参考リンク(1):観客動員数を減らさないためにスターシステムを採用しない - ウェブ1丁目図書館
このエントリに出てくる、劇団キャラメルボックスの「ハーフタイムシアター」の話を読んで、考えさせられました。
僕のなかの「常識」としては「映画や舞台は、2時間くらいが基本線で、映画の場合は、90〜180分くらいだな」と。舞台も3時間を超えるものはそうそうないし、90分未満というのも、経験がありません。
なんとなく、そのくらいないと、ボリュームが足りないと感じそうな気がします。
(ただし、子ども向けには、60分とか80分の映画もあります。『きかんしゃトーマス』の映画が70分ちょっとしかなくて、「短いなあ」と思っていたのですが、ちょうど60分を過ぎたくらいの時点で、当時3歳の息子が「まだ終わらないの?」とゴソゴソしはじめたので、やっぱり、ちゃんと上映時間も考えられているのだなあ、と)。
最近どうも、いろんなコンテンツの「所要時間」に、ちょっと疑問を感じることがあるんですよね。
たとえば、テレビゲーム。
以前、こんなツイートをしたら、けっこう反響があって。
テレビゲームって、長年の習慣で「長時間遊べなくてはならない」っていう先入観が強すぎるのではなかろうか。とくに制作側に。学生はともかく、社会人は「5000円でクリアまで50時間遊べるゲーム」より、「5000円で5時間で終わっちゃうけど、濃密な時間を過ごせるゲーム」が良い人も多いはず
— FUJIPON (@fujipon2) 2013, 12月 12
もちろん、賛意ばかりではなかったのですが、「もう少し早く終わってくれたほうが、遊びやすいのに」と思っている人って、いると思うんですよ。
僕がゲームをやりはじめた、1980年代の半ばくらいは、ゲームソフトの種類そのものが少なくて、値段も高かったのです。
「長く遊べるゲームほど、ユーザーは喜ぶ」と信じられていました。
当時は僕も学生でお金がなかったこともありましたし、レンタルビデオもなければ、CS放送もなく、テレビゲームの登場以前に夜中にできたことは、本を読むか、オールナイトニッポンを聴くくらいしかなかったんだよなあ。
ところが、いまは「遊びの選択肢」が本当にたくさんあるのです。
「レベル上げに何十時間もかかるようなゲーム」をやることが、なんだかとてももどかしい。
ひとつのことに、そんなに時間をかけていられないような「焦り」みたいなものもあります。
「常識」の枠組みを取り外してみると、もしかしたら、「45分」「半額の料金」くらいだったら、舞台を観に行ってみたい、というニーズもあるんじゃないかと思うのです。
そのくらいだったら、仕事帰りにちょっと寄るのも、そんなに負担にはならない人も多いはず。
僕自身も含めて、これだけ情報が氾濫している世の中を生きていると、ネット以前、20年前くらいと比較して、それぞれの娯楽のコンテンツの長さは「半分」くらいが適切になってきているのではないでしょうか?
それは、ネット上での「文章の長さ」にも言えるのかもしれません。
書いていると「このくらいの長さで、『長すぎ』って言われちゃうのか……」と思うこともあるのです。
参考リンク(2):ブログ記事に適した文字数は2000文字まで、3分以内に読める長さ。ってことだけどWP-Dの人気記事はどうなの? (WP-D)
参考リンク(3):ブログは何文字で書けばいいのか? - デマこいてんじゃねえ!
これらの記事から考えると、「2000文字くらいまで、長くても3000文字は超えないほうがいい。3分間で読み切れるくらいの分量」が、現在の「適切な長さ」ということのようです。
堀江貴文さんのように「400字以内で要点だけ!」という人もいるし、僕も正直、面白くなければ2000文字でもきついです。
……とか言いながら、自分で書くと、つい長くなる。
「日記をつける」(荒川洋治著・岩波アクティブ新書)のなかで、荒川さんは「作品の長さ」について、こんなふうに書いておられます。
作品の長さについては、ぼくは以前から次のような考えをもっている。四〇〇字詰原稿用紙で「何枚」というとき、次のようなことをこころがけるのだ。
1枚→どう書いても、何も書けない。(週刊誌の一口書評など)
2枚→何も書けないつもりで書くといいものが書ける。(新聞の書評など)
3枚→一話しか入らないのですっきり。起承転結で書く。二枚半あたりで疲れが出るので休憩をとる。(短いエッセイなど)
4枚→一話ではもたないので、終わり近くにもうひとつ話を添える。(エッセイなど)
5枚→読む気になった読者は、全文読む枚数。見開きで組まれることが多く、作品の内容が一望できるので、内容がなかったりしたら、はずかしい。原稿に内容があるときはぴったりだが、内容がないときは書かないほうがよい。「書くべきか、書かないべきか」が五枚。
6枚→読者をひっぱるには、いくつかの転調と、何度かの休息が必要(同前)。
7枚→短編小説のような長さである。ひとつの世界をつくるので、いくつかの視点が必要。(総合誌のエッセイ、論文など)
この7枚以上になると、書くほうもつらいが読者もつらい。読者は読んだ後に「読まなければよかった」と思うことも多い。2、3枚のものなら、かける迷惑は知れているが、7枚ともなると「責任」が発生する、いわば社会的なものになるのである。7枚をこえて、たとえば10枚以上にもなると、読者は「飛ばし読み」をするから、意外に書くのは楽である。読者を意識しないほうが、むしろいいくらいだ。
うーむ、実はこの話「ネットの影響で、みんな長文が読めなくなった、一度に読める分量も、ネット以前の半分くらいになった」というところに着地させようと書き始めたのですが、実際は「読む気になった人が、一度に読み切ってくれる分量」というのは、この『日記をつける』が上梓された2002年と、そんなに変わりはないようです。
そういう意味では、映画や演劇の「2時間」というのは、「これらのコンテンツに対して、人間が心地よく鑑賞できる最大公約数的な長さ」だということなのでしょう。
テレビゲームは、歴史がまだ浅いので、試行錯誤の余地はあると思うのですが、コストパフォーマンスとは別に「心地よい所要時間」っていうのは、あるのかもしれませんね。
ちなみにこれで、2900字くらいです。やっぱり、長い?