こんな文章があります。
この間東京で居酒屋に行ったとき、もちろんビールやおつまみをたくさん注文したあとで、友だちがヨーロッパみやげのデザートワインを開けよう、と言い出した。その子は一時帰国していたが、もう当分の間外国に住むことが決定していて、その日は彼女の送別会もかねていたのだった。
それで、お店の人にこっそりとグラスをわけてくれる? と相談したら、気のいいバイトの女の子がビールグラスを余分に出してくれた。コルク用の栓抜きはないということだったので、近所にある閉店後の友だちの店から借りてきた。
それであまりおおっぴらに飲んではいけないから、こそこそと開けて小さく乾杯をして、一本のワインを七人でちょっとずつ味見していたわけだ。
ちなみにお客さんは私たちしかいなかったし、閉店まであと二時間という感じであった。
するとまず、厨房でバイトの女の子が激しく叱られているのが聞こえてきた。
さらに、突然店長というどう考えても年下の若者が出てきて、私たちに説教しはじめた。こういうことをしてもらったら困る、ここはお店である、などなど。
私たちはいちおう事情を言った。この人は、こういうわけでもう日本にいなくなるのです。その本人がおみやげとして海外から持ってきた特別なお酒なんです。どうしてもだめでしょうか? いくらかお金もお支払いしますから……。
店長には言わなかったが、もっと書くと実はそのワインはその子の亡くなったご主人の散骨旅行のおみやげでもあった。人にはいろいろな事情があるものだ。
しかし、店長は言った。ばかみたいにまじめな顔でだ。
「こういうことを一度許してしまいますと、きりがなくなるのです」
いったい何のきりなのかよくわからないが、店の人がそこまで大ごとと感じるならまあしかたない、とみな怒るでもなくお会計をして店を出た。そして道ばたで楽しく回し飲みをしてしゃべった。
もしも店長がもうちょっと頭がよかったら、私たちのちょっと異様な年齢層やルックスや話し方を見てすぐに、みながそれぞれの仕事のうえでかなりの人脈を持っているということがわかるはずだ。それが成功する人のつかみというもので、本屋さんに行けばそういう本が山ほど出ているし、きっと経営者とか店長とか名のつく人はみんなそういう本の一冊くらいは持っているのだろうが、結局は本ではだめで、その人自身の目がそれを見ることができるかどうかにすべてはかかっている。うまくいく店は、必ずそういうことがわかる人がやっているものだ。
そしてその瞬間に、彼はまた持ち込みが起こるすべてのリスクとひきかえに、その人たちがそれぞれに連れてくるかもしれなかった大勢のお客さんを全部失ったわけだ。
居酒屋で土曜日の夜中の一時に客がゼロ、という状況はけっこう深刻である。
その深刻さが回避されるかもしれない、ほんの一瞬のチャンスをみごとに彼は失ったのである。そして多分あの店はもうないだろう、と思う。店長がすげかえられるか、別の居酒屋になっているだろう。
これが、ようするに、都会のチェーン店で起こっていることの縮図である。
それでいちいち開店資金だのマーケティングだのでお金をかけているのだから、もうけが出るはずがない。人材こそが宝であり、客も人間。そのことがわかっていないで無難に無難に中間を行こうとしてみんな失敗するのだ。それで、口をそろえて言うのは「不況だから」「遅くまで飲む人が減ったから」「もっと自然食をうちだしたおつまみにしてみたら」「コンセプトを変えてみたら」「場所はいいのにお客さんがつかない」などなどである。
(中略)
というわけで、いつのまに東京の居酒屋は役所になってしまったのだろう? と思いつつ、二度とは行かないということで、私たちには痛くもかゆくもなく丸く収まった問題だったのだが、いっしょにいた三十四歳の男の子が「まあ、当然といえば当然か」とつぶやいたのが気になった。そうか、この世代はもうそういうことに慣れているんだなあ、と思ったのだ。いいときの日本を知らないんだなあ。
さて、あなたはこれを読んで、どう思われたでしょうか?
「ああ、釣りだねこれ」
そう思われた人も、少なくないはずです。
僕も、予備知識なしで読んだら、そう感じたのではないかと思います。
ところがこれ、よしもとばななさんのエッセイ集『人生の旅をゆく』(幻冬舎文庫)に書かれているものなのです。
(ちなみに、原文は一切改変していません)
参考リンク(1):″わたしには人脈があるの″! よしもとばななの一言がネットで炎上!(ライブドアニュース)
これはもともと『活字中毒R。』というサイトで引用したものなのです。
参考リンク(2):よしもとばななさんの「ある居酒屋での不快なできごと」(活字中毒R。)
当時、こんなコメントをつけました。
僕はこのエピソードを読んで、「自分がこの店長だったら、どうしただろう?」あるいは、「この店長は、どうするのが『正解』だったのだろう?」と考え込んでしまいました。
率直に言うと、この文章のなかで、後半の「もしも店長がもうちょっと頭がよかったら……」以降は、読んでいて、あまり気持ちが良いものではなかったんですよね。なんだか、「自分たちは特別な人間なんだから、特別扱いされてもいいんじゃない?」って思っているのだな、という気がして。
でもまあ、そういう「よしもとさんたちのプライド」はさておき、こういう状況というのは、サービス業ではしばしば起こりうるわけで、店側としては、どう対応すれば良いのでしょうか?
たしかに、「ちょっと感じ悪いな」とは思いましたし、そう書いてもいますが、僕としては「サービス業従事者としては、こういうお客さんに、どう対応すべきなのか?」と考え込んでしまった、というのが「主題」だったのです。
ところが、結果的にこれが「よしもとばななバッシング」につながってしまった。
正直「なんでこうなったんだ?」と、当時は意外でしたし、よしもとさんに悪いことをしてしまったな、とも思っていました。
いま、あらためて考えると、このよしもとさんのエッセイって、ものすごく「釣りっぽい」ですよね。
これが『2ちゃんねる』や『はてな匿名ダイアリー』『発言小町』に書かれていたら、「釣りだろ」って言う人が、必ず出てくるのではないかと。
もしも店長がもうちょっと頭がよかったら、私たちのちょっと異様な年齢層やルックスや話し方を見てすぐに、みながそれぞれの仕事のうえでかなりの人脈を持っているということがわかるはずだ。
のくだりなんて、「釣り針デカすぎだろ!」って、僕もツッコミを入れてしまいそう。
「自分たちは特別」って感じを醸し出していて、ルール違反を正当化し、店長を見下すところなんて、見事な釣り師っぷりです。
ところが、これは本にもなっている、世界的な作家のエッセイなんですよね。
もちろん、よしもとさんに「釣り」という意識はなくて、思ったことをそのまま書いているだけなのでしょう。
このテキストの場合には、著者が有名作家であり、書籍化されているので「答え合わせ」ができていると考えてよいと思うのですが、ネットで行われている「釣り判定」の多くは、答えがわからないのです。
hagexさんの本を読んであらためて思うに、「釣り判定」っていうのは、そんなに簡単なものではないのです。
「天然もの」のなかには、「釣り」と見分けがつきにくいものも、少なくない。
いやむしろ、「極上の天然もの」こそ、かえって「釣りっぽくなる」のかもしれません。

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