いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「なるべく透明な人間」としてブログを続けるのは、けっこうキツイのです。

参考リンク:ネットでは「誰が言ったか」よりも「何を言ったか」/匿名主義の信条 - デマこいてんじゃねえ!


ああ、こういうことを僕も昔は考えていたな、と思いながら読みました。
いや、今でもなるべく「発言者についての先入観は抱かずに読もう」と思っているのだけれども、実際はなかなかうまくいかない。
それは言えてる!と思うようなことでも、「アイツが言っているんじゃなあ」というバイアスがかかってしまいがちなのです。


インターネットでは、人と人とが、もっとフラットな関係を築けるのではないか?
そういう理想を、僕も持っていたんですよね。
でも、この世界で個人サイトとかブログを続けて十数年も経つと、「名無しさん」からのコメントは無視する習慣がついてしまいました。
良い事言っている人もいるんだけど、名無しさんの中から、そういう「傾聴すべき意見」を拾うのは、けっこうめんどくさいし。


「じゃあ、『はてな匿名ダイアリー』とか『2ちゃんねる』に書け」って言う人の気持ちもわかるんですよ。
純粋に「その意見だけ」で勝負しようとすれば、たしかに、そうするしかない。
もっとつきつめれば、「道端で紙に書いて配れ」みたいな話になってしまいます。
だってさ、『匿名ダイアリー』や『2ちゃんねる』だって、「場の力」みたいなのはあるんだよね。
大部分の人にとっては、自分のブログに書くよりも、『はてな匿名ダイアリー』のほうが、反応を得られやすいと思う。
だって、『匿名ダイアリー』のほうが、アクセスが多いから。


そもそも、ネット上での誰かの意見の影響力というのは「それが書かれた場の力×意見の内容」なんですよね。
ナイツの塙さんが『怒り新党』の関係者による花見の様子をブログに書いたら、アクセスが22万あって「有名人ランキングで88位に入った」というのを聞きました。
僕のような零細個人ブログ管理人は、1ヵ月頑張っても22万なんて無理。
それが、有名人だと、花見の様子の写真と、ちょっと文章を添えれば、これだけの人が見に来てくれるのです。

それでも、22万でも「有名人ランキング」では「88位」ですからね……
22万の上に、87人もいるのか……


ブログを書いている人間の実感としては、ブログを長く続けることのメリットは、「場の力」を得ることができることだと思うのです。
実は、同じようなことを僕も考えて、「ゼロからでも、自分が書いたものを読んでもらえるだろうか?」と、別のHN(ハンドルネーム)でブログをやってみたことが何度かあります。

ところがもう、見事に討ち死にです。
同じ人間が、同じようなことを(まあ、同じようなことだからダメだ、という向きもあるでしょうけど)書いても、ふだんのブログに書くのと、別HNで新しいブログに書くのとでは、全然読んでくれる人の数が違います。
というか、別名ブログだと、自分も入れて6HOTとかですからね本当に。
そういえば、僕が個人サイトをはじめたときには、全く反応を得られず、やむなく「自分の専門的なことを書く」ことにシフトしていきました。
「ある女性の打ち明け話」というタイトルを「ある看護師さんの打ち明け話」にすると、3倍くらい人が来るんですよ本当に!
中身がなければ、読んだ人は怒るでしょうが、タイトルに「好奇心を刺激するような言葉」が入っていないと、読んでもらうことすら難しい。
それでも、長くやっていれば、どこかでブレイクすることもあるのかもしれませんが、「あっちにこれを書けば、もっと読んでもらえたはずなのに……」とか思うと、やはり、もったいない感じがして、長続きしませんでした。


それこそ、「冷蔵庫IN」みたいな「自爆炎上ネタ」でもないかぎり、新規参入で、多くの人の目に留まるって、本当に難しいんですよ。
10年前の個人サイトの時代は、ひとつ面白いのを書けば、「お気に入り」に入れてもらえたり、アンテナに入れてもらえたりしていたのですが、今やブログはエントリ単位で切り売りされる時代。
多くの人に読まれるエントリを書いたとしても、そのブログそのものの底上げには、あまりつながらないのです。


いろんな意味で、ブログを書いている人の「力」みたいなものって、「そこに書けば、ある一定数以上の人が確実に読んでくれるという場を持っていること」だと思うんですよ。
ブックマーカーにも言えることですが。


どんなつまらないこととか、近況報告でも、そこに書いてあるというだけで、多くの人が読んでくれる。
あるいは、1週間くらい更新しなくても、そんなに来てくれる人の数が減らない。
それはもう、ある種の「甘え」とか「馴れ合い」なのかもしれないけれども、1000人を2000人にするより、10人を20人にするほうが難しい面もあるわけで。
あるいは、いわゆる「キュレーター」たちとの繋がりの有無とか。


id:Rootportさんが言いたかったのは、「自分のプロフィールを売りにして、アクセスを集めようとするのではなく、なるべく色のついていないid:RootportというHNだけの存在として、先入観を持たずに書いてあることを読んでほしい」ということだと思うのです。
ところが、このエントリへのブックマークコメントを読んでいると、そのidそのものが、すでに「ブランド」になっているじゃないか!と感じている人も少なくない。


まあ、書いているものをずっと読んでいると、情報が少なくとも、それなりに「どんな人か」というプロファイリングをしてしまいますしね、読んでいる側としては。
逆に言えば、「なぜこのタイミングで、こんなことを書いているのか」というのは、個人情報が含まれていなくても、「その人がどんな人で、どういう立ち位置で、何を考えているのか」と想像するための大きなヒントになるわけです。


僕自身は、理想は理想として、やっぱり土俵にのぼれないと、勝負にならないよなあ、と最近は考えています。
どんなに内容が良くても、誰にも読んでもらえなければ「世界への意見」としては無いのと同じです。
やはり、「書いたものは、読んでほしい」という欲もありますし。


ネットができる前のことを考えると、今って、「無名の人の言葉」が、より多くの人に伝わりやすくなっていることも事実だと思うのです。
20年前は「一般人の世界への意見」って、それこそ、新聞の投書欄くらいにしか居場所が無かったのだから。


個人的には「その理想を貫いてほしい」と思っていますし、「プロブロガーにならない、お金を稼ぐことを最優先にしない、リアル社会で有名になることを望まないブログ書き」が、これからのネットを良くしていくのではないか、と期待しています。

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