いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「だから、私たちはフィギュアスケートを見るんだ」

女子フィギュアスケートのフリーを、リアルタイムで見るつもりは、ありませんでした。
前日のショートプログラムをみて、「ああ、これはもう、難しいだろうな」と。
翌日は朝から仕事だし……


ところが、別のことで夜更かしをしていて、気がつけばもう25時過ぎ。
Twitterで、もうすぐ村上佳菜子選手、そして、そのすぐあとで浅田真央選手の出番が来ることを知りました。
ああ、そうか、SPでの順位が上位じゃなかったから、けっこう早い時間になってしまったんだな。


浅田選手を信じていたから、テレビの前に座っていたのではなく、すごい演技を期待していたのでもなく。
ただ、浅田真央というスケーターの「最後のオリンピック」を、せっかくだから、見届けてみようかな、そんな感じでした。


浅田選手の演技がはじまって、あれ、昨日とは全然違う、と思ったんですよね。
ジャンプも、失敗しそうな感じがしなかった。
6種類のトリプルジャンプをすべてきめた、素晴らしい演技を見終えたあと、僕も目頭が熱くなってきました。
ああ、すごいものを観た。
人間って、すごいな。


僕は昨日の段階で、「もうダメ」だと思ったんですよ。
「メダル至上主義者」じゃないつもりなのだけれども、この状況で、モチベーションを保って、まともに演技をすること自体が難しいのではないか、と。
あれだけ期待され、注目されて、「本番」で、わけがわからなくなるような緊張で、信じられないようなミスを連発して……
いっそのこと、フリーには出ないほうが良いのでは……などとも、考えていたのです。


浅田真央選手の、フリーの演技を観終えて、僕は自分が恥ずかしくなりました。
僕は「わかったようなこと」を言っているだけで、何もわかっていなかった。
浅田選手は、諦めてはいなかった。
もしかしたら、もうメダルには届かないであろう順位や、真ん中くらいの滑走順という、プレッシャーが少なくなる要素が、あの凄い演技を生んだのではないか、とも思うのです。
でも、目標を見失うことによる、モチベーションの低下のほうが、ふつうは大きいはずです。



そして、浅田選手のインタビューを聞いて、あらためて考えさせられました

参考リンク:真央、一問一答「4年間の恩返しできた」(日刊スポーツ)

一問一答のなかに、こんなやりとりが出てきます。

-今日は、どのように気持ちを落ち着かせて、立て直していったか


 浅田 いろいろあったけど、1つずつ今までもクリアしていったので、今回のこの試合もジャンプ1つ1つを、クリアにしていきました。

 僕のような外野の人間は、失敗の要因として、「メンタル面」とか「オリンピック独特のプレッシャー」なんていう、漠然としたものを挙げて、わかったような気分になってしまうけれど、浅田選手が「フリーの前にやったこと」は、神頼みでも気分転換でもなく「ジャンプの1つ1つを再確認し、そこにある技術的な問題を改善していくこと」だったのです。
 ある意味、「それしかできなかった」のかもしれないけれど、このインタビューを聞いて、「逆境に置かれたときに、その人の本当の実力が問われるのだな」と、あらためて思い知らされました。
 とにかく、できることを、一つ一つ、確実にやる。
 それが、あの演技に繋がったのでしょう。


『逆風に立つ 松井秀喜の美しい生き方』という本のなかで、松井秀喜選手が、ヤンキースで同僚だったデレク・ジーター選手をこんなふうに評しています。

 松井選手は、2005年のシーズンを述懐する中でジータのことをさらにこう話している。


 シーズン終盤からプレーオフにかけて、ジータの活躍には目を見張るものがあった。特にチームが戦意を喪失しそうになる場面でよく打った。


「彼への信頼が、さらに強くなりました。ジータというプレイヤーがよくわかってきました。チームを引っ張るところは勿論ですが、踏ん張れる男なんですよ。死に体に見えても、最後まで踏ん張る男なんです。ミスター・ヤンキースですね」


 さらに松井選手は親友をほめちぎった。


「打とうが打つまいが、彼の振る舞いは何ひとつ変わらないんです。自分より常にチームが優先しているんです。自分の影響力の大きさもちゃんとわかってるんです」


 松井選手は素晴らしい友を得たものである。


 フィギュアスケートは野球と違って、個人競技ではあるのですが、昨日の浅田真央選手の演技は、このジーター選手の姿と重なっていました。
「死に体に見えても、最後まで踏ん張る」
「自分の影響力の大きさもちゃんとわかってる」
 4年に一度しかオリンピックがないフィギュアスケートの選手の場合は、野球選手よりもはるかに「切り替え」は難しいかもしれません。
 にもかかわらず、浅田真央選手は、それを見事にやりとげました。


 「感動をありがとう」も「最後に自分の演技ができてよかった」も、僕のなかでは、ちょっと違うような気がしているのです。
 僕には、浅田選手を「評価」する資格はない。
 ただ、うまく言葉にはできないのだけれど、「なんだかとてつもなくすごいものを見た」。


 だから私たちは、フィギュアスケートを見るんだ。

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