いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

他人事ではない「うつ」に備えるための7冊の本


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 名倉さんは僕とほぼ同世代ということもあり、このニュースは気になりました。
 渡辺満里奈と結婚できても、人は「うつ」になるんだなあ、とか、やや不謹慎なことを考えたりもして。
 40代から50代くらいになると、これまでの自分の人生でやってきたこと、やるはずだったこと、これからやらなければならないこと、たぶん、もうできないであろうことなど、いろんなことが入り混じり、自分の「天井」みたいなものも見えてきますよね。
 そこから、どんなふうに坂を下りていくのか。
 もちろん、仕事によっては、そのくらいの年齢はまだまだ青二才ということもあるでしょうけど。

 名倉さんは、頚椎の治療後の体調の変化がストレスになって、とのことなのですが、「うつ」という病気の性質を考えると、2ヶ月の休養はちょっと短いのではないかと思いますし、期間を区切らずに治療に専念したほうが良いのではないかと僕は考えています。
 でも、このぐらいの年齢だと、休みたくないっていうのもわかるんだけどさ。休むと自分の席がなくなるんじゃないか、っていう怖さもあるだろうし。
 

 「うつ」になる可能性は誰にでもあるし、その原因・状況も千差万別です。というか、とくに理由がなくても、なることもあります。
 これまで、いろんな人が自分の「うつ」との闘病について書いたものを読んできたのですが、大事なのは本人よりも周囲の人に恵まれるかどうかなのかな、とも思うんですよ。自分ではどうしようもなくなる病気ではあるから。
 というわけで、自分にその兆候があらわれたときのために、あるいは、身近な人がこの病気にかかってしまったときのために、参考になりそうな本をご紹介します。



(1)サブカル・スーパースター鬱伝
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 この本の大きなテーマとして、「なぜ、非体育会系のサブカル男は40歳くらいで鬱になるのか?」というのがあるのですが、まず共通しているのが「体力の低下」。
 体育会系のような「基礎体力」が無いので、体力の低下をかなり急激に実感することになり、それがいろんな「抵抗力」を落としていく。
 そして、これは「サブカル男子」にかぎったことではないのですが、40代というのは、たしかに「外的な変化」が大きい時期ではあります。

 町山智浩さんのこんな言葉を香山リカさんが紹介しています。
 町山智浩:「サブカルの人たちが40歳ぐらいでおかしくなるのは簡単だよ。もともとモテなくて早めに結婚して生活を支えてくれた女性がいたのに、モテだしたらほかの女に手を出して家庭が壊れるの。みんなそうだよ!」

 正直言って、読むとなにか役に立つという本ではありません。
 僕にとっては、あまりに年齢的にリアルすぎて、「じゃあ、どうすればいいんだよ……」と、かえって、ぐったりするようなところもありました。
 年を取らないわけにはいかないのだから。
「運動しなくちゃなあ!」とは切実に思いましたけど。



(2)仕事休んでうつ地獄に行ってきた
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 周囲の人たちは、状態が悪化してきた丸岡さんが、「もう限界なので、休ませてください」と休養を訴えたとき、すごく驚いていたそうです。
 それまでの放送も、とくに問題なくやれていたのに、と。
 「うつ」って、外からはわからないこともある。
 こういう場合には、結局のところ、「予防」って難しいのではないか、という気もするのです。
「無理しないで」とは言うけれど、どのくらいが限界なのかは、壁にぶつかってみないと、本人にだってわからないのだろうから……



(3)うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち
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 この本の長所って、「とにかくいろんな人が、自分なりの言葉で『うつとの付き合い』を語っていること」なのです。
 正直「えっ?」と思うような体験談もありますし、「うつじゃなくて「双極性障害」だった、なんていうエピソードも出てきます。
 ひとことで「うつ」と言っても、その症状や治療法には、けっこう幅があるのです。
 どれかが「唯一の正解」というわけではない。
 仕事が病勢を悪化させることは少なくないけれど、仕事が支えになることもある。
「うつの入り口」あたりを彷徨っている人にとっては、「いろんな人の、いろんな体験」に接するというのは、「自分が特別なわけじゃない」ということを知ることができるだけでも、貴重な体験だと思います。
 著者が取材したことを、著者の目線で「そのまま」描いてあるものは、意外と少ないのです。なかには「えっ?」と疑問になるような話もあるのですが、そういったものも、多くの体験談のなかのひとつとして「意味」があるのです。



(4)うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間
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 羽生世代、ということは、僕ともほぼ同世代なわけですが、先崎さんはギャンブル好きとして知られ、エッセイストとしても評価が高く、羽海野チカさんの『3月のライオン』の将棋監修もされている、という多才かつエネルギッシュな人なんですよね。
 「こんな人でも、うつ病に?」というような人が、けっこうなってしまうのが、うつ病なのだな、というのは、僕も周囲の人たちをみていて実感しているところではあります。
先崎さんの闘病を読んでいると、うつ病の治療をうまく進めていくためには、それまでの人間関係の豊かさが大事なのではないか、と思ったのです。
 先崎さんは、ご家族や(お兄さんが優秀な精神科医だった、というのは本当に大きかったと思います)、これまで可愛がってきた後輩棋士たちや同世代の棋士のサポートや見守りがあったからこそ、生きていられたし、将棋の世界に復帰するための練習もできたのです。
 それは、先崎さんが、これまでの人生で、多くの人に与えてきたものがあるから、信頼関係を築いてきたから、なんですよね。
 そういう繋がりの有無が、生き残ることができるかどうかの分水嶺なのかもしれません。
 僕は、もし自分がうつ病になったら、こんなにサポートしてもらえるだろうか、あるいは、身内が発病したら、支えてあげられるだろうか、と考えてしまいました。


