いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

見城徹さんのこと、幻冬舎のこと、そして、作家と編集者と読者のこと


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 この話の続き、みたいな感じのことを、とりとめもなく書いてみます。
 僕自身も、書きながら整理してみたい、そんな感じで。


note.mu

 
 佐久間裕美子さんのこのエントリが話題になっていて、多くの人が、佐久間さんの勇気と決断を支持しています。
 僕は佐久間さんの著書を、この『ヒップな生活革命』くらいしか読んだことがなくて、「率直に言うと、『なんか、鼻持ちならないサブカルクソ野郎』を目のあたりにしているような、居心地の悪さを感じてしまう」なんて感想に書いていたので、なんだか恥ずかしくなってしまいました。

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 とはいえ、佐久間さんが、見城徹さんを責めるだけではなくて、若かりしころからの幻冬舎の作品や見城さんが手がけてきた本への愛着や恩義を語っておられることに、僕はすごく共感しましたし、なんでこんなになっちゃったのかなあ、なんて思っているのも事実です。
 
 見城さんは、林真理子さんとの対談本『過剰な二人』のなかで、「コンプレックス」について、こんな話をされています。

 僕は自分に強いコンプレックスを持っているため、作家と話していると、その人のコンプレックスをすぐに嗅ぎ当てられる。僕はコンプレックスのデパートなのだ。これは一種の特技と言っていい。僕は作家に、そこを掘り下げて書くように進言する。コンプレックスのある所にこそ、文学的な黄金の鉱脈があるからだ。

 見城さんは、若い頃、勉強もスポーツもできず、容姿に自信もなく、ただ、本を読むことだけが「救い」だったそうです。
 ところが、その「コンプレックスとのつき合い」が、編集者として、すごく役に立っているのです。

 売れるコンテンツには4つのポイントがある。オリジナリティ、明快、極端、そして癒着である。僕はこれを、「ベストセラー黄金の4法則」と呼んでいる。

 僕はこの見城さんの言葉を読んで、「ああ、本当にその通りだなあ」と感心してしまいました。
 幻冬舎のベストセラーは、この法則に則っている。
 そして、ブログでのヒットコンテンツにも言えることだよなあ、と。

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 この本のなかには、こんな言葉が出てきます。

 作家をパートナーとする編集者が本を作ろうとすれば、自分が魅力的な人間であることによってしか仕事は進行しない。つまり、どれほど相手に突き刺さる刺激的な言葉を放ち、相手の奥底から本当に面白いものを引き出すか。ただそれだけなのである。
 これは、テクニックでなんとかなるものではない。問われているのは、今までの自分の生き方そのものだ。生きてきた人生のなかで培った言葉が、相手の胸を打つかどうかだ。僕の場合はたまたま廣済堂出版の新入社員だったころから、無意識にできていたが、それはまぎれもなく、学生時代からの膨大な読書体験と、「革命闘争からの逃避」という挫折体験がもたらしたものだ。


 うーむ。
 見城徹という人は、あえてスキャンダラスなほう、大衆の下世話な興味のほうに向き合って、作家のコンプレックスを刺激して「書かせてきた」編集者だったんですよね。
 それを嫌っている人、合わないと感じた人は多いけれど、「見城徹にハマって書かされた作家」も多かったのです。
 しかし、「革命闘争からの逃避」という挫折体験を持っている人が、自分が出版社をつくり、言論人として認知されてからは、どんどん「体制側」の人になっていったのには、どうしてなのかな……という疑問を持つことを禁じ得ないのです。
 コンプレックスが強かったからこそ、権力を持つこと、権力に近づくことの心地よさに、抗えなかったのだろうか……
 単に、もともと「権力志向」だったのか……これが「老い」というものなのか……

 
 今回の件に関しては、幻冬舎は「出版社としての矜持」を捨てた対応だった、と僕も思います。
 その一方で、いまの世の中でも、日本の「組織」「いち企業」としては、ありがちな対応だったのではないか、とも感じているのです。
 自分が働いている会社の不正を告発する取引先が現われた。その取引先は、SNSを通じて、その会社の大ヒット商品の問題点を延々と訴え続け、世間では、その会社への批判が強まってきた。ただし、その不正というのは、健康被害などの、明らかに形としてあらわれるものではないし、警察に摘発されるようなものでもない。
 そこで、その取引先に対して、「うちの会社を傷つけるようなことはやめてほしい」と会社の上層部からお達しがある。しかし、その取引先は「自分は正しいことをやっているのだから」と問題点を訴え続けている。

