いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「サテライト講座」が変えたものと、変えられなかったもの

参考リンク(1):講義がネット配信されても、たぶんそんなに教育のあり方は変わらない - 脱社畜ブログ


なるほどねえ……と感心しながら読みました。

僕が大学を受験するくらいの時期、いまから二十数年前くらいに、大手予備校で「サテライト講座」っていうのがはじまったんですよね。
衛星回線を使って、予備校の有名講師たちが、全国の生徒たちに一流の講義をリアルタイムで行う、というものです(……って、解説しなくても、いまの学生たちのほうが詳しいですよね)。
九州在住で、「参考書を書いているような、東京の人気講師」の講義に憧れていた僕は、それを実際に受けてみて、「やっぱりすごいな」と感心するのと同時に、「でも、なんだかちょっと違うような気がする」とも思ったんですよね。
そのとき、「たぶん、あと10年もすれば、予備校の講義はこういうシステムばかりになって、講師の大部分は淘汰されてしまうんだろうな」と考えていたのですが、実際は、それほど急激には変化していないようです。
「対面での講義」は、まだ、絶滅していません。



参考リンク(2):【参考リンク】ウェブで学ぶ ――オープンエデュケーションと知の革命(琥珀色の戯言)

この「参考リンク(2)」を読んでいただければ、現在の「ウェブを使った教育」の概略はわかると思います。
このなかで、梅田望夫さんと飯吉透さんは、「ウェブを使ったオープンエデュケーション」の問題点を指摘されているのです。

梅田:素晴らしい可能性を秘めた試みだと思うし、一部のやる気のある学生にとっては最高の環境かもしれませんが、より全体ということを考えると、やはりオープンエデュケーションにも、何らかの形での「強制のシステム」がうまくデザインされることが必要になるのではないでしょうか。独学のいいところは「強制のシステム」がないことですが、同時にそれがいちばん弱いところだとも思うのですよ。人間は弱いですから。


飯吉:まさに梅田さんのおっしゃる通りだと思います。これはオープンエデュケーションを考える上で、ものすごく面白いところです。


 では、その「強制のシステム」としての学校が、実際に機能しているかというと、たとえばアメリカの場合、高校生の3割くらいはドロップアウトして卒業できないことが、大きな社会問題になっています。つまり、学校の「強制力」が効かなくなってきている。


『脱社畜ブログ」さんに書かれていてる「ゲーミフィケーションなどを利用して、学習することが、もっと楽しくなるように試みるべきではないか」というのは、たしかにそうなのだろうなあ、と。


「教育は、対面で、みんなで集まって行われるのが『正しい』のかどうか?」というのは、なかなか難しい問題です。
独学だったら、自分のペースで勉強できるし、どうしても集団に馴染むのが難しい人もいる。
その一方で、他人と一緒のほうが、「学習への強制力」ははたらくし、人間関係を学ぶ機会にもなります。
たぶん、「環境を整えられる条件下」であれば、「みんなで集まって、対面で教育をする」ほうが、メリットが大きいというのが、現在の一般的な認識なのでしょう。


あと、もうひとつ言えるのは「教える側」の問題なんですよね。
教える側にとっても、目の前に生徒がいたほうが、やりやすいというか、講義の内容をより改善していけるのではないかと。
東進ハイスクール』の林修先生が、著書『いつやるか? 今でしょ! 』のなかで、こんな話をされています。

特に年を取ってくると、自分にとって絶対自信のある説明や、説教をいくつも人は携えるようになります。ところが言われる相手はどんどん変わるものですから、同じ言葉を発しているのに、以前のような効果が得られない――そんなとき「今どきの若いモンは」など言いがちなのですが、そういうときこそよく考えてほしいのです。自分は本当に「伝わる」言葉を使っているのか、と。


 これは世の変化のなかで、少し時代からこぼれかかっている自分を見直すいい機会でもあります。


 僕の業界でもかつて一世を風靡したような、いわゆる「大物」講師がしだいに生徒を集めることができなくなって、ついには消えていった例を何人も見てきました。そのうちのいくつかの授業を見たことがありますが、自分の「伝える」言葉を過信しすぎているな、と思ったことが何度もあります。かつて成功したがゆえに、その見直しを怠ってしまったのでしょう。


 対面で講義をすることや、話をすることは、講師の側にとっても大変重要なことなんですよね。
 教える相手は、時代によって変化していくのだから、教え方も、変えていかなければならない。
 でも、「成功」している人は、ついつい、自分の型に溺れてしまう。
 没落した「大物講師」も、生徒たちの反応をもっとよく観察していれば、もう少し延命できたのかもしれません。
 なんのかんの言っても、人は「リアクション」で成長する。
 そして、対面で得られるリアクションを含む「情報」というのは、ものすごく多いのです。
 僕みたいな「対人嫌い」にとっては、つらい話ではありますが。


 映画もいいけど、たまには舞台の緊張感もいいものですよ、とか、そういう話に持っていこうと思っていたのですが、長くなってきたので、今回はこのくらいにしておきます。



ウェブで学ぶ ――オープンエデュケーションと知の革命 (ちくま新書)

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いつやるか? 今でしょ!

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