまうのだろうか。
参考リンク(3):映画『思い出のマーニー』感想(琥珀色の戯言)
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