 津原泰水さんは幻冬舎の「社員」ではなく、独立した「作家」という存在であり、多くの読者も抱えています。
 だからこそ、このパワハラに対して、ある程度闘えたのも事実で、企業の一社員であれば、スラップ訴訟とか起こされたら、どうしようもないわけです。
 出版界でも、「あの人気作家と仲が悪いから」という理由で、切られたり、干されたりした作家はいるのではなかろうか。
 津原さんの場合は、幻冬舎の対応があまりにも稚拙だったからで、出版契約の前に「部数的に厳しそうなので、文庫化の話は無しで」という形で断られていたら、それは「仕方のない理由」として、認めざるをえなかったはずです。
 もしくは、初版だけ出して、絶対に重版しないようにする、というほうが、かえって著者にとってはダメージが大きかったかもしれません。
 この物語の登場人物には、わざわざ「文庫化の件はどうなったんですかね?」とSNSで嫌味を仰る有本香さんのような「わかりやすすぎる悪役」もいます。

 こういうやりとりが「見える」ようになったのは、SNS時代の大きな革命でもあるのです。


 その一方で、佐久間さんの『みんなウェルカム』という連載が生まれたのも、幻冬舎の編集者のおかげではあるんですよね。
 幻冬舎は「売れる本をつくるためなら、なんでもやる」という面はあるけれど、「他の出版社が二の足を踏むような企画にも、踏み込んでいく」会社でもあります。
 それが正しいとか間違っているとかいうのは難しくて、そもそも、出版とか言論とかいうのは、そういう二項対立で語られるものではない。
 編集者とか作家というのは、ある意味「常軌を逸した人」であってもかまわないし(というか、そういう人が生きる道として「作家」はあるのかもしれない、とも思う)、ろくでもない人間が、とんでもなく美しかったり、感動的だったりするような作品を生み出すことが少なからずあるのです。
 僕は百田尚樹さんの人柄は大嫌いですが、『永遠のゼロ』と『海賊とよばれた男』は、良い小説だと思います。百田さんの作品の特徴は、伝記だったり、史料をたくさん参照している小説は割合感じがよくて、オリジナル作品は困惑するようなものが多いので、稀有なコピペ能力を持っているのではないかと。
 
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 編集者といえば、『週刊少年チャンピオン』の名物編集者だった壁村さんは、酒癖が悪く、なかなか原稿を描いてくれない手塚治虫先生に食ってかかるような人だったそうです。
 しかしながら、当時、人気が落ちていた手塚先生の新連載に周囲が二の足を踏んでいた際に、「先生の死に水をとってやらねえか」と始めたのが、『ブラック・ジャック』だったという話が知られています。
 「問題行動を起こしているから、名編集者」ってわけじゃないのですが、僕はこういう物語に惹かれてしまうのです。

 もう幻冬舎の本は読まないし、感想も書かない、と決意していたのですが、幻冬舎にかかわっている作家や編集者のすべてが悪いわけではないし、とはいえ、それで「幻冬舎無罪」となると、見城さんや箕輪さんもこのままやりたい放題、ということになるのだろうし、


 僕は箕輪厚介さんのこの本を読んで、心底失望した文章があったのです。
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 編集者の仕事を一言で言うと「ストーリーを作る」ということだ。
 いまの時代、商品の機能や価格は大体似たり寄ったりだ。
 これからは、その商品にどんなストーリーを乗っけるかが重要になる。
 例えば、このTシャツは、どんなデザイナーが、どんな想いを持ってデザインしたのか、そこに込められたメッセージは何か。そういった消費者が心動かされるストーリーを作ることが、洋服でも家具でも食品でも必要になってくる。
 実はそれは、編集者の一番得意なことなのだ。
 これからはあらゆる業界で、ストーリーを作る編集者の能力がいきてくる。僕はお客さんが買いたいと思うようなストーリーを作ることで、アジア旅行で買った、タダでもいらないような大仏の置物を数万円で即売させることができる。
 今、僕が本以外の様々なプロデュース業をやっているのも、この力を求められているからだと思う。


 「ストーリーを売る」のは良いよ、そういう時代なんだと思う。
 でも、「タダでもいらない」と自分で思うようなものを「ストーリー」で売りつけるのは、少なくとも「良心的」ではない。
 自分で価値があると信じているものならば、仕方がないだろうけど、わかっていて、クズを売りつけるのは、詐欺師のやることだよ。

 もうひとつ気になっているのは、この問題は、どこがゴールか、ということなんですよ。
 見城さんが辞めるまで、なのか、『日本国紀』が出版停止になるまで、なのか、百田さんや有本さんが謝罪するまで、なのか。
 あるいは、幻冬舎を潰さなければ、おさまらないのか。
 まあ、これまでのネットでの炎上騒動をみていると、見城さんがツイッターをやめたことによって、反応をみられなくなったら、みんな飽きて他の炎上案件を探すだけなのかな、という気もするんですけどね。
 その場合、佐久間さんのような「自ら行動してみせた人」は、置き去りにされてしまうのではなかろうか。
 これまでの、ネットの炎上騒動で筋を通そうとした人たちのように。


ヒップな生活革命 ideaink 〈アイデアインク〉

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