いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

たぶん、生きていくには「締め切り」が必要なのだ。



映画『カメラを止めるな!』の上田慎一郎監督のツイート。
最初に見たときには、ふーん、と読み流してしまったのだが、あらためて考えてみると、すごく大事なことを言っているのだよなあ。
僕は、何かをつくりたい、と思いつつ、仕事が忙しい、とか、やればできるんだけどさ、と、自分がやりたいこと、つくりたいものと真剣に向き合うのを先延ばしにしながら、半世紀近く、大人になってからでも、25年くらい過ごしてしまった。
「締め切り」というと、プロの作家や漫画家や研究発表の応募の期限をイメージしてしまうのだけれど、実際のところ、そういうふうに、誰かが自分に「締め切り」を突きつけてくる機会というのは、そんなたくさんあるわけではない。
僕も含めて、大部分の人は、公共料金の支払い期限とか、税金関係の書類の提出日とか、取引先からの仕事の納期というような「締め切り」を意識することはあっても、「創造的な活動」に締め切りを設定されることはないはずだ。

でも、それこそがまさに、人生をダラダラ過ごしてしまう理由なのかもしれないな、と思う。
もちろん、ダラダラ過ごすのが一概に悪いというわけじゃない。
それで十分幸せ、という人も多いというか、ダラダラ過ごす余裕なんてないよ!という返事のほうが多いかもしれない。

実際のところ、他人に決められた「締め切り」を守るというのは、簡単ではないけれど、ある程度「やればできる」ものがほとんどです。締め切りを決める側だって、絶対に無理な要求をしても、それが実現されないだけで、メリットはないわけですから(いやがらせ、という目的の場合はありうるけど)。

僕が思うのは、自分の力で何かができる人は、自分でやるべきことの「締め切り」を決めて、それを守れる人だ、ということなんですよ。
素人クリエイターには、締め切りがないし、「テーマ」だって設定されていない。原稿を催促されるわけでもないし、ずっと作品ができあがらなくても、誰からも責められない。
それは、ラクではあるのだけれど、浸かっているあいだに、どんどん時間が失われていく「ぬるま湯」でもある。
気がついたら、時計の針だけが進んでいて、「いつでもできる」はずだったことは、いつまでたってもできていない。
そして、「やってもできない」ことを認めることが怖くなり、さらに取り掛かることができなくなっていく。

そもそも、人間には「生きているあいだ」という万人にとっての「締め切り」が存在しているのだよなあ。
どんなに自信があっても、「できたはずのこと」は、ゼロにしかならない。
どんなに拙いものでも、やってみたことで、気づくことはたくさんある。
たとえそれが「自分の才能への絶望」であったとしても。

上田さんは「締め切りがないことに負けてしまった人」をたくさん見てきたのではないかと思う。
本当に怖いのは「締め切りを守れないこと」よりも、「人生の締め切りに気づかないこと」なのかもしれない。


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才能の正体 (NewsPicks Book)

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マインドセット:「やればできる!」の研究

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