いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

いわゆる普通の14歳だわ 女の子のこと 知らなすぎるのあなた


www.huffingtonpost.jp


 はてなブックマークでは、これは母親の意見だろう、子どもを利用するな!という批判の声がけっこう多いようなのですが、まあ、なんというか、「うんざり」する話だなあ、という感じです。

 
b.hatena.ne.jp


 僕は望月記者が最初に登場してきたときには、取材相手と馴れ合いのようになっている政治部の記者たち相手の会見に風穴をあける存在だな、と思っていたのですが、なんというか、風穴あけすぎて、壁も天井も吹っ飛んでしまい、みんなうんざりしているのに、望月記者本人はアドレナリンが出まくっているので「私は全然寒くない!」という感じです。
 

 この人をみていると、辻元清美さんのことを思い出すのです。
「私は質問がしたいんです!」って、「私をアピールするため」に権力者に質問を浴びせているようにしか見えなくて、それは誰の、何のための質問なの?と、かえって疎外感が積もってしまう。


 望月さんと官邸に関しては、この江川紹子さんの言及が、僕には納得できるものでした。

biz-journal.jp


「どちらにも共感できない人たちが、うんざりしている」まさにこの状態なのです。
 江川さんが指摘しているように、望月記者の「宮崎議員の行動は、県民投票の権利を踏みにじる暴挙ですけれども、今回のこの暴挙は、民意に反し、辺野古基地建設を強行に進めている長官をはじめ、政府、官邸の直接的間接的指示はなかったのか、お答え下さい」という、「暴挙」とか「民意に反し」という言葉で修飾された、挑発的な質問の仕方は、官邸側にとっては不快なものでしょう。
 こんな聞き方をされれば、売り言葉に買い言葉になるよな、という気がします。しかも、望月さんって、「こんなのばっかり」なんですよ。ここぞというときに、「相手を怒らせて反応をみる」という取材のテクニックはあるのかもしれませんが、「単に怒らせようとしているだけ」にしか見えないのです。報道の世界にあらわれた、ネットの「無敵の人」っぽい。苛立たせるようなことをさんざん言い続けて、耐え切れずに相手が怒ったら、「おとなげない」と批判するような。


 江川さんは、こう仰っています。

 たとえば、先の県民投票についての宮崎議員の行動について、同じ質問をするにしても、多くの記者は、こう聞くのではないか。
「宮崎議員に対し、長官をはじめ政府、官邸の直接的間接的指示や示唆、あるいは事後に報告を受ける等の関わりはなかったのか」
「権利を踏みにじる暴挙」「民意に反し」「強行に」などといった非難を含んだ表現を使わなくても、質問はできる。そのほうが答えを引き出せるなら、多くの記者はそういう方法を選ぶ。そして「暴挙」や「民意に反し」た政府の対応を批判したければ、識者の意見や沖縄の人々の声を取材したり、社説や解説の担当者にゆだねたりする。
 望月記者の応援団のなかには、官房長官に批判の言葉をぶつけて糾弾し、とっちめるのを期待している向きもあるようだが、記者会見は本来、そういう場ではない。基本的には事実や見解を引き出すための機会だ。


 ひとりの記者が、質問の時間の多くを占拠して、執拗に自分の意見をアピールしていることに、「うんざり」なんですよ。
 でも、その記者に対して、あからさまに不快感を示し、まともに話をさせないように遮っている官邸側の態度も、これまでの経緯を知らずに見れば「いじめ」のように見えるのは事実だと思います。
 他の記者は、「ひとりで貴重な時間を使うな」「われわれにもちゃんと質問させろ」と望月記者に申し入れないのだろうか。
 報道の自由は大事なことだけれど、ああいう「取材による牛歩戦術」みたいなことをやられたら、ただ、時間を浪費するだけではないのか。
 もう、望月記者がまともなことを言っても、相手は身構えてまともに聞こうとしない状態になっているんですよね。これまでの経緯を考えると、官邸側が「もう相手にしたくない」のもわかる。
 それでも、それを露骨に態度に示して、嫌がらせをしてしまうという対応も、一国の政府としては、おとなげなく見えるのです。