(5)むしろウツなので結婚かと
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むしろウツなので結婚かと 解説付き

むしろウツなので結婚かと 解説付き


 患者はもちろん大変なのだけれど、サポートする側は、患者と本人の板挟みになって、つらい思いをすることが多いのです。
 基本的に、「完治する」病気じゃなくて、再発、再燃のリスクもついてまわるし(そのあたりのことも、この本にはちゃんと書いてあります)。

 「ウツ」というのは、誰が罹患するかわからない病気だからこそ、その病気に自分がなったら、というだけではなくて、自分が患者をサポートする側になる可能性も高いんですよね。
 その「サポートのしかた」については、十分なコンセンサスが得られているわけではないのです。



(6)酒井若菜と8人の男たち
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酒井若菜と8人の男たち

酒井若菜と8人の男たち


 岡村隆史さんが酒井若菜さんと自らの闘病について、これまで明かされなかった2人の関係(といっても、そんなスキャンダラスなものではないです)を交じえながら語っている章はとても印象に残りました。

岡村:40歳であれをやったから、ちょっと人間らしくなったかなと思うもんね。


酒井:うん。思う。


岡村:父ちゃんとか母ちゃんとか、みんなそう言うし、「あれで変わったで、あんたは」言うて。

 この岡村さんの言葉を読んで、僕はもう涙が止まらなくなってしまって。
 もちろん、これで「終わり」ではないことは、みんなわかっている。
 でも、岡村さんも、酒井さんも、とりあえず「いま」を生きている。



(7)再婚生活
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 作家・山本文緒さんの闘病と再婚生活、再生の時期を書いた日記。
 実際のところは、病気の苦しみとかキツさなんていうのは、その人にしか理解できないんですよね。そして、誰がこうして内面で闘っているかなんて、外からみただけではほとんどわからないのです。僕の周囲にも、薬を飲みながら仕事を続けている人はたくさんいます。
 悩んでいたときに同僚や先輩・後輩に尋ねてみたら、驚くほどの数の人が、「薬を飲んでいる、飲んだことがある」という事実に驚かされました。一部の「自殺・自傷サイト」の管理人みたいな劇場型の人が「鬱」の典型像なのではなくて、実際は、そういう精神状態や疾患というのは、もっともっと僕たちの身近なところに、ひっそりと息をひそめて佇んでいるのです。そして、大勢の人たちが、他人に気づかれないように「闘病生活」をおくっているのです。
 世の中には、「鬱になるべき人」がいるわけじゃなく、「鬱になるきっかけ」だけが宙に浮かぶように存在していて、それが誰かにとりついたとき、その人の状況に応じて「発症」しているだけなのではないかと僕は思います。



 このエントリを書く際に、これまで自分が読んできた本をチェックしてみたのですが、自らの「うつ体験」を有名人が病名をあげて語るようになったのは、この10年くらいのことみたいです。
 「うつ」に関しては、僕の記憶のかぎりでは、けっこう長い間「心が弱い人や何らかの外的な要因でなってしまう病気」だという世間の偏見が強かったのです。
 最近は、ようやく「心の風邪」どころじゃないことが周知されてきましたが、その一方で、「『新型うつ病』とその概念への批判」なんていうのも出てきて、精神科医ではない僕にとっては、なにがなんだか、という感じでもあります。
 こうして、いろんな人の「体験談」を読んでみて思うのは、これまで常識だと考えられてきた「励ましてはいけない」というのも人や病状、状況によってはあてはまらないこともあるし、大きなきっかけがあって発症する人もいれば、そうではない人もいる、ということなのです。
 そして、回復している人たちに共通しているのが、闘病中に、精神的にも身の回りの整理についても、支えてくれる人がいた、ということなのです。
 この病気の人は、基本的に「ものごとを系統立てて考えたり、記録したりする」ことが苦手になりやすいし、うまくいかなかった人からは、闘病について記録する機会が失われてしまう。
 たぶん、記録されることがなかった闘病が(あるいは、「うつ」が自分の汚点であったように隠そうとする気持ちが)たくさんあるのでしょう。

 正直、自分が「うつ」になってしまったら、先崎学さんのように客観的に自分をみることは至難だし、他者の体験談を消化する余裕もないと思うのです。
 だからこそ、いま、「自分には関係ないかもしれないな」と思えるときに、少しでもこの病気を知っておくのが大事なのです。
 自分自身や周囲の人の、小さな「サイン」を見逃さないために。


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