いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「ブログの死に方」が、問われる時代

iPhoneの『MEGU』という「たまごっち」のスマホ版みたいなアプリが、10月2日付けで、「2013年11月28日でサービス終了」になることを、ログインしてはじめて知った。
このアプリ、率直なところ、何が面白いのかよくわからないんだけれども「お世話しないと死ぬ」という強迫観念から、一日一度ログインして、掃除、お風呂、食事などを行っていたので、ある意味「解放」されるのも事実だ。
やっぱり『GREE』は経営が厳しいんだなあ、とか、このアプリ、課金しなくても遊べてしまうから、きっと儲からなかったんだろうなあ、とかあれこれ考えたんですけどね。
しかし、デジタルペットとはいえ、時間が来ると消えてしまうというのは寂しい。
ああ、なんだか『ハクション大魔王』の最終回みたいだ……(あれは泣ける、子ども時代に脱水になるくらい泣いた)


うーむ、オンラインゲームというのは、遅かれ早かれ、こういう「終わり」が来るのが約束されてはいるんだよね。
ドラゴンクエスト』のようなコンシューマ機のスタンドアローンのゲームであれば、世界で持っているのが自分だけでも、いつでも起動できる。
現実的には、電池が切れてセーブできなくなったり、ハードやカセットがぶっ壊れたりする可能性が高いので、難しいのかもしれないけれども。


テレビゲームができて、インターネットが普及して、オンラインゲームやソーシャルゲームで多くの人が遊ぶようになって……
それはゲームの進化の一部なのだと思っていたけれど、そういう「いつ消えるかわからない遊び場」みたいなものへの不安も感じずにはいられなくなっている。
たぶん、そういうゲームたちの市場は、もうすでに飽和していて、これからは淘汰と縮小の時代になっていくはずだ。
『パズドラ』だって、あと何年(何ヶ月?)続くのかは、わからない(僕はやってないんだけど)。
ソーシャルゲームでも、オンラインゲームでも、長い間運営されていくと、ベテランの強さも、カードのランクも、どんどんインフレーションが進んでいくばかりだし。



ちょっと話は変わるんだけれども、僕は最近自分のブログに行き詰まりを感じていて、それは、来てくれる人の数の減少にも反映されている。
飽きられているのかな、とは思うし、何年も同じようにやっていれば、仕方がないことだとも思う。
とはいえ、そういう現実を突きつけられるのは、やっぱり寂しくもあるし、どうにか景気回復できないかな、なんて考えることもあるのだ。
「日本はこれから人口も減るのだし、『大国的ではない生き方』を模索しなくては!」なんて言いながら、自分のこととなると、こんなものなのだよねえ。
「このまま衰退していくこと」「こじんまりとやっていくこと」を運営するのは、「右肩上がりの時代」を経験してきた人間には、けっこうつらいものなのだな、と実感しています。



スパッと消えてしまえるくらいの思い切りのよさがあれば、とも考えるのだが、長年やっていると、それもまた勿体ないと踏ん切りがつかない。
これからは、ネット上でのいろんなサービスの「終わり方」を僕たちは目の当たりにしていくことになるのだろうし、「どう終わるか」って、けっこう大事になってくるのではなかろうか。
「ブログの死に方」が、問われる時代。


まあ、書いている人間の寿命が突然尽きてしまうこともあるわけで、考えても仕方が無いことなのかもしれないけれども。

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