 結局、どちらにも「うんざり」なんですよ。もう、うんざり合戦。うんざりの関ヶ原
 そこに、こうして「中二女子問題」まで出てきて、うんざりのスターウォーズ


 実は、ここからが僕にとっての本題なのですが(これではまるで、「ブログによる牛歩戦術」だな)、この14歳の女の子の言動に「親と子というもののややこしさ」を感じずにはいられなかったのです。
 「14歳の子どもが、こんなことを考えるわけがない。無理矢理母親の意見を代弁させられているか、『洗脳』されているのだろう」
 そういう意見を読むたびに、「えっ、あなたは、そんなに『世の中のことに対して問題意識のない14歳』だったのですか?」と思うのです。
 14歳は法律上「子ども」だし、40代半ばの僕からすれば、未熟というか「世の中を知らない年齢」ではある。
 でも、僕は14歳のとき、今よりもずっと、世の中の不公平に敏感だったし、いじめや戦争をなくしたい、なくせるはずだと、本気で思っていました。おとなではないけれど、おとなびてはいた。
 だから、彼女は「親の操り人形」ではなくて、自分自身の感性で、「記者がいじめられている姿に耐えられなかった」可能性は十分にあるのではないかと考えているのです。
 そして、彼女は自分ができることをしようと、ああいう形で、ネットで書名活動をした。親のサポートを受けながら。
 もし、今の時代に14歳だったら、僕だって、なんらかの矛盾に対して、そういう行動をとったかもしれない。
 僕が14歳の頃には、そういうときにどうしたら良いのかわからなくて、本を読んだり、あれこれ悩んだりしているうちに、何が正しいのかわからなくなって、いつのまにか、こんな年齢になってしまった。


 もしこれが14歳の女の子の「自分の意思」に基づくものであれば、親としては、「そんなことに関わると、ネットで身元を特定されてバッシングされるからやめなさい」と言うだろうか。それが、親として正しいのだろうか。
 それこそ、先日のエントリのように「処世術」としては、子どもがリスクに飛び込んでいくのを止めるべきなのだろうけど、それは、子どもの可能性を摘むことにはならないのか。


fujipon.hatenablog.com


 自分の子どもの発言や行動をみていると、子どもがある「思想信条」を抱くようになるには、親の影響というのは、多かれ少なかれあるのだよな、と考えざるをえないのです。
 僕の子どもは、最近「医者になりたい」と口にすることが多いのですが、僕は正直、自分自身には向いていなかった仕事というのもあって(でも、親が医者で、結局自分もなってしまった、という負い目もあり)、息子には「世の中には、もっといろんな仕事があるし、医者って感情労働と肉体労働のきついハイブリッドだから、おすすめはしかねる。なんかお前は僕に似ているような気がするし……」って、言いたくて仕方が無いのです。でも、言えない。
 結局のところ、「医者になってほしい」というのも、「医者にはなるな」というのも、子どもにとっては「将来を規定するかもしれない言葉」だし、それを突き詰めていけば、親が医者である、ということそのものが、子どもにとっての「呪い」になる可能性もある(いやもちろん、「誇り」や「希望」であればありがたいのだけれど、自分自身のことを思うと、そこまで楽観的にはなれない)。
 子どもは、親が思っている以上に、親のことをみている。そしてときには真似をし、ときには反面教師にするのです。
 この14歳の女の子が、親に強制されたわけでもなくて、身近な存在として影響を受けて、「自分でこう考えるようになった」と認識していたのだとしたら、それは「洗脳」なのだろうか?
 まあ、将来いろいろと生きづらくなりそうな話ではあるのですけど、こういうのって、「そんなに珍しくない、14歳の主張」であり、誰が良いとか悪いとかいうよりも、「多様な意見のひとつ」として、淡々と消化していく、しかないと僕は思っています。
 神ならぬ身としては、真実を知りようがないので、「わからない」前提で身構えておくしかない。


 インターネットが世に出たときには、年齢や性別、人種や社会的な地位などにとらわれずに、「正しい意見」が尊重される時代が来るのではないか、と夢見ていたのだけど、この20年でわかったことは、インターネットでも、人は発言者の「属性」にこだわらずにはいられない、ということなのです。結局、「何を言ったか」よりも「誰が言ったか」が、重視されているのですよね。

 「(自称)国民の代表同士の、うんざり頂上決戦」を見ていると、何かに苛立ちをぶつけたくなるのは僕も同じなんだけれども、この14歳の女の子と母親が、問題の「本丸」だとは思えないし、「親の顔が見たい」っていうのは、現代人がもっとも不快になる「呪縛」だと、多くの人が、わかっているはずです。


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FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

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