いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「固定電話化」してしまった2020年の個人ブログたち


やや遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくおねがいいたします。
2020年は、「書きたいときに書きたいことを書く」(書きたくない、書けないときには書かない)でいきたいと思います。


このブログでは、毎年、新年最初のエントリは、「現在のブログ情勢と今年の展望」みたいなことを書いているのです。

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というか、1年の書き始めの日が、少しずつ遅くなっているのを今、認識してしまった……


率直なところ、2019年の『いつか電池がきれるまで』というブログは、かなり迷走していたというか、モチベーションが上がらないまま、以前書いたのと同じようなことを繰り返していた、と感じています。
内容の問題なのか、ブログを読むという行為がみんなのネット活動のなかで比重が下がったのかはわからないのですが、読まれる数も『いきなりステーキ』の既存店の売り上げと同じくらい前年比で減ってしまいましたし(このブログの場合は、自社競合が理由ではないのですが)、何を書いても面白くない、という気持ちもあったのです。
まさに「電池きれかけ」でした。
おそらく、「電池きれたんでやめます」と言うと、大喜びしてくれる人も大勢いるとは思うのですが、さてどうしたものか。


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このエントリで、最近は「検索」も、Google経由ではなくて、インスタグラムやTwitterの#(ハッシュタグ)からになりつつある、というのを紹介したのですが、Googleでの検索でさえ「ひと手間」になってしまった、SNS内で多くのことが完結しつつある時代では、「ブログ」というのは、あまりにも僻地になってしまった、というのが最近の実感なのです。
さらに、まだ頑張っている(?)個人ブログには、お金儲けと仲間内でだけ盛り上がっているものが多くて、訪問する側にとっては、既存の有名人ブログ以外は、敷居がどんどん上がり続けているのではないか、と思うのです。
Google Adsenseに合格する方法とかで盛り上がっていても、「ブログで稼ぎたい人」以外の新規読者開拓に役立つとは思えませんし。


いや、もはや「そういうところ」にしか「ブログの世界での確実な需要」は無いのかもしれませんけどね。
fujipon.hatenablog.com


個人ブログをいちいち覗きに行くのはめんどくさい。
そういう感覚は、すでに多くの人が持っているのではないか、という気がします。
話題になっているものは、Twitterや、はてなブックマークで目についたら読めばいい。
いや、今の個人ブログに蔓延する「たぶん必要ないものをやたらと売りつけようとするブログ」と「いかがでしたかブログ」に引っかかるリスクを考えたら、「ブログ」とかいうものには関わらないほうがいい、という人が、増えてきているのではなかろうか。


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僕はこれを「ブログの固定電話化」と定義しています。


一昔前は、固定電話って、それなりに信頼があったじゃないですか。「ちゃんとした家」には固定電話が据え付けられている、と多くの人が思っていた。
ところが、携帯電話の普及(+ネット接続環境の変化や、スマートフォンの主軸化)によって、固定電話にかかってくるのは、マンション販売の勧誘などの宣伝とか迷惑電話、あるいは、あまり話したくない人からの、聞きたくない内容ばかりになりました。
何年か前にセキュリティ会社の人に聞いたのですが、今は、知らない番号からの、あるいは番号非通知の電話に最初から出る人は、ほとんどいないそうです。知らない番号は無視するか、留守番電話が入っていれば、その内容を確認して折り返すのが、普通なのだとか。
僕自身も、固定電話が鳴ると、悪い予感しかしませんし。
ほとんどの人は、親密な相手とは携帯電話でやりとりをしていて、固定電話を疎んじているのではないでしょうか。
いちおう置いてはいるけれど、鳴るのは迷惑電話かあまり良くない緊急事態くらいだから、関わりたくない存在になっている。

いまの「ブログ」って、すでに確立された大手ブランド以外は、もう、求められてもいないし、「面白いブログを探そう」なんて好事家は絶滅危惧種になってしまったかのように思われます。

書いている本人にとっての、ライフログ、あるいは長すぎる遺書のような機能は残されているとしても、読む側にとっては、わざわざスマートフォンで検索をしたり、ブラウザを立ち上げたりしてまで、訪問するメリットが極めて乏しい。
何かを売りつけられたりデマや過激な主張を読まされたりする地雷原のような場所に、あえて足を踏み入れようとはしない。
そんなにみんなヒマじゃないですしね。

僕も以前は「まとまった意見表明をするには、Twitterの140字は短すぎるし、SNSに書かれたものは『ストック』ではなく『フロー』だから、すぐに流れていって失われてしまう」と考えていました。
しかしながら、Twitterをうまく使っている人をみると、「140字あれば、その人の個性を伝えることはできる」し、もしまとまったことが書きたければ、140字を連投すれば良いだけなんですよね。もちろん、短いだけ誤解を招いたり、文脈が共有されないリスクは高いのですが、それでも、大部分の読む側の人たちは、わざわざブログを定期的に読みに行くめんどくささを考えると、Twitterで伝わってくる内容で十分だと判断しているのです。
たぶん、この流れは、もう止められない。
人々が、今さら固定電話に回帰しないのと同じです。


ブログというものが消える、というよりは、Twitterやインスタグラムが、ブログの要素を取り入れていって、「短いブログ(写真付き)」として利用され、長文を書きたい人、読みたい人だけが既存のブログに残る、ということになっていくのではないかと思います。
僕もこれまで「互助会」をさんざん槍玉にあげてきましたが、これからどんどん限界集落化していく長文ブログの世界では、「長文ブログ全体が互助会化していく」のかもしれません。互助会でもないと、そんな長文誰も読まないよ、みたいな感じ。

2020年は、既存の長文系個人ブログにとっては、さらに厳しい年になりそうです。
それはもう、時代の流れだとしか言いようがない。

ただ、みんなが「短文でわかりやすい主張」をSNSで繰り広げていけばいくほど、「ニュアンスやグレーゾーンを掬い取れる既存の長文ブログ」が、一定の役割を果たし、好事家からは地道に支持されるという可能性もありそうです。あくまでも「地道に」ですが。
そう簡単には表に引きずり出されない、炎上しにくい「山奥」だからこそ保たれる文化、というのもありそうですし。


このブログもいつまで続けられるかわかりませんが、僕はSNSで気の利いたことを書くのが下手くそだし好きじゃないので、たぶん、ここでもうしばらくやっています。


fujipon.hatenadiary.com
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